1−5

 アリーシアはベッドへと腰掛けて、旧アルゴン国の昔話を聞くことになった。

「私達……と言っても、今は私以外はバラバラになって大陸中に散っているのですが、私達八賢者は、先の戦争でアルゴン国と契約をしました。先の戦争をご存知ですか?」

 アンカーディアはゆっくりとアリーシアに聞いた。アリーシアは頷く。

「はい。私が生まれて間もなく起こった、北の国との戦争だと聞いています」

 アンカーディアは、優秀な生徒だとでも言うように微笑む。

「そう、その戦争です。私達は大陸中から集められました。そして、アルゴン国と契約をしたのです。アルゴン国を戦争で勝利に導くこと。そして、その引き換えにそれぞれに金貨三千枚と宰相の地位を与えることを。しかし、もしかしたらアルゴン国の数え間違いかもしれませんが……私の金貨は一枚足りなかった」

「そうです。そこが私には納得行かないのです」

 アリーシアは必死に訴えた。

「アンカーディア様のお優しさ、聡明さは一緒に暮らした私が何よりも知っております」

 アリーシアは感情的にならないようにと自身の手を握ったが、無駄だった。目には涙が溢れ、今にも零れそうになった。

「たった金貨一枚でなぜ、……国を滅ぼし、私に呪いをかけたのですか!?」

 この優しい魔術師との関係が呪いでなければ良かったのにと何度考えたか知れない。

 今はまだ兄妹の様な関係も、ただの許嫁だとなればいつかは恋愛感情に――アリーシアは恋をしたことがなかった――なるかもしれないのにと、何度も思った。

 しかし、アリーシアの声を遮るようにアンカーディアはカウチから立ち上がった。

 ベッドに座るアリーシアへ迫り、片手をベッドへとつく。一瞬鼻先が触れ合うほどに間近に、アンカーディアの美しい顔が迫った。

「私が……魔術師だからですよ」

 アリーシアの瞳を見つめながら、いつもとは違う冷たい声音でアンカーディアは告げた。

 アリーシアは身を固くしてアンカーディアの緑の瞳を見つめ返した。

「魔術師は、ありとあらゆることを契約と呪いとで成立させます。私のこの変わらぬ姿、不老長寿も……とある魔物との勝負に勝って、契約で手に入れた」

「アンカーディア様……」

 怯えるアリーシアに、眉を寄せてアンカーディアは溜息のように言った。

「たかが金貨一枚と、あなた方人間は言う。しかし、私達魔術師にとって、契約が全てです。契約に反する者は、呪われなければならない。それが金貨一枚でもです」

 そこで不意に、ゴオォと太い鳴き声が夜空に響いた。

 はっとアリーシアはアンカーディアから目を逸らし、窓の外を見た。

 高い塔の上、漆黒竜が太い尻尾を振りかざし、夜空に向かって鳴き声を上げていた。

 まるで、主であるアンカーディアを諌めているかのようだった。

 アンカーディアもそれに気づき、ふっと表情を和らげた。首を振り小さく笑う。

「あなたを怖がらせたのでグレンが怒っているな。さすがは、アルゴン国の竜だ」

「え!?」

 初めて聞く事実に、アリーシアは驚いた。グレンが故国の、アルゴン国の竜?

「話を戻しましょう」

 アンカーデイアは身を離すと、2人はお互いの緑の瞳を見つめ合った。アンカーディアはなにか言いたそうに口を開きかけたが、結局はカウチへと戻った。

「……私達魔術師は、自然や魔物と契約してこの力を得ています。契約の内容は一言一句違っても許されません。少しでも間違えれば、私達魔術師は力を失い、魔物の餌食になってしまうのです」

「まさか……」

「そのまさかです。アルゴン国とは勝利の代わりに金貨三千枚と宰相の地位。そういう契約でした。間違いは絶対に許されないのです。金貨たった一枚とはいえ、私は旧アルゴン国を呪うしかなかった。アルゴン国を勝利に導く契約の報酬の内容は二つ。ならば呪いも二つ。旧王国の滅亡とあなたの命です」

 アリーシアは言葉を失った。アンカーディアはしたくてしたのではなかったのだ。そういう契約だったから、そうせざるを得なかったのだ。

「……呪いを、解く方法はないのですか……?」

 アリーシアは震える声で訊ねた。アンカーディアは彼にしては珍しく、アリーシアから目を逸らした。

「ありますよ」

 アンカーディアはどこか遠くを見る目で言った。アリーシアは身を乗り出した。

「ならば」

「ありますが、教えたくありません」

「なぜ……」

 アンカーディアが立ち上がる。アリーシアに近づくと顎を上向かせて、そのまま額の髪を掻き上げた。身をかがめて、あらわにしたアリーシアの額へと口づけをする。

 ゆっくりと唇を離すと、アリーシアの瞳を覗き込んだ。

「分かりませんか?……あなたを、私の元から失いたくないからです」

「っ……」

 アリーシアはとっさに身を引いた。アンカーディアが急に別人に見えたのだ。

 それを見て、アンカーディアは物悲しそうに笑った。

「……そういうことです」

 言うと、アンカーディアは指先に炎を出現させた。

 またたく間に手のひらほどに育った火球は、アンカーディアが指先を少し動かすと、部屋の角に飾ってあった、先程アンカーディア自身が持ってきたバラの花束へと飛んでいった。 バチバチと音を立てて、真紅のバラが燃えていく。あっと言う間に、バラの花は茎と葉だけを残して燃え尽きてしまった。

「アンカーディア様……」

「おやすみなさい、アリーシア。私の許嫁殿」

 アンカーディアは呆然とするアリーシアを残して、部屋を出ていった。

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