第24話 「めぐみちゃん、一体何を聞きたいんだ?」

「行くの?」

「行ってやりたいけどなー。日程が合わないんだよなあ」


 そう言って、TVの上にまたその手紙を戻した。


「ライヴ、入ってたっけ」

「まーな」


 はぐらかした。僕はふうん、といい加減にあいづちをうちながら、串のレバーに手を伸ばした。


「あ、それ俺の」

「最近僕だって好きになったんだもの」

「好み、変わったか?」


 と言うか。貧乏暮らしは好き嫌いを無くすとはよく言ったものだ。


「そりゃまあ、積極的に好き、ってことは無かったけどさ。でも貴重な栄養だも

ん。とらなくちゃ」


 ぱくぱく。

 ケンショーはそういう僕をあきれた様に見ながら、頭を撫でた。何度かくしゃくしゃとそのまま髪をかき回す。僕は何となくそのままくらくらとしてくる自分を感じる。

 奴と暮らしだしてから、もう四ヶ月くらいになる。

 冬だった季節も春になって、春一番がサッシの窓のほこりを飛ばし、だんだんこの貧乏人達の部屋も、少しは住みやすくなっていた。

 考えてみれば、僕は引っ越さなかったら、あの冬を、あの何もそろえていない部屋で寒々しく送った訳だ。暖房器具を揃えるということすら僕の頭には、あの時無かったのだから。

 この部屋には、まあ最低限の暖房ということで、こたつくらいはあった。

 それにまあ、寝る時には、人一人居るとこれはこれでずいぶん違う。実家に居た頃より気温は低い部屋のはずなのだけど、ずいぶんと暖かく気持ちよく眠った様な気がする。

 実家に居た時には、意味もなく夜中に寒くて目が覚めることがあった。そういう時には何故か身体中が冷え切っていて、どうやってもその寒さが抜けない。忘れることにして眠りにつこうとしても、その寒さがどうしても眠りの中に落としてくれないのだ。

 だけどこの冬は違った。狭苦しいけれど、とにかくそんな風にして夜中に目覚めることはまずなかった。


「……おい、それ食わないのか?」


 は、とつい串を持ったままぼんやりしていたことに気付いた。慌てて僕はたれつきのレバーを口に放り込んだ。


「やっぱり春先はまずいのかねえ」

「そんなことないよ。元々僕はぼーっとしてると言われるんだ。それに」

「それに何?」

「いい男だなあ、と思ってたの」


 は、とケンショーは目をぱちくりさせる。ふふん。知ってるんだよ。焦点が合ってないど・近眼だし、何かとポーカーフェイス作ろうとしているけど、結構こういう言葉を真正面から言われると、機能停止してしまうってことは。もっともこれはナナさんからの受け売りだけど。

 ナナさん、と言えば、ここのところ少し楽しそうだった。彼女の恋人のバンドでもあるベルファも、亡くなったベーシストの代わりがどうやらようやく見つかって、活動再開するそうだという。

 彼女から貸してもらった彼らの音源を聞くと、とにかく上手いバンドであることがわかる。一般受けするかどうか、そういうこととは別次元で、音楽を楽しんでいるんだな、というのがすごくよく判るのだ。

 けどその音源の中のベーシストは、確かにめちゃめちゃ上手かったから、今度入るひとは大変だろうな、と僕は思った。まあナナさんが言うには、その人にはその人の個性があるのだから、別に関係ない、ということだけど。


「それに、トモ君の腕はちゃんと引き継いでくれた子が居るしね」


 そう。その点も含めて、彼女は楽しそうなのである。どうもそのベーシストさんにくっついていた子、というのが、新しくバンドを組んだみたいなのだ。

 何というバンドかまでは聞いていない。そこまで興味はない。だけど、ナナさんが嬉しそうなのは、僕としても嬉しい。彼女は綺麗な人で、そういう人が悲しそうなのは、見ているこっちも胸が痛む。

 皆が僕には優しい。僕はそしてその状態を利用している。自分の中で、そんな自分をじっと見つめている自分が居る。

 いつからだったろう? そんな態度は。


   *


「あれ、めぐみちゃんだけ? ケンショーは?」


 スタジオの扉を開けると同時に、オズさんは言った。うん、と僕は笑顔を作る。


「僕だけ。奴は三十分くらいしたら来るよ」

「三十分? 俺時間間違えたかなあ?」


 そう言って、オズさんは時計を見る。


「間違ってないよ、オズさん」


 僕は軽く言葉を放った。彼はまたか、という表情になる。またか。そう、また。


「めぐみちゃん、いい加減、俺から聞くの、止したら?」

「ケンショーは言わないもん。だったらオズさんに聞いたほうが早いじゃない」

「いや、―――そりゃそうだが」


 オズさんは下げていたバッグの中からスティックケースを取り出し、その中からT字ビス回しを出し、備え付けのドラムのスネアをチューニングする。僕は椅子に反対向きに座りながら、作業している彼に向かい、構わず言葉を投げた。


「昨日さ、招待状が奴に来たの。結婚式」

「へえ……」


 気のない返事。


「で、差出人が、木庭戸野依きにわどのより、ってあった」

「え?」


 きり、とビスを回す音が止む。


「のよりさん、って前のヴォーカルでしょ?」

「あ? ケンショーから聞いたか?」

「まーね」


 嘘ではない。奴は前に、何気なくそんなことを漏らしたことがある。

 それに僕は前のヴォーカルの時のテープも持ってる。そこにはヴォーカルはノヨリ、とアルファベットで書いてあった。


「そうか…… のよりちゃん、結婚するんだ……」

「で、相手が箱崎昌志はこざきまさし、ってあったけど、オズさん、知ってる?」

「げげげ?」


 何って声だ。オズさんらしくない。僕は肩を軽くすくめた。


「ふうん、オズさんのとこには、招待状、来てないんだ」

「……来てない。……でも来るとは思ってないから…… ハコザキ、か……?」

「知ってる人?」

「知ってるといや、知ってるけど……」

「前の前のヴォーカル、でしょ?」

「めぐみちゃん?」

「何で、その二人がつきあうのかなあ? だって、代々のヴォーカルって、皆ケンショーの恋人だったんでしょ? 男女問わず」

「……おい」


 困った様な顔になって、オズさんはゆっくりと僕のそばに近づいてきた。


「それで、ケンショーはどうするって言ってた?」

「行かないって。ライヴの日程とぶつかるからって。おかしいよね。その日、ライヴ入ってないけど。奴にも、何か思うとこあるんだ?」


 ふう、とオズさんはため息をついた。


「めぐみちゃん、一体何を聞きたいんだ?」

「聞きたいんじゃないんだ。頼みがあるの」


 そう言って僕は笑顔を作る。


「頼み?」


 そして、ポケットから携帯を取り出した。

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