香川県「ネット・ゲーム依存症対策条例」 VS.百合

ニニム

香川県「ネット・ゲーム依存症対策条例」 VS.百合

「ゲーム機とソフトはあるから、私の家で、私と一緒にゲームをやらない?」

 と竹内静江さんが言いました。驚いて、生まれてはじめて、私は彼女をまじまじと見つめてしまいました。

 私たちが立っている教室の窓際には、乳白クリーム色のカーテンを透かして、日の光が降り注いでいて、ぽかぽかと暖かい。

 まるで窓の外の太陽がまぶしくてたまらないかのように私は目を細めました。

「どうして……ですか?」

 と尋ねると、

「だって、二人でゲームをしたら、一人で一時間、合わせて二時間、ゲームができるでしょう?」

 竹内さんは、当たり前の顔で、そう答えました。

 私は、首を横に振りたくなりました。

 私が知りたいのは、竹内さんが、どうして私なんかを選んだのか。

 私はうつむきました。

 余計なことを言ってしまいそうだったから。

 せっかくのチャンスを逃したくない。

 私は、

「いい、ですよ」

 どうにか言葉を絞り出しました。

「よかった。じゃあ、これから私の家に来る? それとも今日はもう予定なんか埋まってる?」

 と聞かれて、せっかくのチャンスはチャンスでも、急にもほどがあるから、いいですよ、なんて言わなきゃよかった、と早くも後悔してしまいました。

 私たち二人とも、それから何事もなく掃除当番の役目を終えて、高校から竹内さんの家に向かって一緒に歩くそのあいだ、私はずっと、私が知っているゲームの話題について必死で考えていました。

 どんな話題なら、ゲームに興味がない私でも、竹内さんと喋れるのかな。

 席が近いから、毎日チラチラと視界に入るたくさんの友達に囲まれて、キラキラ輝く竹内さんの笑顔。

 私も、竹内さんのことをあんな風に笑わせることができたら。でも、私にできるのかな。無理なんじゃないか。でも、もしかしたら――

 そんなことをうじうじ考えているうちに、道中、竹内さんと一言も会話できないまま、竹内さんの家までやってきたことに気が付くのでした。

「どうしたの? 上がってよ。佐倉さん」

 そう促され、私は、慌てて来客用のスリッパに履き替えて、立ち尽くしていた玄関からようやく一歩を踏み出すことができました。

 竹内さんには、寝室セットの一人部屋が割り当てられています。家の二階の隅でした。竹内さんの部屋で、竹内さんが一階のキッチンからわざわざもってきてくれたチョコ菓子の袋を開けました。ジュースまで用意してもらって、今日まで誰一人友達がいたことのない私は、何もかもがはじめてのことばかりで、気持ちが悪くなるくらい緊張しました。

「複数でやるゲームといえば、格ゲーとか、対人要素のあるゲームだけど、今日は、このゲームをやろう。これなら二時間、二人でできるからね」

 と竹内さんが指さしたのは、いわゆるRPGというジャンルの有名なテレビゲームでした。

 私は、思わず笑顔になってしまいました。

 竹内さんが、『ゲームの不良』ではないことが、わかったからです。

 おかげでずっと緊張しっぱなしだった心と体が、少しだけくつろぐことができました。

「これ、私がすっごく好きなゲームなんだ」

 そう言いながら、竹内さんはゲームを起動して、コントローラーを操作して、ニューゲームを選択しました。

 竹内さんの部屋のテレビは大きくて、我が家のものとはずいぶん勝手が違うから、画面からどれくらい距離をとればいいのかなあ、と私がきょろきょろしていると、

「座りなよ、佐倉さん」

 二人ぶんのクッションを用意してくれていた竹内さんが、自らのすぐ横、カーペットをポンポンと叩きました。竹内さんと、肩と肩がくっついちゃうんじゃないかという距離でした。

