銀河を往く

有縺鶸

第1話 灼熱の大地・銀河ステーション



 星の光をかき消す灼熱の太陽が倒れ込んだメロスの身を焼いていた。太陽を睨みつけながら、悔し泣きに泣き出した。


 ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならない。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎なえて、もはや芋虫ほどにも前進かなわない。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望んでくれるな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。今なってはどうしようも無い。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。


 銀河ステーション、銀河ステーション。

 そんな声が、聞こえた気がした。



 *



 照りつける太陽の光のそれではなく、宵闇の中に突然火が起こったかのように目の前がさあっと明るくなって、メロスは、思わず何べんも眼をこすってしまった。


 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、メロスの座っている椅子が揺れている。メロスの部屋の何倍かもありそうな部屋が揺れているのだ。そうではない、とメロスは気付いた。この部屋は進んでいるのだ。これは、噂に聞く馬車というものだろうか。メロスは馬車に乗ったことはなかったが、この速さならばセリヌンティウスの元に間に合うかもしれない、と考えた。けれどその思惑はすぐに打ち砕かれた。馬車が走っているのは城への道ではなかった。窓の外には、黒洞洞たる真空という水の中に、星々という砂粒が浮かんでいるばかりであった。


 どうしたものか、と考えていると馬車にはもう一人、乗客がいた。メロスは座席の上から覗く頭部が、どうも見たことあるような気がして、そう思うと、その男がこちらを見た。

 それはセリヌンティウスであった。

 メロスが、セリヌンティウス、君は前からここにいたのか、と言おうと思った時、セリヌンティウスが


「みんなはずいぶん走ったけど遅れてしまったよ。王は今日はもう満足してしまったようだ。」と言った。

 みんなとは誰だろうか。不思議に思いながらも、一緒に来た者がいるなら置いてはいけないだろうと、「それならどこかで待っていようか」とメロスは言った。するとセリヌンティウスは

「みんなはもう帰った。迎いが来るんだ。」

 セリヌンティウスは、なぜかそう言いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうだった。するとメロスも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまった。

 ところがセリヌンティウスは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いきおいよく言った。

「ああしまった。私は、石像を忘れてきた。母への手土産だったのに。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。私は、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、私はきっと見える」そして、セリヌンティウスは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ている。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の道が、南へ南へとたどって行くのだった。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤の上に、一一の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられているのであった。


「この地図はどこで買ったのだ。黒曜石でできている」

 セリヌンティウスが言った。

「銀河ステーションで、もらったのだ。メロスももらわなかったのか」

「ああ、私は銀河ステーションを通ったろうか。いま私たちの居るところは、ここだろう」

 メロスは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指さした。

「そうだ。この鉄道は、銀河を走っている」

「鉄道とは、いったいどういうものだ」メロスは訪ねた。銀河というものが星々の集まりであることは知っていたが、鉄道などという言葉は全く聞き覚えがなかった。

「私たちのいるこの大きな部屋がいくつもつながって、馬車の何倍も人が乗れるような未来の乗り物だと、先、車掌という、馬車でいう御者のような人が教えてくれた」

 メロスは大いに驚いた。

「それではここは、未来だというのか」メロスがそう言うと、セリヌンティウスは首を横に振った。

「ここには、時間の概念はないらしい。いろんな時間のものが、同時に存在すると」

「それでは君も私とは別の時間から来たと言うのか」

「いや、私と君は一緒に来たはずだ。他の者がどうかは分からないが」

 セリヌンティウスはそう言って窓の外を眺めている。

「ああ、ラベンダーの花が咲いている。もうすっかり初夏だな。」セリヌンティウスが、窓の外を指さして言った。

 線路のへりになったみじかい芝草しばくさの中に、月長石ででも刻きざまれたような、すばらしい紫のラベンダーの花が咲いていた。

「私が、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか」メロスは胸を躍おどらせて言った。

「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから」

 セリヌンティウスが、そう言ってしまうかしまわないうち、次のラベンダーの花が、いっぱいに光って過ぎて行った。

 そう思ったら、もう次から次から、たくさんの紫な底をもったラベンダーの花のコップが、湧わくように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのであった。

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