第23話 僕が彼について知っていることなど、ほんの少ししかない。
「……いいけど。ずいぶん思い切ったわねえ」
部屋わ引き払った僕は、生活に必要な最低限のものだけをバッグに詰めて、後の画材とか課題は、学校でノゾエさんがぶんどっているスペースに置かせてもらうことにした。
「でも、辞める訳じゃないから」
「ふうん。それじゃああたしと同じだね」
「ん? ノゾエさん、また留年なの?」
「違うわよ。今度はちゃんと進級するって。でも来年またするかもしれないけどね」
あははは、と彼女は笑った。
「でもさ、アトリ君」
彼女は僕が作った課題の一つを手にする。
「何か君、あんまり大きなものより、小さなもの作る方が好きじゃない?」
「え?」
「何っか課題でも、こういうパッケージものとかはいいセン行ってるのに、でかい色彩構成とか、広さを持て余してるみたいな感じがするけど」
鋭い! すぐさまそう言われるとは思わなかった。それともそんなに僕の傾向は露骨なんだろうか。
「……で、今、何処に住んでるの? 引っ越したんでしょ?」
「あ、ノゾエさんには携帯の番号、教えておかなくちゃ……」
「あ、ありがと。でも居場所のほうは?」
あ~、と僕は言い籠もる。
「……うん。また今度教えるよ」
アハネの時のことがある。この人も結構鋭いから、あまり僕はケンショーとの仲をあれこれ言われたくはない、と思った。
そのアハネはまた、写真を撮りに出てると言う。番号を教えるべきだろうか、と思ったけれど、何となくその気が失せてしまった。
「いつでもいいわ。やる気が出たら、取りに来てよ」
必ず、と僕は答えた。
*
ただいま、と声がしたので、僕は顔を上げた。
「お帰り。あ、何か持ってる」
「あ、食うか?」
ぽん、とケンショーは手にしていた袋をかさかさ言わせながら座卓の上に放り投げる。店の「お持ち帰り用」のパックにゴムを二重三重に巻いた中には、何本もの鳥串があった。多少たれが外に漏れているものもあったが、そんなことは気にする程のことじゃない。
相変わらず飲み屋でもバイトしているケンショーは、よくこうやって余り物を持ってくる。余り物と言っても「食べ残し」じゃないから、別に僕にもこだわりはない。
何よりお互い、貧乏なのだ。
「やったじゃーん。これ好き」
「ふふーん、そう言うと思って、避けといたんだぜ?」
どっか、と座り込みながら、奴は冷蔵庫を開けて、ビールを出す。
「あー疲れた」
「それは僕だって同じだよ」
確かにそうだった。今日はお互い「バイトの日」だ。練習の無い日。生活していくには、金が要る。押し掛けた僕としては、最低、食費と光熱費くらいは折半しなくてはならないだろう。
本当は、部屋代だってそうした方がいいのだけど。
けどなかなかバイトと言っても、僕の性格だと、稼ぎのいいものは見つからない。
結局奴同様、食事系の裏方に回っている。仕事は黙ってる方が好きだ。もともと人前に出る性格じゃあない。メイクしたり衣装をつけたりしない時の僕は。
それに食事系の店の場合、何だかんだで途中に入る食事がただか、じゃなくてもかなり安く食べられるということがある。これは美味しい。そこで一食かなりきっちりと食べれば、後の食事など適当でいいのだ。……まあそんなことやっているから、どんどんやせていってしまうのだけど。
「あ、そういえばケンショー、郵便、来てたよ」
「郵便?」
そこ、と僕はTVの上を指した。その程度にはこの部屋には物がある。
珍しいな、と奴はビールを置いて立ち上がる。そしてぱら、とその差出人を見た時、表情が曇った。僕の知らない名だった。
もっとも、僕が彼について知っていることなど、ほんの少ししかない。今現在のこの生活と、バンドの周りの人たち。それしか、僕がケンショーについて知ってることなんて、無い。
聞いてみたこともあるけれど、奴は案外口が堅くて、結局僕の知りたいことは、他の人から何気なく聞き出すしかなくなってしまう。
たとえばオズさんはケンショーとはバンド仲間として長いつきあいだ。美咲さんは何と言っても、ケンショーの妹だ。何故か二人とも僕のことをよく心配してくれているようなので、僕はその好意に甘えて、奴のことを時々聞き出している。
でも結局、そこにあるのは、「出来事」に過ぎなくて。奴がその「出来事」をどう思ったか、というのは、そこから想像することしかできないのだ。
奴は封筒を不器用にべりべりとやぷき、中からカードを取り出した。カードだ。手紙じゃない。
「招待状?」
僕は問いかける。だって、そのカードはどう見たって、結婚式の招待状だった。
こいつに結婚式に出てこい、という友人が居た、ということに僕はまず驚いた。いや居たっておかしくはないのか。僕より幾つか上なのだから。中には結婚する友達だって居るだろう。
「結婚式でもあるの?」
僕はわざとらしく問いかける。ああ、と奴は短く答えて、それを元通りに中にしまった。
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