思いよ、伝われ

ジェリージュンジュン

第1話

俺は、ある日



花粉症治療のため



小さな病院を訪れた




そこから



俺の人生は




大きく変わった





――――――――――




written by ジェリージュンジュン




――――――――――



「ここか……」


俺は、金網のバリケードで覆われた40メートル四方の、草が長く伸びた土地を眺めていた。


俺の名前は、三浦ヒロキ。28歳。

肩書きは『三浦建設』の社長。

3年前に病気で亡くなった父親の跡を継いで、今このポジションに就いている。


ちなみに、自分で言うのもなんだが、三浦建設は、大手の総合建設会社。

建設業界では、常に上位に君臨する優良企業だ。


だが、いきなり社長になる時は、さすがに参った。

大学を卒業して、父親に言われるがままに、当然のように三浦建設に入社。

そして、働き始めて3年目でいきなり父親が他界。

その父の遺言状によって、俺は社長の座に就いている。


あの時は、本当に驚いた。

今まで『ぼっちゃん』とか『2代目』とかって、冗談で気軽に声をかけてくれていた年配の上司が、一瞬で自分の部下になったんだから。


でも、俺は変な権力を振りかざしたりはしない。

みんなの声に耳を傾けて、全員でこの会社を作りあげていくんだ。

だって、この会社は父親が作りあげたものなんだから。

だから、人を大事にしてこの会社を守っていく。

そう決めたんだ。


「なかなか、いい土地だな……」


俺は、この土地を一目見た時にすぐに気に入った。


3年――


社長として3年が過ぎた。

あっという間の3年だった。

確実に周りの助けがなければ、ここまで順調に来れなかっただろうな。


「小川さん、ここでいいんじゃないでしょうか」

「では、社長、計画を進めますね?」

「ええ、お願いします」

「かしこまりました」


隣にいるのは、いつも俺を助けてくれる小川さん。

年齢は52歳。

亡き父と長年一緒に会社を盛り上げてきた、いわば戦友だ。


実は、今日、小川さんと一緒にこの土地を見に来たのには、もちろん訳がある。

ここに、新しい分譲マンションを建てるためだ。

3LDKがメインの総部屋数は46。

最多価格帯は2800万円前後。

そういうマンションを建てる計画をしている。


「では、いったん、社のほうに戻って細かな企画書を作成していきますね」

「お願いします」


小川さんは、本当に頼りになる。

この人がいなかったら、ここまで順調にやってこれなかったかもしれない。




「よし、行くか…………あっ」


車の後部座席に乗り込もうとした時だった。

草がぼうぼうと生い茂る土地の奥のほうに、あるものを見つけた。


「タンポポだ……」


そう。

それは、タンポポ。

黄色い色をした無数のタンポポが、集団で美しい輪を描いていた。


「綺麗だな……」


思わずそう呟くと、しばらくその黄色のかたまりに目を奪われていた。


何だろう。

忙しい毎日を送る俺は、そのタンポポの群れに少しの癒しを感じたのかもしれない。


「社長」


小川さんは、運転席の窓から顔を出しながら言った。


「そろそろ、車を出しますよ。よろしいですか?」

「あっ、はい。お願いしま……」


その時だった。


「ハクション!」


と俺は大きなくしゃみをした。

しかも、小川さんのほうに向かって発射してしまうという、失礼極まりない行為だった。


「す、すみません!」

「いえ、大丈夫ですよ」


小川さんは、にっこり微笑んだ。


「風邪ですか?」

「あっ、いえ」


俺は、鼻をすすりながら言った。


「花粉症です。発症してから、もう10年以上になります」


しかも、と俺は言った。


「他の人よりも症状が重くて、毎年大変なんです」

「そうなんですか。1度、病院に行ってみては?」

「そうなんですけど……」


俺は、首を傾げながら言った。


「でも、花粉症って完治はしないでしょ? このまま上手に付き合っていくしかないのかなって」

「確かにそうですね。まあ、病院に行って、何の花粉か調べてもらえれば、より対策もしやすくなるんじゃないですか?」

「なるほど……今度、時間がある時に行ってみますね」


小川さんの言うことは、最もだった。

確かに、1度も病院に行ったことはない。

薬は、もっぱら近くの薬局で購入。

騙し騙し、花粉症と共に暮らしてきた、という感じだ。


そうだな……1度、行ってみるのもいいかもな。


「社長」


小川さんは、腕時計を見ながら言った。


「とりあえず、戻りましょう。明日の会議の詳細をお伝えしますので」

「分かりました」


そして、車に乗り込み、会社へと向かった。


ハクション!――


ハクション!――



