それでも空は美しい
やこ
第1話
「なら夏樹はどの季節が好きなの?」
ふと、昔の記憶が蘇る。
「今の話聞いてたか?だから俺はどの季節も嫌いだ」
そんな事を話していた。
昔の自分ながら尖っている回答だと思う。でも、もとを辿れば季節の好き嫌いを話していて、生まれつき物事の欠点に目が向きがちだった俺が、各季節の悪い所を力説していたタイミングで唐突に言われた質問だったので、多少は許して欲しい。
「好きじゃなくても一番マシな季節を言えば良いんだよ。相変わらず夏樹は頭が固いね」
皮肉を言う彼女に、相変わらずお前は一言多いな、なんて事を思いながらもぐっと飲み込み、俺は答えた。
「なら一番は夏かな。寒いの嫌いだし」
「名前に夏が入るからじゃなくて?」
「違うよ。生まれた季節を名前に入れるの、好きじゃない。もっと自分の名前には深い意味があると思ってたし」
また少し強い言い方になってしまった。
自分で分かっているのにこの癖は中々直せない。
当時も気兼ねなく話せる友人は彼女だけだった気がする。
「そうかな?私は好きだよ、君の名前。」
そんな事を恥ずかしげもなく言ってくる。
彼女はいつもそうだった。
「うるせえよ」
俺はいつもそれに悪態を吐いて、頬が赤くなるのを誤魔化していた。
俺はこの時、生まれて初めて自分の名前を少しだけ好きになれたんだ。ありがとう。
今となっては夏は一番嫌いな季節で、自分の名前にも呪いがかかったままなのに。
俺、天川夏樹は終わっている。
人としてじゃない。天川夏樹として終わっている。完結しているのだ。
別に凶悪な犯罪者ってわけでもないし、クラスで酷いいじめを受けているわけでもない。
ただ、自分が好きになれない。それも無条件で。
人々は言う。今までのことは気にするなと。これからが大切なのだと。本当にその通りだ。
ただ、これは俺としては2つの条件があると思う。
一つ目は自分の可能性が未知数である事。自分が何かを為そうとした時に、どれだけやれるのか分からないからまだ、期待できる。
ここまでは俺もそうだ。どかまでやれるかなんて分からない。
二つ目は、最後に自分のことを好きになれるかどうかだ。
きっとなんだってそう。
何か大きな成功を収めるのだって、友人に恵まれるのだって、最後に自分の事を好きになれるかどうかで全て無駄になるかどうか決まる。
成功した自分のことを好きになれる。
友達が自分のことを好きと言ってくれる。そう言われることの出来る自分を好きになれる。恋人だってそうだ。
俺も頑張れば何かで成功したり、多くの友人に恵まれるのかもしれない。だが、意味がない。
自分なんて幸せにならなくていいから。
起こしてしまった後悔が大きすぎて、どんな喜びで上書きしようとしても、自分のことを好きになれない。
この先死ぬまで、形として残らなくても、起こった出来事はずっと、俺の記憶として残るのだ。
ああ、本当に、終わっている。
高校生になれば何か変わると思っていた時期もとうに終わりを告げ、気づけば二年目の一学期も終わろうとしていた。
春は揚々と入学してきた一年生も早々と現実を知り、いそいそと期末試験に向けて忙しそうにしている。
三年生は受験に向けて一年中試験期間のようなものなので、我々二年生は一年生より試験に慣れていて、かつ三年生よりも余裕のある言わばハイブリッド的ポジション。
他の奴らもそれを分かっているようで試験が終わる前なのに夏休み何処に行くだとか、髪を染めてみようだとか、浮ついた話題が目立つ。
俺はと言えば、夏休み遊ぶ友達も特にいないので夏の新作ゲームの事ばかり考えている。
やはり夏は出来るだけ外に出ないのが一番だ。
今日の朝もテレビのビーチ特集で黒ギャルに母が「若い内に調子乗ってると年取ってシミになるんだよな…」とか「もっと調子のれ」ギリギリ聞こえるくらいで言ってたのが非常に印象的だった。
「夏樹は夏休み予定あるの?」
6限が終わりホームルーム前の休み時間。
教室で俺に話しかけてくるのは大体1人しかいない。隣の席の逢崎明乃。