 そんなに近くに座って、いいのかな。

 だって私たち、別に友達じゃないのに――

 でも、そんなことを言ったら、家に招かれて、一緒にゲームをする今この状況がまさに不自然なわけで、結局私は言われた通り、竹内さんのすぐ横、クッションに腰を下ろすことにしました。クッションは、溶けそうなくらいふわふわで、私の重たいお尻を乗せるのが、なんだか申し訳なく思えて、自分の卑屈さに、ほんの一瞬、苦笑いしました。

 竹内さんは、ゲームのプレイを私に見せながら、自分のことや、私の目の前でプレイしているゲームのこと、それ以外で竹内さんが好きなゲームのこと、色々話してくれました。竹内さんは、クラスの人気者で、それは顔が可愛いとか頭がいいとか運動もできるとかそういうのもきっと理由なんだろうけど、とにかく話し上手で、私はいっぱい笑わされました。

 ゲームと会話を楽しみながら、ゲーム機のコントローラーを操作している竹内さんの指をたびたび見つめました。

 切り過ぎず、残し過ぎず、ほどよく切り揃えられた爪を見て、嬉しくなりました。

 これは、爪を切ることが、好きな人の指。

 私も、爪を切ることは好きで、竹内さんと共通点が見つかって、嬉しいと思いました。

 香川県での十八歳未満の男女のゲーム時間は、一日一人一時間です。

 短いけれど、思っていたよりは、長い。

 気が付けば、予想以上にくつろいだ私は、竹内さんに訥々とつとつと語っていました。

 私の家には全くゲームがないし、テレビのコマーシャルとか経由でぼんやり存在は目にしていたけれど、正直ゲームに興味がなかったこと。

 でも、今日、竹内さんがゲームをやっているのを見ていたら、ゲームって面白いんだな、って素直に思えたこと。

 そして、いまだに私は『ゲームの不良』が怖いということ。

 香川県には、子どもは一日一時間しかゲームができない条例がある。

 その仕組みをかいくぐるために、二人以上交代でゲームをするのが、香川の「真面目な」子どもたちのあいだでは当たり前になっている。

 それ自体は、ルールの範囲内のことだから、私もなんとも思わない。

 ただ、例えば一日に二時間、二人で格ゲーをやる子たちは、怖いな、って思う。

 なぜならば、一日、一時間以内にプレイ時間を制限しなさい、というルールのなかには、他の人のゲームのプレイを隣で見ていちゃいけないとはどこにも書かれてない。

 一方、二人でそれぞれゲームを操作して対戦をしたら、一時間を超えれば、どう取り繕っても条文に違反してしまう。

 『ゲームの不良』たちのなかには、八人で対戦ゲームをプレイして、もしも大人が部屋に踏み込んできたときのために偽装用のテレビゲームを起動、自分たちの証言と齟齬が出ないように偽装用のゲーム、一時間ぶんのプレイ時間を毎回稼ぐ手間までかけていた子までいたらしい。小学生低学年、と新聞に書いてあった。

 恐ろしいと思う。

「佐倉さんが言う不良の子たちも、ヤバいおクスリをキメてるわけじゃないんだよ?」

 と竹内さんは言いました。

 私は、その言葉に頷きながら、

「ゲームそのものがどうっていうよりも、破る必要のないルールを破るのが、私には怖いし、理解できないんだと思う。だってそれは、自分の意思で、その子たちが、決められたルールのなか、自分の行動を管理できてないってことでしょう?」

「ハハ、良いね」

 と竹内さんが笑う。私が見たかったキラキラ輝く笑顔。

「え、何がですか」

「佐倉さんの、そういう真面目なところだよ」

 何か、含みがありそうな言い方でした。そのあとは、竹内さんがゲームをプレイしているあいだ、竹内さんも、私も、まったく喋りませんでした。いつもなら、家族以外といるとき、会話が途切れたままになると、すごく嫌なのに、竹内さんとであれば、沈黙が、苦にならなくて、不思議でした。

