【ジェムストーンズ2人目 ショタディアン】
七乃はふと
プロローグ《ショタディアン》
たとえ暗くても明るくても、人々は時間を守って生活するのに、冬の朝はお寝坊さんだ。
まだ薄暗い中、僕は寒さと眠気に抗いながら、昨日買ったタオルケットを入れたビニール袋を持って外に出る。
今日の仕事は休みで、本当なら温かい布団から出たくなかった。
二月後半の寒さは布団に残しておいた体温を、あっという間に奪い取ってしまうからだ。
けれども、これから行う事は僕にしかできない。
去年までの、そう
前を見ながら滑り止めの溝が掘られた坂を下っていく。
目的地はマンション前の坂を降りた突き当たりのT字路にあるゴミ捨て場。
そこでは最近ある噂が囁かれていた。
ゴミ収集車が来る前に、捨てられた筈のゴミが跡形も無く消えてしまうらしいのだ。
それを聞いて『なんだいい事じゃん』と思う人もいるだろうが、この噂には続きがある。
ある早朝、ゴミを出しに来た人が見たらしい。
夜よりも濃い影が動いているのを。
ゴミ捨て場の前で何をしていたのかというと、捨てるために置かれていた家庭用ゴミを勢いよく吸引していたというのだ。
見た人が一人だけなら、信じる人などおらず井戸端会議の笑いの種で終わるだろうが、すでに何人もの人々が目撃していた。
通報を受けた警察が付近を巡回するも、捕らえることはできず今に至る。
以前助けた事のあるスコティッシュフィールドのタレミさんから、ゴミ箱を荒らす存在をなんとかして欲しいと依頼を受けた。
僕達は影の正体に見当をつけ、よく目撃される時間に合わせてゴミ捨て場にやってきたというわけ。
今日は生ゴミの日。
遠くからでも目立つ緑色のカラス除けネットが組み立てられ、中にはパンパンに膨らんだ半透明の生ゴミが押し込まれるように入っている。
入りきらなかった分はネットから飛び出すというお馴染みの光景。
その前に、こちらに背中を向けている誰かがいる。
性別はわからない。何故ならツヤのないウェットスーツを着ているかのように真っ黒だからだ。
歩きながら近づいてみると、曲がった腰の後ろで両手を組み膝がくの字に折れている。
小さな身長から見て、どうやら老人のようだが、近づいてみても男性か女性かは分からなかった。
影は僕に気づくことなく、背中を見せたまま一心不乱に何かをしていた。
聞こえてくるのは、超強力な掃除機の稼働音。
高速回転するタービンが耳の横で回るような大音量の中、僕は持っていたタオルケットを置いて耳を押さえながら距離を詰めていく。
すると不意に音が止んだ。僕の接近に気づいたんだろうか。
その時には手を伸ばせば近づくほどの距離だったけれど、影は晴れることなく未だに性別は分からない。
腰で手を組んだまま動かないので、こちらから声を掛ける。
「おはようございます」
耳があるようには見えないが、僕の言葉に反応したようで、人影がゆっくりとこちらを振り向いた。
こっちを見る顔は、墨汁を頭からかぶったように真っ黒で、頭や顔にあるべきパーツが足りない。
頭髪もなく目も鼻もないのだ。あるのは真一文字の裂け目。
腰の曲がった影が頭を上げて、目のない顔で見上げてきた。
「おはようございます。何してるんですか?」
見られたまま何も起きないのでもう一度挨拶してみた。
すると顔にある裂け目が開く。
中は真っ赤で、そこに住み着いている赤い蛇が動き出す。
同時にしわがれた女性の声が裂け目から漏れ出てきた。
「何・シ・ニ・来・タ?」
影は老女のような声で質問してくる。
「ゴ・ミ・ヲ・散・ラ・カ・ス・ナ!」
こちらが何か言う前に、勝手に結論づけて問いただしてくる。
「僕はゴミを捨てに来たんじゃありません」
再度『散らかすな』と言った影の口が、まるで掃除機のホースのように文字通り伸びていく。
大きく開いた口が、僕を飲み込もうとするように迫ってきた。
そんな異常な状況に出くわした僕は、逃げる事も悲鳴を上げる事もせず、手に持っていた金平糖を口に含む。
噛み砕いた直後、溶けると同時に優しい甘さが広がって、お腹から全身が温かくなる。
まるでお母さんに抱きしめられるような感覚を感じると同時に僕は
素早く後ろに飛んで迫る口を避ける。
影が伸ばした口が僕が立っていたアスファルトに唇をくっつけた。すると、また掃除機のような音が聞こえてくる。
その正体は影が伸ばした口が吸引する音だったのだ。