別に仲良しって程でもないが、このクラスは席替えが一学期に一回しかないという青春真っ盛りの若者には厳しい環境だった為、逢崎とは半学期隣同士だったことになる。
世間話をする程度の仲になるには充分な時間だ。
「いや、予定という予定はとくにないな」
こちらも話を広げすぎない程度に返事をする。これは言わば暗黙のルールというやつだ。
俺も逢崎も教室の一番後ろで窓側から俺、逢崎と並んでいる角の住人のため、ここで会話がないとお通夜のようになってしまう。
花の高校生の中にいれば、静かすぎても変に悪目立ちしてしまうものだ。
逢崎も友達はいるが俺と似た人種なので数は決して多くない。
席替えの際に離れてしまったのだろう。
「そっか。夏樹いつも一人で帰ってるし、あまり友達いないの?」
凄いデリケートな所に踏み込んでくるやんコイツ。と思わずエセ関西弁が出てしまった。
勿論心の中で。
俗に言う陰キャで話せない奴は大体考えすぎて心の中でこうやっておしゃべりしていることが多い。あと独り言も多い。
「仰る通り。でも俺自身も外で遊ぶのは好きじゃないしな」
「ふーん」
自分から話を振ってきたのにまるで興味がなさそうだ。まあその距離感が楽ではあるのだけど。
「逢崎は何かやんの?」
一応此方からも話を振ってみる。
「いーや、私も予定とかは別にないかな」
「そうか」
こんなに話の広がらない高校生も今時珍しい。
などと考えていたら珍しく逢崎が話を掘り出し始めた。
「でも夏らしいことはしようと思うよ。廃墟巡りでもしてみようかなーとか」
凄いなコイツ。何故廃墟巡りが夏らしいのかとか、もしかしてクラスで一番変わった奴が隣だったのだろうか、と様々な考えが頭をよぎりながらも一応返答する。
「肝試し的な感覚ってことか?」
すると逢崎は少し考える動作を入れてからこう答えた。
「私は怖い物として廃墟を見てないよ。ただ、そこに昔あった光景を想像したり、寂れたような静けさが好きなの」
「へぇ、変わってるんだな」
なるほど。と素直に感心した。
彼女は彼女なりの美学があるのだ。この時代に、周りに依存しないで自分が好きなものを好きと言える人を俺は尊敬する。
そんな俺の関心を他所に
「夏休みいくつか回りたいと思ってるからいい所あったら教えてよ」
彼女は話を続けてくる
今度は俺が考える動作を見せた後に
「いや、悪いけど知らないな」
と言う。
「えー、なんか知ってそうな感じがしたけど…。まあ良いか、何かいい話とかがあったら教えてよ」
「なんで疑われてんの…まあ、了解」
しかし確かに、知らないと言ったの事実だが、俺は嘘をついていて、廃墟には心当たりがあった。
あくまで逢崎のお目にかなう場所は知らないと言う意味だ。探せばいくらでも廃墟なんて出てくる。
わざわざ訂正して言うことでも無いと思い、俺は話を終わらせた。
しかし俺はこの時に、どことなく懐かしい物を感じていた。
もう長いこと触れることのなかった話題に少し、興味が湧いてきていたように思う。
既にこの時、俺は偶然隣になっていただけのクラスメイトからきっかけを貰っていたのだ。
俺の家は山に囲まれた非常に田舎の方にあり、高校にも電車で通学している。
我が家は四人家族で姉が1人、父と母は共働きだが、父親は海外出張が多い為、家には俺、母、そして姉の三人でいることが多い。
男が俺だけだから非常に肩身の狭い思いをしている。
一番近い高校にも関わらず電車通学になる事から、どのくらい田舎かは容易に想像出来るはずだ。
無事期末試験を赤点ギリギリで回避して迎えた夏休み初日。俺は朝から日課のランニングをしていた。
と言ってもいつもは夜に走っていたのだが、新作のゲームが届くのが夕方だったので先に走っておくことにした。
あと並行して筋トレもしている。一人でも続けている事を是非褒めて欲しい。
まあここまでは建前で、姉と小競り合いになり討論していたら母が姉の味方として参戦し、家に居づらくなったのが主な理由だ。
いつもならそろそろ家に向かう時間だが、まだ走りたい気分だったので普段のコースから外れてみる。