車の中でも、クシャミが止まらなかった。


今日は、天気予報通り、花粉の量が多い1日。


やれやれ。

この鼻は、いつも流行に敏感だな。

なのに、こんな日に限って花粉症対策のグッズを家に忘れるなんて俺はどうかしている。


『馬鹿じゃないの。私をナメないでよね』


と、花粉症の神様に怒られそうだ。

あ~、恐い恐い。

明日からは、マスクに目薬、点鼻薬と飲み薬はかかさず持っておかなきゃな。

これだけ、持っておけば、


『合格ね。私の攻撃から頑張って身を守ってね。でも私も手を抜かないわよ』


と、花粉症の神様から、お褒めの言葉と宣戦布告の言葉をいただけそうだ。


「よし」


とにかく、仕事だ。

マンション建設の計画を早く進めていかなきゃな。



――1週間後。



あれから、マンション計画は順調に進行していた。

まあ、俺はほとんど、プロジェクトに顔だけ出しているような状態だから、楽なもんだけど。


実はこの計画は、小川さんに全ての指揮を任せている。

だから、俺も安心というわけだ。


とにかく順調。

マンション計画は、順調に進んでいた。


でも、1つ順調じゃないことがある。

それは、俺の花粉症。

今年はどうやら、例年より花粉の量が多いらしい。

クシャミは止まらないは、目は充血してかゆいは、喉は痛いはで、それはもう白旗状態だった。


おそらく、花粉症の神様はこう言っているだろう。


『残念ね、もっと闘いたかったわ。今年は私の圧勝ね』


と、高らかに笑い声をあげていることだろう。


やれやれ。

さすがに参った。

これじゃ、仕事にならない。


そして、どうにも気になることがある。

今年は、例年と花粉の種類が違うのだろうか?

というのは、いつも使っている飲み薬があまり効かないのだ。


ん? 待てよ。

そういえば、俺の花粉症は例年ならもう2ヶ月ほどあとのはず。


「あっ……」


やれやれ。

もしかしたら、別の花粉にも体がアレルギー反応を示し始めたのかもしれないな。


ハァ……


いったい、俺はいくつアレルギーを持っているんだ?


小川さんが言っていたように、1度、医者に調べてもらったほうがいいかもしれないな。


うん、そうだ。

そうしよう。



――1時間後。



「この辺りにあればいいけどな……」


仕事が一段落した合間を見つけ、会社を抜け出し病院探しに向かった。


耳鼻科とアレルギー科がある所なら、とにかくどこでもいい。


俺は、周りをキョロキョロ見渡しながら、道を歩いた。


「全然、見当たらないな……」


そして、気づけば、誰も通らないような細い路地にやってきていた。

会社からは、20分ぐらい離れた場所だろうか。


やれやれ。

まいったな。

探すのに夢中で、やたら遠くまで来てしまったな。

あんまり、仕事に穴を空けるわけにもいかないし、とりあえず今日は会社に戻るとするか。


「ハ……ハクション!」


ダ、ダメだ。

くしゃみもそうだが、今日は、特に鼻水が止まらない。

放っておいたら、ナイアガラの滝のようにとめどなく流れてくる。


「ま、まいったな……」


俺は、ティッシュで鼻を拭きながら、来た道を引き返そうとした。


――すると、その時。


「あっ、あれは……」


その細い路地の先に、ひっそりと佇む小さな病院を見つけた。


耳鼻科。

アレルギー科。


看板には、両方とも記されてある。


よし、ここだ。

ここでいい。


「ハクション! ハクション!」


俺は、クシャミをしつつ目をこすりながら、その病院の前まで歩みを進めた。

そして、入り口のドアを開けようとした時、


「え……?」


目を見開き驚く。

ドアを開けようとした手もピタッと止まってしまう。


なぜなら、そのドアの隣にある小さな看板にこう書いてあったからだ。



~~~~~~~~~~



笹木耳鼻咽喉科


(診療時間)

9時~14時

17時~19時30分


◇木曜午後・土日祝日は休診です



~~~~~~~~~~



ここまでなら、どこにでもある内容。

だが、俺が驚いたのは、その下に『※』で書かれた一文。



~~~~~~~~~~




※花粉症を完全に治します



~~~~~~~~~~



これを見てしまったからだ。



「ほ、本当なのか……?」


まさに、目玉が飛び出そうなほどの衝撃。

理由は1つ。

花粉症は、治らないのが常識だと思っていたから。

一生、上手に付き合っていくものと思っていたからだ。


「ハハッ、やった、やったぞ!」


思わず、両手を握りしめ、喜びを爆発させてしまった。

これは、俺にとっては願ってもいないチャンスだ。

もしかしたら、花粉症とおさらばできるかもしれない。


やった!

やったぞ!



