異世界と冷たい麦茶
レオン・エネロ
1章「出会い、そして幕開け」
第1話
森の中で一人の青年が目を覚ました。
黒髪黒目の170センチほどの身長の青年。
彼は戸惑っているように見える。いや、実際戸惑っているようだ。
「ここは……どこだ?」
そう言って辺りを見回すが、青年の問いに答えるものはいない。
それもそのはず。この森は『死の森』と呼ばれる森で、普通の動物たちはおらず、魔物と呼ばれる異形の生き物たちが住み着く森だからだ。普通の人間がこんなところにいるはずがない。
何を思ったのか青年がふと空を見上げると、木々の隙間から旅客機ほどの大きさの生き物が上空を通り過ぎるのが見えた。
「はは。なんだよ。まるでドラゴンじゃねえか」
その生き物は『まるで』ではなく、ドラゴンそのものだったのだが、青年がそれを知ることもなく、ただ干からびた驚愕を口から漏らすだけだ。
「ていうか……もしかして、異世界転移?」
青年がその事実に気づくまでわずか十五分だった。
そう、この青年『
「よっしゃー!」
アタルは跳ね回って喜んだがそれも最初の数分だけ。
「ステータス!」や、「ファイアボール!!」などと叫ぶが何も起こらない。
だんだんと冷静になって考えると、自分が置かれている状況がどれだけ絶望的なのかを理解し始めた。
「もしかして俺、何の能力もないんじゃないか?」
彼は気づいてしまった。
そう、彼には何の能力もないのだ。
漫画や小説の主人公のような特殊能力も、身体能力も。
「はは、どんな無理ゲーだよ。全く」
彼が絶望の入り混じった声を漏らすと同時に、草むらをかき分けて、醜い顔をした全身緑色で一メートル程の身長の人型の生き物が現れた。
その生き物の手には血液であろうものがこびりついてさび付いた長剣が握られていた。
そして、その生き物から発せられる臭いは悪臭と呼ぶにふさわしいもので。
生き物の死の臭い。腐乱臭。その他もろもろが混ざり、さらに腐ったような臭いがした。
しかし、アタルはそれに吐き気を催すことはなかった。
「はは、なんか出てきた……」
アタルの口から乾いた声が飛び出る。
どこか絶望したような、どこか諦めたような、そんな声が。
もうきっと諦めてしまったのだろう。故に吐き気を催すことはなかった。
きっとそうだ。
「ぐぎゃぁぁぁぁ!!」
緑色の醜悪な生き物は手に持った長剣でアタルに襲い掛かった。
その瞬間、アタルには世界がゆっくりと動いて見えた。
しかし、アタルは動くことができない。
死に直面したことにより脳が持てる力の全てを使い、生存のためにそうさせたのだが、あまりにも緑の生き物が襲ってきたことが衝撃的過ぎて動くことができなかった。
アタルに長剣が迫る。迫る。迫る。
ゆっくりと、アタルに迫るのは死。
その事実が呑み込めずに、その事実が理解できずに、アタルはただただ固まった。
そして、アタルに長剣が触れようとしたその時、何かがアタルの後方から飛んできて長剣を弾いた。
そして、すぐさま次のそれが飛んできて、アタルは飛んできたのが何か分かった。
それは、矢だった。
矢は緑色の生き物の頭に深くささり、頭がはじけ飛んだ。
「あ……あぁ」
アタルは放心状態だ。
畳みかけてくるように起きた衝撃的な現実に頭がついて行けてない。
そして、アタルの後方から、矢を放った主であろう者が現れた。
「おーい。大丈夫かい?」
矢を放ったものは、フード付きの外套を深くをかぶっており、詳しく顔などは見えなかったが、その声色により女性であろうことが分かった。
美しい、透き通った声をしている。
「あ……あぁ」
「ああ、ダメだなぁ。これは、完全に精神がやられてる」
女性が言うように、アタルの精神は壊れかけていた。
混乱と、襲われたことのショック。そして、襲ってきた相手が頭をはじけ飛ばして死んだことのショックでアタルの精神は壊れる寸前だった。
「うーん。運が良ければ治るし……いや、別に治さなくてもいいのか。まあ、このままだと運びにくいから一か八かやってみようかな」
女性は何やらブツブツとつぶやいていたが、暫くすると、何かを決心したように頷き、おもむろにアタルの頭へと手をかざした。
「『この者の心に平穏を……メンタルリセット』」
女性が言葉を紡ぐと同時にアタルの体を淡い光が包み込みどこか遠くを見ていたアタルの目がだんだんと正気に戻ってきた。
「た、助けていただきありがとうございます」
アタルが正気を取り戻しての第一声がそれだった。
「ふふ、どういたしまして。久しぶりだな、他人にお礼を言われたのは」
アタルは不思議そうに首を傾けた。
しかし、女性は「何でもないよ」と、アタルの手を引いて立ち上がらせた。
「あ、僕。アタルって言います。吉田 アタルです」
アタルが思い出したように自己紹介をする。
すると、女性も自己紹介で返した。
「私はシルヴィア。それ以上でもそれ以下でもないよ」
アタルは、シルヴィアの独特な自己紹介に思わず苦笑した。
「あ、とりあえず私の住んでるところまでこない?こんな森の中に一人でいると危ないよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そういって、シルヴィアはすたすたと、歩き出した。
もちろんアタルもそれについて行く。
そして、その道中。
「シルヴィアさんはこの森の中に住んでるんですか?」
「まあね。元々は王都にいたんだけど色々あって一年ほど前からここに住んでるの」
といった具合に他愛もない質問と返答を繰り返しながら歩いていた。
その質問のおかげでアタルはここが自分の住んでいた世界ではないということを改めて実感し、シルヴィアがアタルに比べると高い戦闘能力を有するということが分かった。
そして、そんな話をしながら歩くこと約一時間、アタルに疲れが見え始めたころ、小さな小屋が見えてきた。
「みえてきたよ、あれが私の住んでる小屋だよ」
「あそこに……もしかして一人で住んでるんですか?」
「うん、そうだよ。十年ほど前からだけどね」
「……そうなんですね」
どんな所に住もうと多少は人との関わりがあるような世界に住んでいたアタルにしてみれば、十年もの月日を一人で過ごしてきたというシルヴィアに少し思うところがあったが、あえてそれを口にすることはなかった。
それ故に表立って同情をするようなこともなかった。
「ちょっと待っててね、片づけてくるから」
そう言ってシルヴィアが先に小屋の中に入り、数分して出てきた。
「もう入ってきてもいいよ」
シルヴィアからの許可が出てアタルは小屋の中へと足を踏み入れた。
「お邪魔します」
「どうぞ、汚いところですが」
小屋の中は生活に必要最低限の物しかなく、その上どれもきれいに整理されており、清潔感のある小屋だった。
小屋に入って、アタルはふと疑問に思いシルヴィアへと尋ねた。
「そのフード、脱がないんですか?」
すると、シルヴィアは少し動揺を見せて応えた。
「あ、ああ。これを脱ぐ前に、一つだけ約束してほしいことがあるんだ」
「約束?」
「ああ、驚いてもいい。怖がってもいい。でもどうかそれを口に出さないでくれるとありがたい。私はこれでも女だから、そういう態度をとられると少し傷つく」
「分かりました。約束します」
そして、シルヴィアはおもむろに、恐る恐るフードを脱いだ。
彼女の顔が露わになったその瞬間、アタルは息をのんだ。
その反応を見てシルヴィアは少し残念そうに俯いた。
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