第13話 「いっそ、もっと派手にしてみたら?」
初夏が過ぎて、夏になった。
バンド活動に加え、バイトも決まり、僕はひどく忙しくなった。加えて課題だ。
夏休みという期間はちゃんと学校だからあるのだけど、大学とかに比べて、それはひどく短い。まあそれはそうだろう。こういうところは、実践的なのだ。
アハネは少しばかりの休暇を、故郷へと戻っていった。土産は、向こうのいい風景だそうだ。南の海。南の風。南の植物。僕も一度は行ってみたいものだ。
僕は、と言えば実家に戻ることもせず、ここぞとばかりに通常のバイトに加えて、単発のバイトを入れていた。夏場だけの稼ぎどころというのがあるのだ。
何かと物いりだった。それは生活費や学校の教材だけじゃない。
バンド活動には、金が要るのだ。
*
「おー、これ似合うんじゃない?」
そう言ってケンショーは、実に楽しそに、僕に黒い服を広げて見せる。
「えええええ? 何それ、……あ、網?……まさか、それだけになれって言うんじゃないよね?」
「お前が平気ならその方がいいかな?」
「やだ! 絶対に、やだ!」
そう必死で首を振ると、彼は不思議そうに肩をすくめた。
「変な奴。こないだ皆で海に行った時はさ、海パンいっちょで平気な顔してたくせにさ」
「……それとこれとは別だよっ」
そう実際、女じゃないんだから、別に上半身さらしたって恥ずかしい訳じゃないんだけど、逆に、そんな網あみスケスケのものを着るほうが、……下手に「着ている」だけに、そこから見える自分の肌が妙に白く浮き出て見えるのだ。
もともと決して色が濃いほうではないだけに。
それに海じゃ、別に皆が皆、僕を見ているという訳じゃない。だけど、今彼と一緒に選んでるのは、ステージ用なのだ。
六月あたりから、ステージに立つようになっていた。
さすがに、観客の戸惑いは見て取れる。
だってそうだ。こないだまでのヴォーカルは女の子だ。いくらその彼女と、僕がどこか似た声質だったとしても、男女の差はでかい。だいたいそうそう、ヴォーカルを男女取り替えるバンドはない。
それに僕は本当に素人で、それに加え、人前なんかでは滅多に歌ったことのない奴だ。もう、ステージに立つ、それだけで何か緊張して死にそうだというのに。
……だけど僕はまだ生きてる。
まあまだ、二度しかライヴをやっていないということもある。
一度目は、まあ仕方ない、と言ってもいい程のひどい出来だった。これで確実に、客が半分は減った、とベースのナカヤマさんは言っていた。
最初にバンドを見に行った日に居なかったナカヤマさんは、たぶんこのバンド、RINGERの中では一番冷静だと思う。……冷静、もしくは客観的。
だから僕に対して、一番厳しいことをあっさりと言うのもナカヤマさんだった。
「最初の二回くらいはいいさ」
口数が多い方ではない。だが口に出した言葉は、非常に重い。
「だけどめぐみちゃんが、この先ずっとこんな調子だったら、俺はケンショーが何って言おうと、ヴォーカル、別の奴を捜せって言うよ」
ケンショーはそれに対して苦笑した分だった。困ったのは僕の方だった。
この男は、何を根拠に、僕にそんなことができると思ってるのだろう。
むろん僕だって、成り行きとはいえ、そういうことになったからには、ちゃんとしたいと思う。だけど人前に出ることの緊張は、そう簡単にぬけるものではない。
だから、せめてもう少し自信が出るように、ととりあえず外見から変えることにしたのだ。
「つまりは少しばかりヨロイを派手にしようということさ」
そうすれば、多少なりとも相手を威圧することができるかもしれない。緊張も薄れるだろう、と。そうかもしれない、と僕も思った。
それで、こうやって買い物に来ている訳だが。
―――何だって黒、なんだ。
二回立ったステージでは、まだ海とも山ともしれないので、とりあえずメンバーの衣装の中から、着られそうなものを借りた。その時に、ケンショーの妹の美咲さんに初めて会った。
実際、どこをどう見ても、普通のOLさんだった。それもかなり上等な部類の。
背は僕より少し小さい。だけど何かもしっかりした体つき。運動でもしていたの? と訊ねたら、彼女はこう答えた。
「あたしは高校でスポーツ少女って奴だったからね」
なるほど、と思った。明らかにサイズの違う兄の服や、果てには自分の服やアクセサリを持ち出して、僕を着せ替え人形よろしく扱っていた。
そして彼女はこう締めた。
「……でもやっぱり何か違うわね。やっぱりちゃんとめぐみちゃんに合ったものを買った方がいいわよ」
「お前もそう思うか?」
「そりゃあね」
実際僕もそう思った。どうしても他人の服は、「借り着」の様になってしまう。
「いっそ、もっと派手にしてみたら?」
そして彼女のこの一言で、この店に居る訳である。
黒系御用達という奴だ。僕には縁は無かったが、話には聞いていた。なぜかサテンやレースもあちこちにある。それでいてエナメルも腕章もガーゼのTシャツも置いてあるから訳が分からない。
「とにかく、網だけ、ってのはやだ」
「じゃ上に何かも一つつけるか。でも俺的には、お前似合うと思うけど」
「……」
僕は顔をしかめる。何か、もやもやとした感覚がずっと胸にあるのだ。
……その、二回やったライヴが、それでも一応形になっているのは、僕がその時やっぱり動転していたからだ。
じゃあ何で動転していたか、というと。
ケンショーは、明らかに僕をそういう対象で見ている。そもそも最初から言われている。
だけどそう「見られている」という感覚は、一応男として育ってきた身には、どうにも訳が分からない。むずむずする。
それに、ライヴ前の役得、とばかりに抱きついてくる腕の強さが、だんだん強くなってきている気がする。何か、すごく、困る。
嫌いじゃない。嫌いじゃないけど―――
困る。何か、すごく。
だって、その後にケンショーが僕に何を欲しがってるのか、想像ができない。彼は僕が本当に嫌がったら、僕の声が大事だから、しないとは思うけど……
正直言って、もし彼に、真っ向からお願いされたら、自分が拒めるのか自信がなかった。
だけどそれが、彼を好きかどうか、というのとはまた違うような気がして。
そんな気持ちが、夏に差し掛かってから、堂々巡りをしていたのだ。
客足の増える夏休み期間には、ライヴハウスの主催のイベントという奴があって、RINGERもそれに参加するらしい。新規の客を集めるに、イベントはいい機会だ、と彼は言った。僕もそれはうなづける。
だからその機会を逃す手は無い。そのためには僕というヴォーカリストをもう少し前に押し出すことが必要だというのも判る。
「結局めぐみちゃんは自信が無いだけなんだよ」
オズさんは言った。そうなのだ。結局は。
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