この時自分では考えないようにはしていたが、ある場所に足取りは向かっていた。今となってはただの気まぐれなのか、それとも無自覚なのか、自分でも分からない。
我が家から川を2つ越えて山寄りに走っていく。しばらくいくととトンネルがあり、トンネルの中からでも少し見える建物がある。
トンネルを抜け、その場所まで坂を駆け上がる。
「……」
それは廃墟、俺が生まれるよりも相当昔に廃校になった廃校舎だ。人が来る事もないからそのまま放置されている。
ここには昔、よく1人で来ていた。
廃墟特有の静けさや寂れた雰囲気が特別に感じたし、二階にあるお気に入りの教室の、ガラスがほとんど割れている窓から見る空が好きだった。
何年ぶりだろうか。
「変わってないな」
校舎の正面でふと、そんな事を呟く。
決して懐かしんでいる自分に酔っているわけでもなく、勝手に漏れた独り言だった。
いや、自分に向けた皮肉だったのかもしれない。
自分は昔と比べて変わってしまったと思う。
何をするにも自分の可能性に期待していたし、勉強も遊びもゲームだって全てが楽しいからしていた。当たり前の事だが。
いつからか全てが色あせた。受動的に、打算的に、何も面白くなくなった。
きっと、誰かに期待されるから人は努力する事を覚えるのだろう。期待に答える喜びを知る。
…運良く俺は暖かい家庭に生まれた方だ。親も俺に期待してくれていたし、もしかしたら今でも、息子として期待されているかもしれない。
本当に、もったいない。俺なんかにあの家族は。
俺は自分で自分を諦めてしまった。
諦めたのは自分なのに、そうやって何もしない、家族を悲しませる自分をもっと嫌いになる。不のスパイラルだ。
俺がこうしてる間にも、皆んなは自分自身の期待に応えようと、家族の、人々からの期待に答えようと日々を謳歌しているのだろう。
あぁ、元々はこんな、要らないことを考える性格でもなかったのに。
(駄目だ。ここにくると後悔ばかりが募る)
皮肉にも今日は久々に雲ひとつない晴天。昔自分が一番好きだった色の空だ。
あの日も、こんな気持ち悪いくらいの青空だった。
昔、同じ景色を見せたいと思った人が居た。自分だけではなく、ここを2人の居場所にしたかった。
いつからかそれは心を縛る呪いとなって、必要以上に人と関わることを怖いと思うようになってしまった。
「何やってんだ、俺…」
自身に悪態を吐き、引き返そうとした時だった。
ふと見上げた際に、二階の窓に人影が見えた。
「………え」
ここは昔良く来ていたが、一度も人と会ったことなんて無かった。ましてや、自分だって数年ぶりに来たのだ。誰かが居る、なんてことがあるのだろうか?
「逢崎か?」
いや、それはないだろう。確かに彼女は廃墟と言っていたが、夏休み初日からここまで距離の離れた場所にわざわざ来るとは考えられないし、廃墟はここ以外にも沢山ある。
なら誰だ?不審者かもしれない。
何故俺はこんなに鼓動が早くなっている?
だが、そんな事を考えながらも俺は気付けば走っていた。
どうしてだろうか?
自分でもらしくないと思う。
こんなに衝動的に動く自分自身に驚いた。
まるで昔の自分の様だ。
長い年月で腐敗した木の床に何度も足を取られそうになりながらも階段を駆け上がっていく。
恐らくあの人影が見えた部屋は、昔自分がお気に入りだったあの教室だ。
現実的でない。気のせいかもしれない。
そう思いながらも俺はさっき見た人影に、何故か心を揺さぶられた。
何を思って走っているのか分からない。
期待、不安、恐怖、好奇心、焦燥、何と呼んだらいいのか分からない。全て混ざったような、ぐちゃぐちゃな感情。
けど、きっと俺は求めていた。過去を精算できる何かを。
予感がした。
自分の日常が変わる何かを。
7月も終わろうとする、初夏の雲ひとつない快晴の日に、息を切らしながら教室にたどり着いた俺は彼女と出会った。
「こんにちは。天川夏樹さん」
1人の少女、月城凛音と。
それでも空は美しい やこ @odiyakoide
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