――ガチャ。



「すみません!」


俺は、喜びを抑え切れないまま、その病院のドアを急いで開けた。


「あの、初めてなんですが」

「はい、ではこちらの問診表に記入してくださいね」


対応してくれたのは、50歳過ぎの女性。

ゆったりとしたやさしい喋り方で出迎えてくれた。

周りを見た所、他に患者は誰もいない。

これなら、すぐに診察してもらえそうだ。


あっ……


先生の紹介を記した紙が、壁に貼ってあるな。

どうやら、この女性とおそらく旦那さんであろう男性の2人でやっているようだ。


男性のほうが院長ということか。

まあ、確かに、院内もこじんまりとしているし、2人で充分なんだろうな。



――数分後。



予想通り、すぐに診てもらえることになり、俺は診察室に移動していた。

そして、目の前には、この病院の院長が座っている。


年は60歳手前ほど。

眼鏡をかけた白髪の男性だった。


「えっと、三浦さんは……」


院長は、問診表を見ながら言った。


「花粉症でお悩みですか?」

「はい……もしかしたら、今までと違う花粉に反応しているかもしれないんです」

「なるほど」

「とりあえず、アレルギー反応の検査をしてもらいたいんですが」

「いえ、その必要はありません」

「え?」

「私は」


院長は言った。


「花粉症を、完全に治す治療が出来ますから」

「え……?」


俺は、再び目を見開いて驚いた。

ひょっとしたら、驚きが強すぎて、目玉が一瞬、飛び出たかもしれない。

それほど、衝撃的な言葉だった。


あとあと、その話には触れてみようと思っていたが、まさかこんなに早く、そういう展開になろうとは全く思っていなかった。



いや、待てよ。

これが当たり前か。

だって、表にあんなにでかでかと書いているんだから。

すぐに、そういう展開になるのは当たり前か。


まあ、いい。

とにかく、すごく興味がある。



ドキドキ。


ドキドキ。



あぁ。

なんだか、凄く緊張してきた。

長年苦しめられてきた花粉症が治ると思うと、妙にそわそわし始めた自分がいるな。


「あ、あの」


俺は、慌てて問いかけた。


「花粉症って、完全に治るものなんですか?」

「ええ、もちろん」


院長は、眼鏡をクイッとあげながら言った。


「移植すればいいんですよ」


移植……?


「花粉症って、なぜ起こるかメカニズムはご存知ですか?」

「えっと……」


俺は、思い出すように言った。


「体が、花粉を異質な物と感じて、敏感に反応してしまうんですよね」

「その通りです」


院長は少し微笑んだ。


「それが、アレルギー反応というものですね」


さて、と院長は言った。


「ここからが本題です。要は、そのアレルギー反応を取り除けばいいんです」

「取り除く……?」

「ええ。そのために先程言ったように、“花粉症ではない人”の細胞を移植するんです」


え……?


「目や耳、鼻や口……顔のパーツの一部に、“アレルギーに反応しない細胞”を移植します。あとは、その小さな細胞が無数に分裂を繰り返して、あなたの元の細胞とうまく調和するように操作します」


その結果、と院長は言った。


「あなたは、花粉症を克服した体を手に入れることができます」

「そ、そうなんですか」


俺は、頷きながら、なんとか平静を装おうとした。

だが、開いた口がふさがらない、というのは今の俺のようなことを言うのかもしれない。

それほど、院長の話はインパクトが大きかった。


まさか、こんなやり方があったなんて。

今は、こういう対処法は普通なのか?


いや、違う。

こんなやり方は、聞いたことがない。


じゃあ、この院長が考えたことなのか?


分からない。

そこまでは分からない。


でも、まあ、いい。

そんなことはどうでもいい。

これは、願ってもいないチャンスだ。



そのあと、院長と話して分かったことがいくつかある。


この治療はすぐに出来るらしい。

1時間もあれば十分で、かつ安全面も問題ないようだ。

ただ、保険外診療になるので、費用は結構高い。


50万円。


だいたい、そのぐらいだった。


そして、あと1つ、まれに副作用が出ることがあるらしい。

それは、他のことに対してアレルギー反応を示してしまうかもしれないということ。


例えば、今まで嫌だった匂いで、鼻がかゆくなったり、

タバコの煙で、目から少し涙が出たり、

ロックの音楽を、やたら耳が嫌がったり、

あまり好きではない食べ物で、歯茎が少し痛くなったり、

と、まあ、今までの患者さんの例をあげるとこんな感じらしい。


どうも、今まで自分が心の奥底で気にしていたことが、新しいアレルギー反応として出ることがまれにあるそうだ。


なるほど。

タバコの煙やロックにしても、本当は嫌いだったのを我慢してたんだろうな。

それが、アレルギー反応を起こしたということか。


あっ、そうか……

こういう副作用がまれに出るから、この治療法をまだ公の場では発表していないということか。


でも、確実に言えることは、どれも、花粉症よりは全く症状が軽いということ。


日常生活で我慢しようと思えば、余裕で我慢できるレベルのアレルギー反応だった。


しかも、9割方の人は、その症状も出ないらしい。

そして、もし万が一、その副作用に堪えられなければ、さらに治療も可能ということ。


じゃあ、やるしかない。

俺の重度の花粉症とおさらばできるのなら、やるしかない。


「あの」


俺は言った。


「その治療をお願いします」

「分かりました。では、さっそく用意にとりかかりますね」

「よろしくお願いします」


俺は、深々と頭を下げた。


やった!

やったぞ!


