第32話 後輩ちゃんは、時々容赦がない

 西暦2134年、8月6日。午前7時12分。

 この日は午前中からサークル活動があって、俺たち天文サークルのメンバーは東京駅の待合室に集合していた。サークルのメンバーは欠伸をしたり寝ぼけている人も居れば、爛々と目を輝かせてうずうずしている人もいる。

 こんな朝早くに集合したのは訳がある。実は、小野崎さんと山田さんが夏休みを利用して、もっと天文の知識を深めようと茨城県つくば市にあるつくば宇宙センターの見学ツアーを予約してくれたんだ。


 あそこは関東で最も大きな研究学園都市で、打ち上げられた探査船や月に建造された大型の研究基地・《マキシマ》から送信されたデータを日々解析し、宇宙に関わる様々な謎を解き明かすべく実験や検証をしている。

 最近では、宇宙に漂う暗黒物質ダークマター理論の証明、かつて発見されたグリーゼに代わる新たな地球型惑星の発見などで世間を大いに沸かせた。

 また、西暦2100年にマスドライバーが建設されてから、種子島宇宙センターと並んで国内で建造された探査船や掃宙艇を宇宙そらに上げるための重要施設としても役割を果たしている。


 かく言う俺も、興奮で昨日はあんまり眠れなかったから、少しばかり寝不足気味だ。

 あそこにはもう、何度も行っているというのに。


 「先輩、おはようございます」


 プトレマイオスをタップしてメモ帳を起動していると、たむろする後輩の輪から早坂が俺の所まで歩いてきた。


 「おはよう。早坂、あんまり眠れなかったろ」

 「あはー、先輩には分かっちゃいますか」


 そう言って笑う後輩ちゃんも、随分と眠そうだ。

 そりゃ分かるに決まっているだろ。いつもよりも瞼が下がっているし、喋り方もふにゃふにゃしていて幾分か幼い。

 きっと、俺と同じように興奮して眠れなかったんだろうな。向こうに着くまでに、電池切れにならなければいいけど。


 「今日はですね、宇宙センターに停留している掃宙艇が見たくて」

 「『ゆきかぜ』だったっけか。確か、艦長は女の人だったよな。名前は――」

 「石川いしかわ輝紅ルビー艦長ですよ。学者から航空自衛隊に入った人で、30代で掃宙艇の艦長を任される凄い人です」

 「ああ、そう言えばそうだった。確か、父親が東亜宙工の社長なんだっけ」


 思い出した思い出した。

 確か、社長の名前が石川いしかわ雅之まさゆきで、国内ではまだまだ小規模だった宇宙開発産業に積極的に乗り出して、宇宙船の造船を一手に引き受けてるんだっけ。

 しかし、学者から自衛隊かあ。父親も凄いけれど、輝紅艦長もまた凄いバイタリティの持ち主だな。


 「今日が晴れてよかったです。雨だったら、じっくり近くで見ることなんて出来ないでしょうから」


 そう言う後輩ちゃんは、待合室のモニターに映し出される、東京の街並みを見ていた。空はどこまでも蒼く澄み渡っていて、今は役目を終えてモニュメントと化している旧東京スカイツリーの向こうに富士山が見えている。

 今日も、熱くなりそうだ。ふと、俺は横にいる後輩ちゃんを見下ろす。


 「? なんですか、先輩」

 「いや。今日は、随分と可愛い服を着ているんだなって。髪型も凝ってるし」


 後輩ちゃんの今日の服装は、花柄の入った白いオフショルダーのボトムスに、膝丈の青のチュールスカート。首元が大きく開いているから、後輩ちゃんの鎖骨がみえるし、キラリと光るシンプルなアクセサリーがより大人っぽく見える。

 歩き回ることを想定してか、流石に靴はスニーカーだけれど、サークル活動の時はいつも下ろしている髪にパーマをかけてふわっとさせている。

 紫外線対策にキャスケット帽を被ってきているけれど、後輩ちゃんの可愛さが損なわれることは決してなくて、大人っぽいのに可愛い。

 そんなアンバランスさが後輩ちゃんの魅力を余計に引き立たせているように見えた。


 「か、可愛っ!? そんな、いきなり言わないで下さいよ。照れるじゃないですか……えへへへぇ」

 「ちょ待てよ。笑い声漏れてるから。最後の」


 後輩ちゃんは真っ赤になったと思えば、後ろを向いてにやにやと笑う。笑い声が隠しきれていないから、それを聞いたサークル内の何人かが引いている。

 見ろ、先輩の大前さんなんて、『うわ、この子こんな笑い方するんだ……近寄らんとこ』とでも言わんばかりの眼で俺たちを見てるじゃないか。


 「私、悪くないですよ。先輩が無防備な私にいきなりシて来たんじゃないですか」

 「誤解を招く言い方は止してくれ。第一、早坂は言われ慣れているだろう?」

 「確かにそうなんですけど」


 うわ、この子当たり前のように言っちゃったよ。だが、早坂はでもと続けた。


 「好きな人に言われるのとそうでないのとでは、全く違いますよ、先輩?」

 「うぐっ、す、好きな人……?」

 「そーです。先輩は、知ってますよねー。私が恋してる人。私が好きになった人」

 「いや、そりゃ、まあ。そのなんだ――っておい、何するんだ」


 後輩ちゃんの攻撃にしどろもどろになっていると、後輩ちゃんがすっと身を寄せてきた。俺の腕にすりすりと頬を寄せたかと思えば、幸せそうに笑う。

 いつもだったら振りほどけるというのに、後輩ちゃんから強く漂う甘い匂いや頬の柔らかさが邪魔をして、衆人環視のもと、俺は後輩ちゃんの為すがままにされていた。


結局、電車が来ても俺と後輩ちゃんの距離は変わらないままだった。

ようやく離れたのは、つくば駅に着いてからのことで、降りた矢先にサークル長の小野崎さんにスクショを送りつけられて含み笑いをされた。

――おのれ、後輩ちゃん!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る