第11話 オズさんは納得したような、しないような顔で僕を見た。
と、唐突にケンショーが音を止めた。合図する様にオズさんを見たら、彼もまた音を止める。
「こんな感じでさ、新しいの、どう?」
「珍しいけど。でもいいんじゃないか? 明るいし。春っぽいよな」
「や、どっちかと言うと、初夏っぽいのにしたいんだけどさ」
「初夏ね?」
オズさんはそう言うと、もう少し跳ね上がる様なリズムを叩き出した。
「サンバはねーだろ、サンバは」
ケンショーはそう言って笑う。サンバなのか。
「初夏っつーよりはそれは夏だぜ?」
「一足早い夏。それがいいんじゃないかよ」
「ふうん? ま、そーいやお前の好きなフュージョンバンドもそういうのやってたよなあ」
「ウチもインストありならさ、俺もやりたいけどさ」
あっさりとそんなことを言う。どうやらこのオズさんという人は、ロックばかりの人ではなく、結構に色んな分野に手を伸ばしているらしい。
「夏だったらさ、こうゆうもありだけどさ」
きゅいん、とケンショーはゆっくりとしたメロディを弾きだした。ふうん。わりと澄んだ音をわざと立ててるみたいだ。
「あとりめぐみは、春と夏はどっちが好き?」
「え、? あ、僕?」
不意に話を振られて、僕は戸惑う。にやにやとケンショーはそんな僕を見て笑った。
「……夏のほうが好き」
「へえ。ぼよよんとした感じだから、春のほうが好きだと思ってたけど」
「うるさいなあ。僕の勝手だろ」
「まあ怒りなさんな、めぐみちゃん」
ちゃん? オズさんはあっさりとそう僕を呼んだ。ただ不思議と、この人の言い方には嫌みがない。だから僕もその時には、すぐに反発する様な言い方をすることはなかった。
「でも、夏か。それもいいよな。真夏の夜の夢、とか」
そう言ってケンショーは、何処かで聞いたようなメロディを軽く鳴らした。何ってことない、僕も知ってる女性ポップスの大御所の歌だった。
「そういえば、めぐみちゃんは歌わないの?」
「僕は」
「俺は聞いたのよ? いい声なんだから」
「そりゃ判るさあ。少なくとも、お前の好きな声だ、ってことは俺だって判るよ。だけど、実際聞かないと、俺には判らないだろ?」
「僕はまだ」
「だからそれとこれとは話が別で、俺としては、ケンショーが今度気に入った声ってのが、聞いてみたいなあ、という単純な好奇心というのがあるんだけど」
そんなものかなあ、と僕は頬杖をつきながら思い、そんなものなのだろうなあ、と思い返した。
ケンショーという奴が、とにかく声に惚れてヴォーカルを探すタイプ、ということをオズさんは知ってるのだろう。たぶん。
「あの曲、歌えね?」
ケンショーは楽しそうに、実に楽しそうに僕に訊ねる。歌えるよ。はっきり言って。ただこの状態で、ぱっと頭の中に、あの曲と歌詞が浮かぶかは別だけど。
カセットやカラオケと、生伴奏では大きな違いがあるんだよ。
そうこう迷ってるうちに、ケンショーは、その曲のイントロをぽろぽろとかき鳴らす。
ふふん、という顔をして、オズさんもドラムをぱらぱらと叩き出す。
イントロと言ったところで、そのまんまではない。同じ部分を繰り返し繰り返し。
ほら、音楽の授業なんかでよくあるじゃない。あの、先生が「さんはい」とか言う前に、おんなじとこを延々繰り返す。あんな感じ。
目でそこにあるマイクを持てよ、とケンショーが語りかける。
僕はしぶしぶ、マイクを手にし、スイッチを入れた。
指先でぽん、と叩くと、音が部屋中に響く。「あ」とか軽く言ってみる。カラオケなんかでも思うけど、自分の声ってのは、やっぱり何か聞き慣れない。
その時、いきなり音の調子が変わった。ギターとドラムが、あのカセットの中のそれに変わる。
ええい。こうなったら。
僕は歌い出していた。
歌詞なんかうろ覚えだ。ぴんと来る言葉じゃないと、覚えられっこない。
曖昧な言葉と、曖昧な音を適当にいり混ぜながら、僕はとにかく声をマイクに通していた。
1コーラスだけか、と思っていたら、ああもう。
この男はちゃんと間奏のギターソロまで、ここぞとばかりに弾いてる。何か我に返ってしまうようでやだ。
じゃん…… と音が途切れて、2コーラスめ、そして大サビに入る。
ああそう。ここだけは覚えていたんだ。気に掛かったから。
どうして、こんなこと考えるんだろう、と思いながら、妙に耳に残る言葉を、僕はあの音の中で考えていたことを思い出す。
最後の言葉を、僕は長く伸ばした。
ふう、と息をつく。何か胸がどきどきしてる。
「ふうん……」
オズさんは納得したような、しないような顔で僕を見た。
「確かにケンショーの好きな声だとは思うけどさあ……」
「何オズ、何か文句あるのかよ?」
「うーん…… 緊張してる? めぐみちゃん」
「緊張? してるよ、当たり前じゃない」
頬が熱い。真っ赤になってるんじゃないか、と思う。
見て判らないんだろうか。酔ってる時ならともかく、しらふで人前で歌うなんて、学校の音楽の授業の時以来のような気がする。
「でもさあ」
オズさんはやっぱり難しそうな顔をする。
だから、僕を誘ったって無駄だと思うんだ。本当に、ど・素人なんだから。下手でも何でも、人前に立つことに慣れてる奴っているじゃない。僕はそういうのじゃない。そういうのには慣れてない。
だけどケンショーは、というと、そんな仲間の考えに気づいてか気づかずか、何か悠長にチューニングの狂いをきりきりと直してる。
だったら僕が言うしかない。
「だから、僕がヴォーカルってのは無理だよ。オズさん、僕ホントに人前で歌うことなんて、無かったんだから」
「そうだよなあ……」
そう言って、スティックの先で頭をひっかく。
「どうするんだよ? ケンショー」
どうすんだよ、とは僕も聞きたかった。何となく、手持ちぶさたで、僕はスイッチを切ったマイクを両手の中で転がしていた。するとケンショーは、にやりと笑って僕に言った。
「なあ、あとりめぐみ、も一度歌ってくれね?」
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