ついに、俺にも平穏な日々がやってきそうだ。

やっと、この苦しみから解放される。




この治療で


俺は


花粉症から解放されるんだ


――2日後。



今日、俺は会社が休み。

久しぶりに、彼女とデートを楽しんでいた。


そして、その途中、あのマンション計画のある土地に立ち寄った。

今日もタンポポは、楽しそうに風に揺らめいている。


スーッ。

ハーッ。



「風が気持ちいいな」


俺は、めいいっぱい春の空気を満喫していた。

素晴らしい。

この季節の晴れた日というのは、こんなに清々しいものなのか。

今になって、やっと分かる。


花粉症が完治した今になって。


「春がこんなに気持ちいいなんて、いつ以来だろう……」


そう。

俺は、あの病院での治療によって花粉症を克服した。


あれから、花粉症は全く気にならない。

まるで、生まれ変わったような感覚だ。

しかも、副作用も出ている気配はない。

院長の話だと、3日以内に何もなければ、副作用の心配はないらしい。


今日が2日目。

あと1日。


大丈夫。

俺は、おそらく大丈夫だ。


「ヒロキィ~、そろそろ行こうよぉ~」

「そうだな」


車の窓からひょこっと顔を出して、声をかけてきた女性の名は永田マキ。


そう。

マキは、俺の彼女。


少し舌足らずな喋り方が特徴的な、スタイルのいいとても綺麗な女性だ。


1ヶ月前に、普段は参加しない合コンで知り合って、そのまま意気投合。

今に至るというわけだ。


「よし、行くか」


俺は、タンポポの群れに別れを告げ、車に乗りこんだ。


さてと、今日はどこに行こうか。

マキが行きたがっていた寿司屋に行くか。

あの寿司屋は、絶品の極上マグロを出してくれるらしいしな。


マキに食べさせてやるか。



――翌日。



「社長、この書類にハンコをお願いします」

「オッケー。あっ、ミユキちゃん、髪切ったの?」

「分かります? ちょっとシャギー多めに入れてみたんです」

「うん、いい感じだよ」

「やった! ヒロちゃんに褒められた」

「コラコラ、会社では社長って呼べよ」

「あっ、また癖が出ちゃった」

「全く、おまえは」



――午後3時。


俺は、事務の沢田ミユキと他愛ない話を楽しんでいた。


彼女は、俺と年も同じで同期入社。

そのため、ずっと仲が良かった。


俺が社長になってからは、呼び方こそ変わったが、仲の良さは何一つ変わっていない。


いや、待てよ……

まあ、ちょっとした変化はあったかな……


今から、2ヶ月ほど前だろうか。

彼女が、取引先の会社の男から、付き合ってほしいと告白されたことがあった。

でも、彼女は断った。

どうやら、好きな人がいるらしい。


その話を聞いた俺は、

『それって俺のことか?』なんて言ってみたが、

『ヒロちゃんのことを好きなわけないでしょ! バカ!』

って、頭を小突かれた。

『痛いな! 何するんだよ!』

って言いながら、2人で笑い合ったのをよく覚えている。


でも、内心少しショックだった。


それは、小さな恋心。

自分でも、ボンヤリとしか分からない小さな小さな恋心。


でも、ミユキちゃんのことが気になっていたのは、はっきりと分かる。

同期入社で、俺が社長になっても、何も変わらない。

そんな関係でいられるミユキちゃんが、すごく好きだった。


だから、ミユキちゃんに『ヒロちゃんのことを好きなわけないでしょ』と言われた時は、かなり堪えたかな。


まあ、その一件があって、珍しく参加した合コンで知り合ったマキと、勢いで付き合うことになったのは確かだ。


実は、マキは今売り出し中のバラエティーアイドル。

最近は、テレビにもよく出ていて俺も鼻が高い。

連れて歩く分には、何の問題もない。


だから、俺は楽しんでいた。

今の恋を楽しんでいた。



――30分後。



俺は、会議室に移動していた。

例のマンション建設についての会議だ。

ただ、俺としては少し考えがあった。


そう。

少し部屋数を減らしたい。

ワンフロアーの部屋数を、今予定している6から4にしたい。

マンション自体の形も変える。

要は、1つ1つの部屋に独立性を持たせて、角住戸を多くしたいのだ。

そうすることによって、大型のビューウインドーも設置しやすく、採光面や部屋の見た目もグレードアップする。

でも、値段はできるだけ変えたくない。

今の価格のまま、買い手に提供して、より喜んでもらいたい。


これが、俺の考えだった。



「小川さん」


俺は言った。


「以上が、私の考えです。まだ変更は間に合いますよね?」

「ええ。さっそく、そちらの方向で話を進めていきます」

「よろしくお願いします」


では、終了します、と言って俺は席を立った。


みんな、席を立ちながら仕事に関する話をしている。

いい光景だ。

やっぱり、こういう皆の頑張りがあって、この会社は成り立っている。

つくづく皆に感謝だ。


さてと、俺も部屋に戻って、別件の企画書に目を通すか……



――その時だった。



《全く……》



え?



《これだから、二世社長は分かってないんだよな……》



な、なんだ……?



《角住戸を重要視するんじゃなくて、会社の利益を優先してほしいもんだ。部屋数を少なくするなんて馬鹿馬鹿しい》



なんだ?

これはなんだ??



え!?――



俺は、周りをキョロキョロと見渡した。

だが、全員、ボソボソと談笑はしているが、そんなに大きな声では喋っていない。

でも、俺には聞こえてくる。

はっきりと、大きな声で聞こえてくる。


ちょ、ちょっと待てよ……この声は……


小川さんの声だ。


「えっ!?」


バッ!


俺は、慌てて小川さんのいる方向へ振り返った。

でも、小川さんは何も喋っていない。

1人黙々と、資料を眺めている。


なんだ?

