第22話 転生者の闇


 ミズキは水の中に居た。

 

 いや、それは正確ではない、水中によく似た空間に漂っているのだ。

 視界はある程度遠くまで届くが、水のうねりの様な効果のせいで距離が遠くなるにつれ少しづつ霞んでいく。

 上に目線を上げるとキラキラした水面を下方から見上げている感覚に陥る。

 逆に下の方は砂の地面が存在する、そこには大小様々な岩や石が転がり、海藻なども自生していた。


「どうなっているんだここは? 僕は確かにモニカの脳内へとアクセスしたはずだ」


 ミズキには身体があった、それも前世の七瀬瑞基であった頃の少年の姿だ。

 何の装備も無しに水中にいるにもかかわらず息は苦しくない。

 その時点でここは本物の水中ではないと断言出来た。

 恐らくこの身体自体がミズキ自身のイメージが作り上げた虚像なのだろう。


「差し詰めモニカの心象風景といった所か……これならアクセスというよりダイブとでも言った方がしっくりくるな」


 特に何も起こらない寧ろ心地よい空間、しかしこのまま漂っている訳にはいかない。

 そう、ミズキにはやるべき事があるのだ。


「そうだモニカ、モニカの意識に接触しなければ……そのために僕はここまで来たんだ」


 そう思った矢先、水が急に蠢き始め、潮流の様に流れ始めた。

 

「なっ、何だ!? うわっ、流される……!!」


 流れは激しさを増し、ミズキを取り込み激流となり移動していった。

 どれくらい流されただろう……気が付くとミズキは地上に居た。


「あれ? ここは……」


 辺りを見回すとそこはミズキも見覚えのある場所だった。

 近代的な建物、舗装された道路にそこを走る自動車……ここはまさに前世でミズキが暮らしていた世界、日本の街並みそのものだったのだ。

 しかもこの場所はミズキが死の直前に居たカフェの近くではないか。


「……間違いない、モニカの前世はあの……」


(……この感覚……私はまた死ぬのね……嫌になっちゃう……)


