第29話 動物園の主3
三撃目は、すぐには来なかった。灰色熊は、エナと距離をとったまま、ゆっくりと横に動いている。
相変わらず広場に陽の光はさしていて、水路のせせらぎの音も、はるか南にある霊峰ポポカテペトルから吹いてくる風の音も、まだちゃんと聞こえている。
突撃錠の副作用で
ただ、風も空気も光も、なにもかもが固く重い。
死臭は狂気に、狂気は恐怖に。妖気と邪気は、瘴気を生んで動物園に満ちて、どこまでも正気を狂わそうとして皮膚から染み込んでくるかのようだった。
呼吸法で浄化した
長く長く息を吐きながら、右手の拳に集中すると、気の流れは螺旋を描いて集まってくる。
雷転瞬動。
自然と、まるで無意識に体が動いていた。
灰色熊の右側に回り込み、肋間から心臓に向かって拳を当てる。
石砕の最上位術、虚砲。
どんっ、と重い音を響かせながらきれいに入った。一瞬だけ、灰色熊の体が浮き、動きが止まった。
球技大会で使う、生ゴムの塊を殴ったような手応えだった。そして、効いていない。
虚砲は、衝撃を内部に浸透させる技で、無効化できないはずだった。
それを毛皮と筋肉と脂肪で防いだ。いや、術も使われた。灰色熊は、なにかの術を得ている。大いなるものなら、そういうこともあるだろう。
雷転瞬動が切れた隙を突いて、牙がエナの首すじを狙ってくる。とっさに瞬転で逃げた。
紙一重で躱し、石砕を灰色熊に叩き込む。弾き返される反動を利用して、大きく横に飛んで距離をとった。
今の動きは、ギリギリ見えた。
そして、やはり勝ち筋は見えない。
たとえ全力の双極が直撃したとしても、片脚さえ千切れる気がしない。毛皮と脂肪と筋肉が、それぞれ個別の装甲のようになっていて、打撃を完全に弾いている。
一歩で灰色熊が、目の前に来た。左の爪。気を読んで、動作を先読みしても動きがとてつもなく速い。
切られた前髪が数本、宙を舞っている。
それを見て、攻撃を躱したことを理解した。
汗に
残りの突撃錠も全部口に放り込み、噛み砕いて飲み込んだ。
幻覚。
強烈な薬は、なぜか口に入れた途端から作用する。
地面が揺れ、木々が揺れ、風が歪む。
全身が熱く、同時に冷たい。
見えるものすべてが伸び縮みし、揺れ動き、表情を得て
同時に、気を抜けばすぐさまにでも破裂してしまいそうなほどの力が体の中で暴れ出した。
拳を精一杯握りしめて、歯を食いしばるしか出来ない。歯茎から血がにじみ、爪の間や眼の端、体の末端が圧力に耐えかねて出血し始めた。
濡れているのが、汗なのか血なのかさえももう分からない。
頭痛と
突如、底なしの闇を集めたような塊が見えたと思った瞬間、全身がどっぷりと飲み込まれた。
上も下も、左右もなにもかもが分からない。
ただただ、どこか奥に向かって落ちて行く感覚だけがある。
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