気のせいなのか?

俺は何がなんだかよく分からなかった。


――すると、その時。



《まあ、社長が言うんだから、しょうがないけどな》


あっ……



《だけど、こんなことでこの先大丈夫なのかね~》



ま、まただ……



《先代の社長のようになってほしいが、はてさて、どうなることやら》



や、やっぱりそうだ……

間違いない……


それは、まさしく小川さんの声。

でも、小川さんは何も喋っていない。

だが、やはり、はっきりと聞こえてくる。


「も、もしかして……」


俺の中に、1つのとんでもない考えが浮かんだ。



『心の声』



聞こえてくるのは、小川さんの心の声なんじゃないのか。


すぐに、そういう結論に達していた。


「で、でも……」


そ、そんなことがあるのか!?

ありえない。

そんな超能力みたいなことありえない。

今まで普通に暮らしてきたのに。


だが、昔、マンガで読んだことがある。

超能力というのは、ある日突然、何かのきっかけで発症すると。

でも、それはあくまでもマンガの話……


「あっ……」


ま、待てよ……


『何かのきっかけ』


え……きっかけ……


「あっ!」


あった!

大きな大きなきっかけがあった!


副作用。


そう。

あの病院で花粉症治療をした時の、副作用としか考えられない。


「う、うそだろ!」


ダダッ!


俺は急いで部屋を飛び出し、誰もいない休憩室に駆け込んだ。

そして、椅子に座ると、ブルブルと奮えが止まらなくなっていた。


「お、落ち着け、とにかく落ち着くんだ……」


頭を抱え、何度も自分にそう言い聞かす。

だが、唇もガタガタと奮え、言葉すらうまく喋れない。


「た、た、確か……」


ブルブル。

ガタガタ。


あの時、院長はこう言っていた。


『今まで自分が気になっていたことに対して、アレルギー反応が出るかもしれない』


と。


「ま、まさか!」


ブルブル。

ガタガタ。


これが、俺のアレルギー反応だって言うのか!?


今までの他の患者は、嫌だったタバコの匂いで涙が少し出るようになったり、

あまり好きではない食べ物を食べて、歯茎が痛くなったりとか、その程度のものだったのに。


俺は、 こんなアレルギー反応が強く出てしまったのか。


『人の心の声』に対して、こんなに普段から気にしていたのか!?


「ちょ、ちょっと待てよ……」


じゃあ、俺は以前から『人の本音』をすごく気にしていたことになる。

今までは、なんとも思わなかったが、体の奥底では本当は拒否反応を示していたんだ。


人の本音に対して。


「あぁ……」


そうだ。

そうに違いない。


俺は社長になってから毎日、頑張ってはいたものの、常に人のことを気にしていた。

周りはどう思っているんだろう。

何の苦労もなしにのし上がった俺を、社長と認めてくれているんだろうか。

こんなことばかりを考えていた。


あぁ、だからか。

だから、副作用で現れたんだ。


『人の本音が気になる』ということに対して、体が敏感に反応し始めたんだ。


「ど、どうしよう!」


こんな声を聞きながら日常生活を送ってたんじゃ、精神が崩壊してしまう。


何か、何か方法はないのか……


――その時だった。


「あっ!」


俺は、あることを思い出した。


『笹木耳鼻咽喉科』


花粉症を治療してくれたあの病院なら、この副作用も治せるかもしれない。


確か、院長はあの時、


『副作用が出た場合も、治療の方法はある』


と言っていた。


そうだ!

それしかない!

とにかく、あの病院に行こう!

院長なら、何とかしてくれるかもしれない!


「よ、よし!」


俺は、休憩室を飛び出し、病院に向かおうとした。


――すると。



〔では、本日のゲストはこの方、永田マキさんで~す〕

〔どうもぉ~、こんにちは~〕



「あっ……」



ピタッ――



急いでいた俺の足が、急ブレーキをかけてしまった。



〔今日は、マキちゃんにいろんなことを聞いちゃうからね~〕

〔え~、いやだぁ~〕



「マキ……」



テレビの中にマキがいた。

そう。

休憩室のテレビに映るバラエティーのトーク番組に、マキが出演していた。



〔マキちゃん、今、彼氏はいるの?〕

〔やだ~、最初からそんな質問ですかぁ~、私、そういうのは内緒です~〕



マキは、若手芸人に恋愛のことでいじられていた。

そういえば、今日は生放送のトーク番組があるって言ってたな。


「マキ……」


俺は、無性にマキに会いたくなった。

あの舌足らずの甘えたような喋り方が、すごく恋しくなった。


あぁ。

不思議だな。

まだ付き合って2週間ぐらいなのに。

俺の中でマキが、どんどん大きくなってくる。


会いたいよ。

会いたくてたまらないよ。


「マキ……」


良かった。

本当に良かった。

こんな風に精神が落ち込んだ時、彼女がいてくれるというのは、本当にありがたいもんだ。

自分だけを見てくれる人がいるというのは、本当に力になる。


あぁ、マキ。

おまえに会いたいよ。

「マキ……会いたいよ……」


しばらくの間、テレビ画面の中のマキを呆然と眺めていた。

早く病院に行かなくてはいけないのに、画面の中のマキに、心のやすらぎを求めていた。


「よし、行くか」


俺は、頬をパンパンと叩き、気持ちを切り替えた。

早く、病院へ行って治してもらおう。

そして、マキに会いに行こう。


不思議だった。

何も状況が変わっていないのに、なぜか少しだけ、前向きになっていた。


それは、おそらく愛の力。

マキに愛されているという気持ちが、少しだけ元気を与えてくれていた。



――しかし、その時。



《フフフ……》



え……?