 やがて一時間が経過しました。

「次は、佐倉さんの番だね」

 と竹内さんが、私にコントローラを手渡しました。私が、竹内さんのプレイを思い出しながら、プレイを開始した直後、

 ――私の後ろから、竹内さんが、いきなり私を抱きしめました。

「え、え、竹内さん」

「嫌なら言って。すぐやめるから」

 竹内さんの指が、私の手の甲にそっと触れました。たわむれに肩をつつく。私の頭にポンポンと触れる。

 そうやって、優しく、私の身体に新たな感触を加えたり、腕をしばらく握ったりする。

 私は、嫌だとは、言いませんでした。

 だって、私は――

「どうして、ゲームの相手に私が佐倉さんを選んだのか、おしえてあげよっか……」

 私の耳に、竹内さんが囁きかけました。ただでさえ集中できていないゲームが、もう頭のなからからすっかり吹き飛んで、私は、私の胸を両手で押さえました。心臓が、変なリズムで、これを気付かれたら、大変だと思ったから。

 私がゲームをプレイするあいだ、竹内さんは、私を後ろからずっと抱きしめたまま。

 ゲームの手を止めると、テレビからゲームの音楽が聞こえるのに、沈黙が重たく感じられます。

 私は、蚊の鳴くような声で、竹内さんに、

「…………はい」

 と言いました。

 竹内さんは、小さく笑いました。

「私が、佐倉さんを選んだのはね、佐倉さんが、真面目だから。高校生なのに、信じられないくらいウブで、勉強はできても、あらゆる遊び、知らなそうだったから。佐倉さんのこと、実はずっと見てたんだ。知らなかったでしょ。佐倉さんみたいな子に、私の知ってること、たくさん教えてあげたい、って、ずっとずっと思ってたの」

 佐倉さんの指が、私の首とあごの境界のあたりを撫でました。鈍い私でも、明らかに、友達のスキンシップの範囲を超えていると思いました。コントローラーを握る私の指が、不意に激しく震える。

「それにね、佐倉さん――あなた、あの学校で、男の子も含めて、誰よりも私のこと、エッチな目で見てたよ」

 私は、目を閉じました。痛いくらい、強く。ああ、バレていたんだ。そう思いました。

「どうしたの。続けようよ。ゲーム。まだ、一日一人一時間、全然残ってるよ」

 と竹内さんが、穏やかに言いました。

 やがて、一時間が経過しました。

「あの、竹内さん、今日はありがとう。えと、今後の私たちって、あの――」

「え、佐倉さんもう帰っちゃうの」

「あ、え、でも、ゲームの時間は一人一時間で、もう二時間経ったから、だから――」

「おうちに電話して、今日は友達の家に泊まることにしたんだって、伝えたら? 私は今日、親帰ってこないし、さっき佐倉さん言ってたけど、佐倉さんち、すっごい緩いんでしょ。すごいよね。おうちが緩いのにあんな勉強できるなんて。私だったら絶対無理だな。サボって遊び回っちゃうよ」

 そう言いながら、竹内さんの指が、私の唇に触れました。

「ねえ佐倉さん。もしも嫌だったら、言ってよ」

 私は、スマホを取り出して、母に電話をかけました。あっさり許可をもらって、

「許可、もらえました」

 竹内さんにそう伝えると、

 竹内さんは、自分のベッドのへりに腰かけて、すぐ隣のシーツを、ポンポンと叩きました。そして、力強く、

「大丈夫だよ」

私を安心させる温かな声で、

「校則には、同性のそういう行為を制限する文章、書いてないし、もちろん香川県の条文にも、ゲームが終わって、一日一時間以上、同性でそういうことしてはいけない、なんてどこにも書いてないから」

 と断言しました。

 そういう問題ではないのでは、と率直な感想を抱きましたが、私は黙っていました。

「……あのね、佐倉美代さん――もしもだけど、初日で、私とこういうことするのが嫌だったら、本当に、ほんっとうに、ちゃんと言ってね。そうしたら私、ちゃんと我慢するからさ」

 うまれてはじめて聞いた竹内さんの不安そうな声でした。

 私は、思わず笑って、ベッドの上、シーツに腰を下ろし、竹内さんの顔に向かって、私の顔を、ゆっくりゆっくり近づけてゆきました。

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