第23話 僕が彼について知っていることなど、ほんの少ししかない。

「……いいけど。ずいぶん思い切ったわねえ」


 部屋わ引き払った僕は、生活に必要な最低限のものだけをバッグに詰めて、後の画材とか課題は、学校でノゾエさんがぶんどっているスペースに置かせてもらうことにした。


「でも、辞める訳じゃないから」

「ふうん。それじゃああたしと同じだね」

「ん? ノゾエさん、また留年なの?」

「違うわよ。今度はちゃんと進級するって。でも来年またするかもしれないけどね」


 あははは、と彼女は笑った。


「でもさ、アトリ君」


 彼女は僕が作った課題の一つを手にする。


「何か君、あんまり大きなものより、小さなもの作る方が好きじゃない?」

「え?」

「何っか課題でも、こういうパッケージものとかはいいセン行ってるのに、でかい色彩構成とか、広さを持て余してるみたいな感じがするけど」


 鋭い! すぐさまそう言われるとは思わなかった。それともそんなに僕の傾向は露骨なんだろうか。


「……で、今、何処に住んでるの? 引っ越したんでしょ?」

「あ、ノゾエさんには携帯の番号、教えておかなくちゃ……」

「あ、ありがと。でも居場所のほうは?」


 あ~、と僕は言い籠もる。


「……うん。また今度教えるよ」


 アハネの時のことがある。この人も結構鋭いから、あまり僕はケンショーとの仲をあれこれ言われたくはない、と思った。

 そのアハネはまた、写真を撮りに出てると言う。番号を教えるべきだろうか、と思ったけれど、何となくその気が失せてしまった。


「いつでもいいわ。やる気が出たら、取りに来てよ」


 必ず、と僕は答えた。 



 ただいま、と声がしたので、僕は顔を上げた。


「お帰り。あ、何か持ってる」

「あ、食うか?」


 ぽん、とケンショーは手にしていた袋をかさかさ言わせながら座卓の上に放り投げる。店の「お持ち帰り用」のパックにゴムを二重三重に巻いた中には、何本もの鳥串があった。多少たれが外に漏れているものもあったが、そんなことは気にする程のことじゃない。

 相変わらず飲み屋でもバイトしているケンショーは、よくこうやって余り物を持ってくる。余り物と言っても「食べ残し」じゃないから、別に僕にもこだわりはない。

 何よりお互い、貧乏なのだ。


「やったじゃーん。これ好き」

「ふふーん、そう言うと思って、避けといたんだぜ?」


 どっか、と座り込みながら、奴は冷蔵庫を開けて、ビールを出す。


「あー疲れた」

「それは僕だって同じだよ」


 確かにそうだった。今日はお互い「バイトの日」だ。練習の無い日。生活していくには、金が要る。押し掛けた僕としては、最低、食費と光熱費くらいは折半しなくてはならないだろう。

 本当は、部屋代だってそうした方がいいのだけど。

 けどなかなかバイトと言っても、僕の性格だと、稼ぎのいいものは見つからない。

 結局奴同様、食事系の裏方に回っている。仕事は黙ってる方が好きだ。もともと人前に出る性格じゃあない。メイクしたり衣装をつけたりしない時の僕は。

 それに食事系の店の場合、何だかんだで途中に入る食事がただか、じゃなくてもかなり安く食べられるということがある。これは美味しい。そこで一食かなりきっちりと食べれば、後の食事など適当でいいのだ。……まあそんなことやっているから、どんどんやせていってしまうのだけど。


「あ、そういえばケンショー、郵便、来てたよ」

「郵便?」


 そこ、と僕はTVの上を指した。その程度にはこの部屋には物がある。

 珍しいな、と奴はビールを置いて立ち上がる。そしてぱら、とその差出人を見た時、表情が曇った。僕の知らない名だった。

 もっとも、僕が彼について知っていることなど、ほんの少ししかない。今現在のこの生活と、バンドの周りの人たち。それしか、僕がケンショーについて知ってることなんて、無い。

 聞いてみたこともあるけれど、奴は案外口が堅くて、結局僕の知りたいことは、他の人から何気なく聞き出すしかなくなってしまう。

 たとえばオズさんはケンショーとはバンド仲間として長いつきあいだ。美咲さんは何と言っても、ケンショーの妹だ。何故か二人とも僕のことをよく心配してくれているようなので、僕はその好意に甘えて、奴のことを時々聞き出している。

 でも結局、そこにあるのは、「出来事」に過ぎなくて。奴がその「出来事」をどう思ったか、というのは、そこから想像することしかできないのだ。

 奴は封筒を不器用にべりべりとやぷき、中からカードを取り出した。カードだ。手紙じゃない。


「招待状?」


 僕は問いかける。だって、そのカードはどう見たって、結婚式の招待状だった。

 こいつに結婚式に出てこい、という友人が居た、ということに僕はまず驚いた。いや居たっておかしくはないのか。僕より幾つか上なのだから。中には結婚する友達だって居るだろう。


「結婚式でもあるの?」


 僕はわざとらしく問いかける。ああ、と奴は短く答えて、それを元通りに中にしまった。


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