《楽しいわ……》



これって……



《ほんと、毎日が楽しいわ……》



マキの心の声……?



《私は当分、楽しい暮らしが出来そうだわ》



……?



《まさか、合コンであんな金づるを捕まえることができるなんて、まさに棚からぼたもちってやつね》



え……?



《でも、あんなレベルの男じゃ満足できないわ。いつかは、すごいセレブをゲットしたいから、ずっと付き合うつもりなんかないけどね》



う、うそだろ……



《とにかく、いつ別れてもいいように、マンションの1つでも買わせておかなきゃね》



あぁ……



ストン。



俺は、ヘナヘナと空気の抜ける風船のように、床に座りこんでしまった。


「マ……キ…………」


力が入らない。

手の小指さえ、動かすことができない。


そう。

俺の頭の中に、また声が聞こえてきた。

それは、いつも聞いていた、あの舌足らずの口調ではなかった。

その言葉の1つ1つは、何の愛情も感じられない冷酷かつ鋭利な刃物のように俺の心に飛び込んできた。


グサッ!

グサッ!


と心臓に突き刺さり、息の音を止められるような感覚だった。


それは、明らかにマキの本音。

マキの心の声だった。


聞こえ始めたのは、マキの恋愛話になった時。

無言で微笑むマキの顔が、テレビ画面にアップになった瞬間だった。


「ああ……」


なんてことだよ……



まさか、テレビを通しても心の声が聞こえてくるなんて。



「あぁ……」


ダメだ。

もう、病院に行く気力さえも残っていないや。


俺は、床に座りこんだまま、全身に少しの力も入らなかった。


人形。


まるで俺は、ゴミ箱に捨てられた、綿の出たつぎはぎだらけの人形。

自分が、誰からも相手にされない、存在価値のない人間のように思えてきた。


ダメだ。

もうダメだ。



パリン!

パリン、パリン!



心が、どんどんと音を立てて割れ始めた。

精神の崩壊。

繊細なガラス細工のインテリアが、ハンマーで粉々に砕かれるように『パリン、パリン』と激しい音を響かせ、俺の精神は崩壊し始めていた。


ダメだ……

もうダメだ……



パリン!

パリン、パリン!



あぁ……



パリン!

パリン、パリン!



もう……ダメ……だ……



――すると、その時!



「ヒロちゃん、どうしたの!?」


あっ……


「何かあったの!?」


ミユキちゃん……


俺に声をかけてくれたのは、ちょうど休憩室にやってきたミユキちゃんだった。


「どこか具合でも悪いの!?」


ミユキちゃんは、心配そうに、俺の背中をやさしくさすってくれた。


「ミユキちゃん……」


ポロリ。

ポロリ、ポロリ。


その瞬間、目から涙が流れ始めた。

それは、色んな感情が混ざり合った涙。


もちろん、1番、割合を占めるのは、こんな体質になってしまったことに対して。

そして、あとは、人の本音を聞いてしまったから。

小川さんやマキの声を聞いてしまったから。


さらには、この副作用が治らなかった場合、これから先、起こるであろう、人との関わりを想像したことに対する恐怖。


「うぅ……」


ポロリ。

ポロリ、ポロリ。


「ミユキちゃん……」

「ヒ、ヒロちゃん……?」

「う、うぅ……」


ポロリ。

ポロリ、ポロリ。


気づけば俺は、ミユキちゃんに抱きついて、声をあげて泣いていた。


――すると。



《大丈夫、大丈夫だから……》



あっ……



《私が側にいるから……》



この声は……



《私は、ずっとヒロちゃんの側にいるから……》



それは、紛れもなくミユキちゃんの心の声だった。


あぁ、なんだろう。


なんで、こんなに落ち着ける気持ちになれるんだろう。



ぺタ――

ペタ、ペタ――



あぁ。

治っていく。

粉々に砕かれた俺の精神が、やさしい接着剤で『ペタ、ペタ』と一気に張り合わされていく。


初めてだった。

こんなに安らげる心の声を聞けたのは初めてだった。


あっ、そういえば……

心の声が聞こえてくる時というのは、その人の本音を知りたがっていた時だけ。


俺が気づかないうちに、自分の心が知りたくてたまらなかった時、この声は聞こえてくる。


でも、おかしい。

確かに、小川さんの本音は知りたがっていたかもしれない。

俺が社長になったことを、小川さんは本当はどう思っているんだろう。

そういうことを、ずっと知りたがっていた。


そして、マキにしてもそうだ。

俺のことを本当に好きなんだろうか。

そのことばかりを、いつも気にしていたように思う。


じゃあ、ミユキちゃんは?


俺は、ミユキちゃんに対して何を気にしていたんだろう?



