2−5
アリーシアは塔の空中庭園へと向かっていた。
アリーシアはお気に入りの、淡いバラ色のドレスで、弾むような足取りで階段を登った。
アンカーディアと話した翌日で、空は珍しく晴れ渡り、僅かに雲が遠く浮かぶ程度だった。
アリーシアは鉄格子へとたどり着いた。グレンは空中庭園の真ん中にいた。竜の姿だ。
「グレン様!」
アリーシアは鉄格子を握り叫んだ。
会うことは許されとはいえ、会話はこの鉄格子ごしに限られていた。
グレンが、漆黒の竜が首をもたげた。ゆっくりと目を眇めてアリーシアを見る。
「……何の用だ」
その声は低く大きく、アリーシアの全身に響いた。
アリーシアは声を張り上げる。
竜との距離は遠い。それはそのままお互いの心の距離のようだった。
「アンカーディア様にお許しをもらいました!お話を、お話をさせてください、グレン様」
しかし、竜の返事はそっけなかった。
「俺には話すことなどない」
「けれど! 私は、あなた様と……お話がしたのです!」
「帰れ。部屋でおとなしく本でも読んでいろ」
アリーシアはぐっと言葉に詰まった。グレンの声はアリーシアを拒絶するものだった。
(でもここで、引き下がりたくない。故郷の話を、アルゴン国の話をしたい。そして、遠い日に慰めてもらったお礼も)
「いいえ、私は……グレン様とお話をするまで諦めません!」
アリーシアは宣言した。
「……明日も、参ります」
一歩退くと、丁寧に竜へ向かってお辞儀する。
時間はかかるかもしれない。けれど、諦めたくはなかった。
アリーシアは毎日グレンの元へ通うことを心に決めた。
その日は雨が降っていた。
アリーシアは鉄格子に寄りかかり、手にはアルゴン国の歴史書を持っていた。
アリーシアの座る石畳の階段も、僅かに濡れていたが、構わずにアリーシアはグレンに話しかける。
「もう何日目でしょうね」
宣言どおり、アリーシアは毎日グレンを訪れていた。
初日と変わりなく、グレンはアリーシアにそっけなく対応していた。返事はほとんど返ってこない。ただ毎日、『帰れ』と諭されるだけだ。
こうなれば持久戦だ。
「歴史書にこうあります。――『アルゴン国の竜は漆黒竜と呼ばれ、歴代の王たちを助け、民を導いてきた……』」
雨がひどくなってきた。この地は天気の良い日が極端に少ない。
「もっと、きちんと歴史の勉強をしていれば良かったです。史書を読み解けば、グレン様のことがたくさん書いてあります」
肌寒さにぶるりと震えながらも、アリ―シアは笑った。ページをめくる指先が凍えていた。
「それにしても、グレン様は一体何歳なのですか?」
「……そんなことはどうでも良い。もう帰れ。……震えているだろう」
ふと、間近で声がした。アリ―シアは驚いて振り返った。
鉄格子のすぐ向こうに、雨に濡れる漆黒竜の顔があった。
黒く光る美しい鱗、ずらりと並ぶ鋭い牙、両角は短く捻じれ、後ろへと流れる漆黒の毛は背へと向けて大きなトゲへと変貌していた。折り畳まれた巨大な黒い翼には薄っすらと血管のすじが通り、そこだけがほんのりと薄赤く見えていた。
アリ―シアの息がかかる間近に、美しい異形の姿があった。
本来ならば恐ろしく、忌み嫌われる姿かもしれなかった。だが、アリ―シアには神聖な生き物に見えた。
「グレン様……なんて、美しい」
溜息のような声がアリ―シアから漏れた。
こんなに近くで竜を見たのは初めてだった。
グレンも内心驚愕していた。自身の竜の姿を褒められることに、戸惑いがあった。
竜は口の中で聖句を唱えた。すると、階段の両脇に掲げてあった松明に明るい炎が灯った。その炎は、あの幼い日の馬車の中で見た炎と同じだった。
「せめて衣服を乾かせ」
初めて、会話と言えるほどの言葉をグレンが喋った。アリ―シアは嬉しさのあまり立ち上がった。竜の黒い瞳が、目の前にあった。
「ありがとうございます、グレン様」
竜はバツが悪そうに、そっぽを向いた。
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