吸い込む力は絶大で道路がひび割れて浮かび上がり、そのまま口の中に吸い込まれてしまう。
細い管が膨らみ影のお腹に飲み込まれていく。
そんなもの呑み込んだら、お腹が痛いだろうに。
「散・ラ・カ・ス・ナ!」
「僕はゴミを散らかしにきたんじゃない。あなたを助けに来たんだ!」
僕が走って距離を詰めると、影の口がゴミ捨て場の方へ伸びていくと吸引音が聞こえてきた。
何をするのかと思ったら、白いゴミ袋が僕の顔目掛けて飛んできたので素早く避けた。
生ゴミが詰まった袋は坂にぶつかって、中身が辺りに散らばっていく。
ゴミを散らかすなと言ってるくせに、自分で散らかしている事に気付いてないみたい。
影はゴミ捨て場にある生ゴミの袋を次々と投げてくる。
最初は避けれたけれども、段々と避けるのが難しくなってきた。
一個ずつではなく二個三個と、複数同時に投げてくるようになったのだ。
遂には四つのゴミ袋がほぼ同時に投げつけられる。
左右はブロック塀があり、回避するスペースが見当たらない。
散らかしてしまうけど仕方ない。僕は両手の指を刀剣のようにまっすぐ伸ばした。
手の甲に装着された空の力を宿すラピスラズリが、力を貸してくれる為に輝く。
「『全てを切り裂く刃。ラピスブレード』」
最近考えた技の名前を叫びながら手刀を繰り出す。
出現した二つの風の刃が、飛んできた四つのゴミ袋を同時に切り裂いた。
中身が降り注ぐ中、僕はその雨を潜り抜ける。
流石に落ちる前に通り抜けるのは不可能で、何個かの生ゴミが当たりそうになる。
けど大丈夫。背中のマントが形を変えてクッションになり僕を守ってくれた。
掃除機の口が次に吸い込んだのは車が上を通っても頑丈なマンホール。
小学生と同じぐらいの重さの円盤が飛んできた。
重量があるからか、先程のゴミ袋とは比較にならない勢いで避けられない。
僕は琥珀色の籠手に包まれた両手で防御する。
マンホールが直撃し、大きな音を立てて形を変えた。両手は骨も折れてなくて無傷だ。
変形したマンホールを放り投げると、後ろのブロック塀にぶつかった。
影がまた道路に向けて口を伸ばす。その先には新たなマンホールがあった。
『あの口になら攻撃しても大丈夫よ』
「分かった!」
白鳩のイヤリングから聞こえてきた彼女のアドバイス通りに、左の手刀を右から左に振るう。
風の刃が、マンホールへ向かっていた口と顔を繋ぐ細い管を見事に切断した。
道路に落ちた口がトカゲの尻尾のようにその場で痙攣し、影は驚いたように後退りして尻餅をついた。
ここで逃がすわけにはいかない。
頭のティアラに嵌め込まれている海の力を宿すラリマーを輝かせ、出現した小さな水の球を手に乗せて影の体に優しくかける。
まるでシャボン玉に包まれたように、影の体が道路から浮き上がった。
「後は頼んだ」
『任せて』
丸い膜自体が太陽のように明るく輝いた。
母の抱擁のような柔らかな光が収まると、黒い影の姿に取り憑かれていた人が降りてきたので、僕はその下に立って抱き抱える。
正体はタレミさんの飼い主のお婆さんだった。
目蓋を閉じた横顔は深く眠りについた健やかな横顔で、もう暴れる事もないだろう。
持ってきたタオルケットを歩道に敷いて顔見知りの老婆を寝かせておく。
少し寒いだろうが、流石に家の中に勝手に入るのはまずい。もう少ししたらゴミ収集車が来るだろうから、その人達に任せる事にした。
それに、寝坊していたお日様が現れて、温かな日差しが降り注いできたから風邪ひく事はない筈。
でもなんか忘れているような……?
僕がそうしている間、散らかったゴミや壊れたブロック塀が、逆再生する様に修復されていた。
僕の家にいる彼女の力だ。
ゴミ捨て場周辺は、何事もなかったように元通りになった。
これで誰も僕達の戦いには気づく事はないだろう。
一仕事終えたらお腹が空いてきた。早く帰ろっと。
「今日のご飯は何かなー?」
彼女がどんな朝食を作ってくれているか想像しながら坂を登ると、ゴミ収集車が近づいてくる特徴的なメロディが近づいてくる。
その音を聞いて僕はある事に気付いて走り出す。
「ゴミ持ってくるの忘れた!」
物語は、孤独という毒から一刻も早く抜け出したいと願いながら何もしていなかった時期から始まる。
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