《ヒロちゃん……》



あっ……まただ……また、ミユキちゃんの心の声が聞こえてきた。



《私は……ずっとヒロちゃんのことが好きだよ》



え……?



《ずっとずっと、好きだよ》



い、今のって……



「ミ、ミユキちゃん……?」


俺は、涙を拭いながらミユキちゃんに声をかけた。


「ミユキちゃん……俺のこと好きだったのか?」

「え?」


ミユキちゃんは、目を丸くした。


「な、何言ってんのよ」

「頼む!」


俺は叫んだ。


「本当のことを言ってくれ! 俺は知りたいんだ!」

「え? ど、どうしたの?」

「お願いだよ……お願いだから……」


気づくと、ミユキちゃんの肩を強くつかんで、懇願していた。


おかしなお願いをしているのは、自分でもよく分かっている。


分かってる。

分かってるさ。


でも、知りたいんだ。

俺のことを本当に思ってくれている人がいるのか、ミユキちゃんが、どう思っているのか、 俺は知りたいんだ。



「わ、私は……」


少し迷ったあと、ミユキちゃんは、頬を赤らめ照れながら言った。


「ヒロちゃんが好きだよ」

「え……?」

「一緒に入社した時から、ずっとずっと好きだったよ」

「で、でも」


俺は、涙を拭いながら言った。


「前に聞いた時は、好きな男は俺じゃないって……」

「ヒロちゃん……」


ミユキちゃんは、クスッと笑った。


「馬鹿だな……」


え……?


「そんな簡単に、本音を言えるわけないでしょ」


ミユキちゃん……


「私の気持ちに気づいてくれるのを、待ってたんだよ」

「そうだったんだ……」



フワリ。

フワリ、フワリ。



まるで、体に風船が取り付いたように、一気に心が軽くなった。

と同時に、さっき失った力が、スーッと体に戻ってくるのを感じていた。


ありがとう。

ありがとう、みゆきちゃん。

俺は、きみに救われたよ。

いや、ずっと支えられてたのかもしれない。

きみのやさしさにずっと守られていたのかもしれない。


「良かった……本当に良かった……アレルギーに感謝だ……」

「え? アレルギー?」

「あぁ……」



だって、きみの本音に気づくことができたんだから。



感謝だよ。

このことだけは、本当にアレルギーに感謝だよ。



――30分後。



「院長! 院長!」


会社から汗だくになって走ってきた俺は、笹木耳鼻咽喉科に駆け込むなり声を張り上げた。


そして、ことの成り行きを詳しく説明した。

院長は、もちろん快く治療を引き受けてくれた。


だが、やはり、院長自体も驚いていた。

最初は『勘違いじゃないのか?』と、そんな感じで疑ってさえいた。

いや、結局、今もそう思っているのかもしれない。

でも、まあ、いい。

治してくれるって言ってるんだから。


「では、処置方法ですが……」


院長は、前と同じく眼鏡をクイッと上げながら言った。


「花粉症時のあなたの鼻や耳、口、目の周りの細胞を培養したのが、こちらにあります。前に少し説明しましたが、副作用がひどかった時に、取っておいたものです」


そして、と院長は言った。


「副作用に耐えられないということですので、これらの細胞を移植します」





ただし、と院長は言った。


「もう1度、花粉症は再発すると思いますが、よろしいですか?」

「ええ、かまいません」


俺は、即答で頷いた。


あぁ。

戻れる。

俺は元に戻れるんだ。


人の心の声が聞こえなくなるなら、花粉症が戻ってきたって全然構わない。


だって、花粉症の時は、人が恐いなんて思わなかったんだから。


まさか、本音が聞こえるのが、ここまで恐いものだとは思わなかった。


良かった。

これで俺は、元に戻れ……



《そうか……》



え……?



《そんな副作用が出るなんて、想像してなかったな……》



あっ……

これは……



《この人の勘違いかもしれないが、とりあえず、一刻も早く処置は施さないとな……》



頭の中に、また声が聞こえてきた。

それは、院長の心の声だった。


おそらく、さっき『副作用のことを本当に信じてくれてるんだろうか?』と思ってしまったから、院長の心の声が聞こえてきたのだろう。


ハハッ。

なんでだろう。

あんなに嫌で嫌でたまらなかった心の声が、もうあまり気にならなくなったな。

おそらく、すぐに治療してもらえるという安心感だろうな。


そして、なんだか、少し嬉しかった。

なぜなら、院長が俺のことを心配してくれていたから。


あぁ、嬉しい。

ミユキちゃんの時といい、こういう声が聞こえるのが、この副作用の特権なんだよな。


良かった。

最後にいい声が聞けて。



《でも、これはついてる……》



あっ……



《ついてるぞ……》



まただ……

また院長の声が聞こえてくる。



《この患者は、三浦建設の社長だからな……》



え……?



