やがてまどろむ夢見の魔女の。

樹坂あか

丑の刻参りは別の場所でやってください

 数日前からの梅雨にぬかるむ地面が、お気に入りのレインブーツを容赦なく汚す。舗装どころか整備もろくに行き届いていない、木の根と雑草だらけのまさに道なき道を私は懐中電灯片手、傘片手に奥へ奥へと進んでいく。汗で髪が首筋に貼り付くほど蒸し暑いのに、無人の社にいるという何とも言えない恐怖感が心臓をひんやりとさせていた。

 現在時刻は午前二時過ぎ、いわゆる丑三つ時である。現役高校生の私がこうして出歩いているのがお巡りさんにでも見つかれば、まず間違いなく補導コースだろう。しかし私は往かねばならない。たとえどれほどげんなりしていようが結果として何のメリットもなかろうが、往かねばならないのだ。義務でも使命でもなく、そうしないと後味が悪すぎるから。

 雨音に紛れていた金属音が次第に近くなっていく。大きな溜め息を一つ吐いて、私は祠の裏に回った。


 ――いた。本当にいやがった。


 ホラー映画ならここらで恐怖が最高潮に達して悲鳴でも上がるところだろうが、私は若干の苛立ちと共にただただ遠い目になった。文句の一つや二つ言ってやりたいところではあるけれど、まあ言ったところで理解できないのは確実だろうし。だって、私しか知り得ないことなのだから。

 一度、深呼吸。そして私は半ば八つ当たりのように勢いよく懐中電灯を正面に向け、宵闇の中で青白く蠢くその人物をいきなり照らし出した。

 白装束を着て驚愕に固まっているのは、一方的に顔だけは知っている、やつれた女。振り乱した長い黒髪の上には蝋燭三本付きの五徳、胸には鏡、足には高下駄、極め付きには片手に金槌。伝統的丑の刻参りファッションフルセットである。現代日本ではまずお目にかかることのないであろう呪いの代表的行為を、彼女はとても忠実に行っていたようだ。なんだかもう苛立ちを通り越して呆れてくる。五徳なんてどこに売っていたんだろうか。

 苦笑した私は小首を傾げ、木陰で雨を凌ぐ白装束の女に近づいた。


「こんばんは。突然すみません、お姉さん。誰かが憎いなら呪うなとは言いませんけど、後生ですから丑の刻参りは別の場所でやっていただけませんか?」

「なっ……誰なのあなた、なんであなたにそんなこと言われなくちゃいけないのよ! せっかく今日で七日目なのに……!」

「ええと……それはご苦労様です、ごめんなさい。でも、このままここでカンカンやり続けると人を呪わばの穴が二つじゃなくて三つになってしまうんです。あなたの呪いたい相手以外に、もう一人死人が出てしまうんです……本当に。それは私の望むところじゃないし、きっとお姉さんの望むところでもないでしょう?」

「……それは、そう、だけど……」

「場所の移動だけ、それだけしてほしいんです。お願いします、お姉さん」


 深々と腰を折ると、現代の呪術師の目が泳ぐ。だって、でも、と微かな声が聞こえてきて、頭上げてよ、と困惑の声音が落ちる。

 目の前の彼女は何故かしゅんと意気消沈して、先程私に声を荒げた時とは比べ物にならないほど人間らしくなっていた。


「……なんなの、あなた。なんで私がここでこんなことしてるってわかったの。もう一人死ぬって、なんでわかるの」

「まあ……虫の知らせと言いますか。あなたが呪いっていう不可思議を信じてここにいるのなら、その他の少しの不可思議にも目を瞑っていただけるとありがたいんですけど……あ、尾行とかは断じてしてませんから、そこは安心してくださいね」


 あらぬ疑いをかけられては困るので一応言っておくと、ややあって女は自らの唇を噛んだ。


「……別に、本気で信じてたわけじゃないもの」


 じわり、女の睫毛に涙が溜まる。急激に変化した表情に私が驚き狼狽えていると、彼女は白装束の袂で目元を拭った。


「ちょっとくらい痛い目見ればいいのにって……現実でなんて到底できないから、これでどうにかできるならって……。途中で馬鹿らしいって、やめようって思ったけど……始めちゃったんだから、もう遅いかも、ほんとに呪ってるかもって……もう、意地だけで……」

「ああ……」


 女の肩越し、大木の幹に添う藁人形。心臓にあたる場所を的確に五寸釘で刺している辺り「ちょっとくらい痛い目」という言葉とのそこはかとない矛盾を感じるが、ともかく彼女はこうして丑の刻参りを行ったことにどこかで怖くなり、後悔していたようだ。


「……あなたが来てくれて、よかったのかもね。呪い、消えちゃった」

 疲れきったように、彼女は息を吐き出す。


「……釘抜き持って来てますけど、藁人形、外しますか?」

「お願いできる?」

「はい」


 私は一つ微笑み、肘に掛けていたビニール袋から百均で買った釘抜きを取り出す。最近はDIYとやらが世間に浸透して、百均でも工具が売っているからありがたい。

 抜きますねと一声かけて、藁人形に半分ほど埋まっている五寸釘を梃子の原理で引き抜く。よく見かける釘とは比べ物にならないほど長く太いが、釘抜きのおかげでさして力を入れずとも軽々と抜けてしまった。釘抜きは使用後もしっかりしていて、百均クオリティの進化をこんなところで知る。

 落ちる前に掴んだ藁人形と共に、五寸釘を彼女に渡す。


「どうぞ」

「ありがとう。……これから私、何か災いでも起こるのかしらね。呪ってるところ見られたら、呪いが反ってくるって言うし」


 自業自得ねと自嘲する彼女は、相変わらずやつれてはいるものの憑き物が落ちたようなすっきりとした顔をしていた。あんな二股男放っておいても勝手に刺されたでしょうに、などと聞こえてきたが、やはり呪いというのは色恋の怨み辛みが原因のことが多いのだろうか。


 ――ああ、なんだか随分前にこんな話をした気がする。


 確か江戸時代の怪談話の再訳を読んで、それで――あの男は何と答えたのだっけか。私と視点が違って面白かった記憶はあるのだけれど、細かいところは忘れてしまった。

 半ば無意識の追憶の過程で脳裏をよぎったのは、宝石のような群青の双眸。今となっては懐かしい、と言いたいそれを振り払うように釘抜きをビニールに戻し、意識して笑顔を作る。


「無理を言いましたから、呪い返しは私が何とかしておきますよ。安心してください。……これも信じるか信じないかはお姉さん次第ですけどね」


 彼女は数度目を瞬くと、ふっと笑って頷く。ありがとうと返ってきた言葉に、私も笑みを深くした。


「ただ、二度会えるかはわかりませんから……次はないものと思っておいてくださいね、念のため」

「……ええ。こんなこと、本当にこれっきりよ」


 再びの礼の後にじゃあねと言って、白装束の女は去っていった。袂に持っていたらしい折り畳み傘を開いた彼女の、ゆらゆら揺れる蝋燭の火が遠ざかって見えなくなるまで、私は彼女を見送っていた。

 ひとまず、これで一件落着である。

 いや、正確にはまだ呪い返しをどうにかしなければならないので落ち着いてはいられないのだが、ともかく最重要事項は達成できたので良しとする。見られたから殺すとか言われなくて本当によかった。

 これであの未来は訪れることはない。

 長い長い溜め息と共に、私は数日前から脳裏にこびりつく赤を吐き出した。

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