消えた思い出【1P短編】
ジェリージュンジュン
☆
消したい
消したい
全て消えて無くなればいい――――
* * * *
「なんで……なんでなの……」
クシャ――――
クローゼットの中にそっと置かれている、綺麗にラッピングされたネクタイを震える手で握りしめた。
「もしかして、これは……私の知らない……」
昔の彼女からのプレゼントかも、とボソッと呟き、両手にめいいっぱいの憎しみを伝わらせる。
グシャ!――――
全てを破壊したい。
そんな思いを一気に乗せると、包装紙の鮮やかな色彩のチェック柄は、一瞬にして、シワシワのボロ紙に成り果てた。
「こんなに大事に置いておくなんて……もう、その元カノのとこに行けばいいのに……」
うわぁぁん、と、まるで小さい子供のような大きな泣き声をあげながら、うずくまっている。
そして、何も言わずにただただ、半分開いた部屋のドアの影で立ち尽くす春哉がそこに居た。
* * * *
「なんで……なんでなんだ……」
クローゼットに隠していた、きらびやかな包装紙のプレゼントが、今はゴミ箱の中。
捨てられた黄色いネクタイを見つめながら、俺はしばらく考え込んでいた。
俺の名前は、安堂春哉(あんどうはるや)。
妻の美鈴(みれい)と結婚して、ちょうど1年ぐらいになる。
「これから、ずっと……こうなのか……?」
描けない未来への不安が、気を抜くとふいに大きな塊になって襲ってくる。
今後の美鈴と、どう付き合っていけばいいのか。
先のことを考えると、やっぱり少し、いや、かなり立ち止まってしまう自分がいるのは確かだった。
この前の会話は、今でもはっきりと覚えている。
あれは、俺が仕事から帰ってきた時。
書斎に置いていたチェック柄の包装紙を手に持った美鈴が、怒りと絶望が同居するような顔で俺に近寄ってきた。
『ど、どうしたんだ……?』
『何、これ? いったい、誰にもらったの?』
『え……あっ、いや……それは、その……』
『……』
『そ、その……』
『そう……言えないんだ……』
『い、いや、その……それは…………』
『言えないんだ!』
バン!!
そのプレゼントを床に叩きつけると同時に、
『許せない! さっさと捨ててよ、こんな物!』
美鈴は足早にその場を離れた。
『もう嫌だ! 私以外の別の女との思い出なんか!』
全部、消えてしまえばいいのに!――――
怒りに身を任せ、甲高い美鈴の叫び声だけが、しばらく響き渡っていた。
『み、美鈴!』
俺は言いたかった。
大きな声でこう叫びたかった。
それは、おまえが俺にくれたものなんだ――――
だが、言えない。
どう伝えていいか、考えがまとまらない。
喉元まで出かかったこの言葉を、慌ててグッと飲み込んだ。
そう。
そのネクタイは一週間前、俺の誕生日に美鈴がくれたもの。
実は美鈴は、若年性アルツハイマーという病気にかかっている疑いがあった。
1ヶ月ほど前から、どうも様子がおかしいと思い、幼馴染みで今も一番の親友、浩二(こうじ)に相談した所、この話を聞かされた。
ちなみに、浩二は医者。
俺にはまだ話が飲み込めていないが、生粋のエリートで、その分野が本職の浩二の助言だから信頼できる。
そして、美鈴は自分の病気のことについては、まだ知らない。
一応、浩二が言うには、軽度ということらしいけど、これから先、悪化する可能性は多いにある。
まぁ、俺には、色んなことを忘れていく……ぐらいにしか、まだ良く分かっていないが。
だって、そりゃそうだろ。
こんなことになるなんて思ってもいなかった。
分からないことだらけだ。
「美鈴……」
俺はそっとゴミ箱から、クチャクチャになって汚れたネクタイを取り出した。
「俺は……どうしたら……」
目から自然に涙が流れてきた。
今まで、あいつの前で泣いたことなんかないから、見られたら大変だ。
また、昔の女が忘れられなくて泣いてる、なんて、いちゃもんつけられてもたまらないしな。
「美鈴……」
ポツポツと小さな涙の粒が落下すると、それを受け止めるように、手に持ったネクタイに染み込んでいく。
大丈夫だからな。
何度、俺との思い出が消えても、ずっと俺が守っていくから。
また、一から恋をして、思い出を作っていくから。
「なぁ、美鈴……」
これから、大変なことが色々と起こるかもしれない。
でも、頑張るからな。
ものは考えようだよ。
明るく前を向けばいい。
記憶が消える度に、恋人だったあの頃のように、喧嘩して仲直りして抱きしめあって。
あんな気分をまた味わえるなんて、素敵じゃないか。
「だから……」
安心して、忘れていいから。
思い出なんか、消えちゃっていい。
俺が作りかえるから。
消えた思い出以上の、最高の思い出を――――
* * * *
「えぇ……順調よ……頑張ろうとしてるけど、そのうち、白旗を上げると思うわ……」
じゃあ、また連絡するね、と言い残して、私は会話を終わらせた。
私の名前は安堂美鈴。
ちなみに、電話の相手は、エリート医師の浩二。
夫の幼馴染み。
そして、私が今、最も愛している相手――
一目惚れというのか、最初から浩二に惹かれている自分がいることは分かっていた。
でも、春哉と結婚したあとに知り合ったのだから、どうしようもない。
だからだ。
だから、浩二とこの大芝居を仕掛けることにした。
浩二も私の気持ちに答えようと、春哉に嘘の病気を信じこませ、この演技に協力してくれている。
そして、今の所、順調に計画は遂行。
もっと私に疲れを感じたら、症状が軽いうちに離れようとするかもしれない。
もしくは徐々に距離をあけ、どこかの女と浮気でもするかもしれない。
私たちは、そういういくつかの可能性を狙っている。
「待ってて、浩二……もうすぐ、一緒になれるから……浩二……」
愛してるよ。
今までの思い出は消し去って、少しでも早くあなたの元に飛び込むから――――
* * * *
「ついに、一緒になれるね……」
僕は、美鈴さんに電話をしながらも、気づけば独り言のようにつぶやいていた。
まあ、それだけ、気分が高揚していたんだろうな。
僕の名前は、五十嵐浩二。
職業は、医者をやっている。
「あぁ……もうすぐ……もうすぐ、もしかしたら……」
ついに、愛する人が手に入るかもしれない。
そう考えると、自然と恋い焦がれた長き思いが込み上げてくる。
振り返れば、今まで何度も、淡い思い出を心の中から消そうとした。
叶わない恋なら、いっそ全て消えてしまえばいいと、そう思っていた時期もあった。
でも、ありがとう。
ありがとう、美鈴さん。
きみと力を合わせたおかげで、僕の心は満たされようとしている。
誰かに取られるなんて、誰かのものになるなんて、やっぱり僕には耐えられない。
幼い頃から、ずっと隠しながら抱いてきた、この恋心。
誰にも言えない恋心。
あぁ。
愛してる。
僕はきみのことを、永遠に愛してるよ。
愛してるよ、春哉――――
【END】
消えた思い出【1P短編】 ジェリージュンジュン @jh331
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