《前よりも高額な料金を提示しても大丈夫だろう……》



う、うそだろ……

この人もかよ……



「ハア……」



俺は、深くため息をついてしまった。

それは、言うまでもなく、俺にとって聞きたくのない心の声だった。



あぁ。


やれやれ。

なんてこった。




やっぱり、人の本音なんて聞くもんじゃないな。


――2週間後。



「ハ……ハクション!」


春の風に乗って運ばれてくる花粉で、くしゃみが止まらない。


おまけに今日は、鼻水もズルズル、目のかゆみも止まらないときたもんだ。


副作用を治す治療をしてから、心の声は全く聞こえなくなった。

まあ、その代わり、重度の花粉症は戻ってきたが。


でも、まあいい。

心の声が聞こえるよりは、全然ましだ。


そして俺は今、例のマンション計画の土地に来ていた。


「ハクション!」


ふう。

まいったな。

やっぱり、外に出ると、くしゃみが止まらなくなるな。

おそらく、花粉症の神様はこう言っているだろう。


『また、これからも末永くよろしくね。お互いベストを尽くして戦いましょうね』


と、ライバルにしか差し出さない固い握手を求められているようだ。


「ティッシュはどこだっけ……」


俺は、流れ出す鼻水をせき止めようと、ポケットの中を探し始めた。


――すると、その時。


「社長」


一緒に来ていた小川さんが、車を下りながら言った。


「本当に、この土地の計画を白紙に戻すんですか?」

「そうです」


俺は、長く伸びた草を見ながら言った。


「建設反対の意見も出てきましたので」

「そうなんですか? それは初耳です」


もしかして、と小川さんは言った。


「近隣住人から苦情が来ましたか?」

「ええ、まあ……」

「なるほど……では、この土地はどうするおつもりで?」

「それは……」


俺は言った。


「まだ、分かりません」

「そうですか」

「子供たちが巣立ってから、また考えます」

「え??」


小川さんは、キョトンと目を丸くした。


「社長、子供なんかいましたっけ?」


あっ……


「結婚もしてらっしゃらないですよね?」


し、しまった……


「どういうことですか?」

「い、いや、その」


俺は、慌ててごまかした。


「なんでもないです。とりあえず、車に戻りましょう。僕もすぐ行きますから」

「は、はあ」


小川さんは、首を2回ほど傾げながら車に入った。


ハハッ。


心の声が聞こえなくなった今でも、小川さんの本音は、はっきりと聞こえてくる感じだ。


『何のプランもなしに白紙に戻すなんて、この社長は、やっぱり何を考えているのか分からない』


そういう本音が聞こえてくるようだ。


でも小川さん。

僕は負けませんからね。

いつか、この会社に似合う社長になるまで、誰からも認められる社長になるまで、僕は精一杯走り続けますからね。


「よし、頑張るぞ……」


俺は、再び花粉症になった鼻をすすりながら、自分の心につぶやいた。


そして実は、あれからマキとは別れて、ミユキちゃんと付き合っている。

ゆくゆくは、結婚も見据えている。

将来は、子供がいっぱい欲しいなんて話までしている。


と言っても、別にさっきの小川さんの会話とは全く関係ない。


実は、この土地の問題や、子供どうこうという話は、もっと別の所にある。


「今日は、どうかな……」


俺は、土地の奥のほうに目を向けた。


――すると、その時。



《こんにちは》



あっ……



《風も気持ちいいし、いい天気ね》



おっと。

今日も向こうから挨拶されちゃったな。



《ありがとう、私たちを守ってくれて》



ハハッ。

礼なんか言うなよ。

別に気にするなよ。



《子供たちが、元気に私たちの元を離れるまででいいからね。ごめんね。私たちはこの場所が好きなの》



いや、こっちこそ、すまないな。

でも、なんとかいい方法を考えるよ。



《ありがとう》



だから、礼なんか言うなよ。



「ハハッ……」



俺は、草がぼうぼうと生い茂る土地の奥に向かって語りかけていた。


その場所には、タンポポの集団がいた。



やれやれ。

まいったな。

さすがに、これは想定外だな。

誰にも言えない秘密はまだ続くのか。


まさか、この間の治療でも副作用が出るなんて。


『副作用』を治す治療で『副作用』が出るなんて。



まさか……




今度は『花の声』が聞こえるようになるなんて。




「ふう……」


やれやれ。

そりゃ、建設もいったん、白紙に戻したくなるよ。


タンポポたちが、一斉に反対運動を起こしたんだから。


とにかく、また、病院に行かなくちゃいけないな。

でも、まあ、いいか。

おかげで、花の気持ちが少し分かったしな。


「今は、安心していいからな……」


俺は、タンポポの群れにそっと話しかけた。


分かったよ。

君たちが、今の黄色い頭から真っ白い頭になって、子供たちが、元気に風に乗って、どこか遠くへ飛んでいくまで待ってやるよ。


守ってやるよ。

君たちの声が聞こえるのは、俺しかいないんだから。


やれやれ。

こんなことで、マンション計画を白紙に戻してるんじゃ、やっぱり俺は社長失格なのかもな。


でも、いいんだ。

色んな声に耳を傾けるのが、俺のモットーなんだから。


きみたちの声は、ちゃんと届いているからね。


だから、タンポポくん。

今は何も心配せずに、楽しく暮らしていいんだよ。




君たちの思いは、しっかりと俺の心に届いているから。





その思い





確かに、俺に伝わったから






【END】







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思いよ、伝われ ジェリージュンジュン @jh331

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