付録 アステカ年表
1168年 メシカ族、移住生活の始まり。(アステカ一族は、自らのことをメシカ族と呼んだ)
1215年 メキシコ盆地に移住。
1323年 強大な周辺諸部族により、テスココ湖の島(及び湿地帯)に追いやられる。
1325年 その島に首都テノチティトランの建設を開始。同時に、数キロ北の島に姉妹都市となるトラテロルコの建設も始める。
1428年 テノチティトラン、テスココ、タクバの三都市は三国同盟を締結し、近隣諸部族を打ち破る。
1430年 第四代国王イツコアトル、メシカ族の王国支配を確立。三国同盟の実権を握る。
1440年 モクテスマ一世(四十歳)、王位に就く。大神殿の建設に着工する。アステカ王国建国の父と後に呼ばれる。
1446年 イナゴが大発生して、作物を食い荒らし大飢饉となる。
1449年 大洪水で首都テノチティトランが浸水。被害甚大。
1450-1454年 霜による作物の壊滅的打撃。
1455年 オアハカ地方征服。
1458年 ベラクルス(メキシコ湾岸)地方征服。
1473年 姉妹都市トラテロルコ反乱。モクテスマ一世の後継者アシャヤカトル王により鎮圧。自治権をテノチティトランに移譲。
1476年 トルカ盆地征服。
1487年(葦の8の年) テノチティトラン大神殿落成。祝宴が催され、四日間で八万四百人を生け贄に捧げた(とされるが、誇張であり数千人でないかとする説もある)。
1519年 モクテスマ二世王、スペイン人のコルテス上陸の知らせを受ける。平和の神ケツァルコアトルが古き予言の通り、帰還された思い王宮に招く。
1520年 モクテスマ二世王、コルテスに捕らわれ幽閉中に死去。後継者クィトラワクも死去。モクテスマの娘の夫であったトラテロルコ市長のクワゥテモク(二十歳)が王位を継いで、抵抗活動を開始。スペイン人をみな殺しにするために、彼らが立てこもるテノチティトランの王宮を包囲。
1520年6月30日「悲しき夜の撤退戦」https://kakuyomu.jp/works/16816452219116041558
月のない土砂降りの夜、スペイン人征服者達はテノチティトラン脱出を試みる。深刻な痛手を被りながらも、なんとか湖岸にたどり着く。
トラスカラ(反アステカ勢の街)まで撤退し、テノチティトラン徹底攻撃の準備に入る。
スペイン人征服者コルテスは、アステカの三国同盟の不和対立を利用し、メシカ族包囲網を広げていった。
それに対し、クワゥテモク王は同盟国を糾合することに失敗。服従させていたテスココ国、チャルコ国、テパネカ国の諸部族はすべてスペイン人に味方した。
しかし、諸部族の領主たちも、スペイン人征服者の野心と力量を過小評価していた。自分たちが次の犠牲者になるとは夢にも思っていなかったのである。
1521年4月13日 スペイン人征服者であるコルテスは、丸三ヶ月にも及ぶ首都テノチティトラン包囲戦のすえ、家屋という家屋、壁という壁すべてを破壊しながら侵攻し陥落せしめた。クワゥテモク王は捕えられ、ほとんどすべてのメシカ族が死に絶えた。
1522年 コルテス、スペインの皇帝カルロス五世よりヌエバ・エスパニャ(現在のメキシコ)の総督兼総監に任ぜられる。
1525年 最後の王となったクワゥテモクは、陰謀を企んだ口実で絞首刑に処せられ、メシカ族の抵抗戦も終結した。
その後、1540年代まで政治的空白、恣意的専横が一切を支配した。征服者は町を略奪し、先住民を奴隷とし焼印を押し搾取した。
また、テノチティトラン包囲戦の頃より、スペインから持ち込まれたチフスと天然痘が流行しだした。
疫病はメキシコ全土に広がり、途絶えることなく猛威を振るった。
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