 先ほどモニカが一瞬だけ目を覚まし呟いた一言、ミズキはあれは薬による記憶の混乱で言った事とはどうしても思えなかった。

 ならだ辿り着く答えは一つ……以前に死を経験したことがある人間、転生者であるという事。

 だがそれだけなら誰なのか分からない、女神ジェニファーが言うには転生はごく限られた者にしか与えられない特権だからだ。

 それでも恐らくかなりの人数がいるはずである。

 しかしモニカの脳にダイブした事でその特定が今なされた。


「僕が車に轢かれそうな所を助けたつもりが逆に死なせてしまったあの少女だ……」


 身体も心臓も実体すらもない虚像の状態のミズキだが妙な緊張感が全身を強張らせる。


「それじゃあまさか……」


 次の瞬間、ミズキの足は無意識にある方向へと動いた。

 向かう先はカフェからほど近い車道、あの運命の事故現場だ。


「あっ……」


 反対側から少女が二人、横断歩道に差し掛かる所だった。

 前に居る少女は後ろを歩く少女の方に振り返ったまま後ろ歩きでこちらへ向かって来る。


「これは、あの時の状況そのままじゃないか!!」


 道路に入り込んでしまっている自分に気付かず歩いている少女に一台のトラックが迫る。


「ダメだ!! 渡るんじゃない!!」


 ミズキは衝動的に行動に出ていた。

 走り出して両手を伸ばし少女に飛び掛かる。


「あ……れ……?」


 しかしミズキの両手は少女の身体をすり抜け、彼はそのまま向こう側へと転がり込んだ。


「……そうか、これは現実ではない、この子が持つ死の間際の記憶なんだ……」


 路面に仰向けに倒れたまま目線を少女の方へ向けると、既に事故が起こってしまった後であり、前世の瑞基も近くに倒れていた。

 まさか転生した後で前世の自分が死んだところを見ることになるとはミズキは思いもしなかった。


「見つけた……」


「えっ!?」


 いつの間にかミズキの傍らに一人の少女が立ちミズキを見下ろしている。

 その冷たい瞳にミズキの全身が凍り付いた。


「君は……」


 この少女はミズキに突き飛ばされた少女と一緒に居たもう一方の少女であった。


「あなたがあの子を……しおりを殺した張本人……瑞基!!」


「……そんな……まさか!!」


 ミズキは気付いてしまった、自分は根本的な所で大きな思い違いをしていたことに。

 モニカは死んだ少女、栞の転生者ではなく、死んだ少女の友人の転生者だったという事に。

 呟いた時の一人称が「私」、この時点で違和感があったのだ……モニカだったら自分の事は「あたし」と言う。


「栞は私の全てだった……引っ込み思案で友達もなくクラスで浮いた存在だった私をいつも気にかけてくれて一緒におしゃべりしたり遊んだりしてくれた……なのにあなたが私から栞を奪い去った!!」


 少女から黒いオーラのような物が立ち昇る。


「待ってくれ!! あれはその子を助けようとした結果、不幸な結末になってしまったんだ!! こんな事になったしまったのも僕も死んでから女神に聞かされて知ったんだ!!」


「言い分けなんて聞きたくない!! 結果は結果、あなたが栞を殺した事実に何の違いもありはしないわ!!」


「落ち着いてくれ!! その事に関しては僕も後悔しているんだ!! 少しでいい、話しをさせてはもらえないだろうか!? 頼むよ!!」


「………」


 土下座までしたミズキの言葉に口淀む少女、暫くして彼女の口から言葉が紡ぎだされる。


「いいでしょう、言いたい事があるなら付き合ってあげる……」


「ありがとう」


 ミズキの態度に誠実さを感じ取った少女はミズキの願いを聞き入れる事にした。




 先ほどのカフェの野外席に二人で着席し、ミズキは自分の生前から事故までの経緯を少女に語った。


「そう、あなたも苦労してきたのね……でもそれと栞を死に追いやった事は別だから」


「分かっているよ」


 ミズキは肩を落とし、小さくなってコーヒーを啜った。


「そう言えばまだ名乗ってなかったわよね、私はモニカ……吉川きっかわモニカよ」


「モニカ? 今の名前でなくて?」


「そう、私は生前からモニカって名前なのよ、何でも母が好きだった歌謡曲に出てくる名前なんだって、でもその名前のせいでよく揶揄われたわ、「やーい、お前の名前日本人なのにカタカナーーー」って」


「そうなんだ」


「君が指摘した一人称の違いは私も気付かなかったなぁ、よくそんな事まで観察していたわよね、でも何で私は自分の事あたしっていうようになったのか謎よね」


「なぁ、君も、モニカも聞かせてくれないか……前世から転生に至るまでの経緯を」


「そうね、君の罪の意識を大きくするために聞かせてあげるのも悪くないかしら」


「………」


 ミズキは思った、この前世のモニカは結構陰湿な性格なのかもしれないと。


「栞が私にとって特別な存在なのはさっき言ったわよね、本当に栞の存在に全てを救われたのよ私は……彼女がいなかったら早々に生きてはいなかったでしょうから」


 のっけから話しが重い。


「そしてあの事故が起こった、怒りをぶつけようにも当事者であるあなたも死んでしまってそれも出来ない……あなたの名前は新聞の記事で知って覚えたわ、私の寿命が終わってあの世であなたに文句を言う為にね」


「………」


 結構陰湿ではなく陰湿そのものだった。


「何だかんだで私は86歳まで生きたわ、誰とも結婚せず独り身を貫いてね、そして何て虚しい人生だったのだろうと悔やみながら誰にも看取られずに病院のベッドの上で死んだら何故か異世界転生課に辿り着いていたの」


「あれ? 普通に死んでも行けるんだ異世界転生課」


「何でも深い未練に取りつかれ不幸な死を迎えた魂の持ち主にも救済として異世界転生が認められることがあるそうよ、私の担当をした女神さまが言っていたわ」


「そうなんだ」




 異世界転生課。


「次の方どうぞ」


「こんにちは」


 モニカは恐る恐る扉を開け部屋に入った。

 正面には事務机に着いた美しい女性がいた。


「あっ、そんなに緊張しなくても大丈夫、私は女神マライア、これからあなたの要望を聞いて再び生を受けるお手伝いをさせて頂きます」


「はい?」


 モニカにはマライアの言っていることが理解できない。


「あなたは天寿を全うしました、死んでしまったんですよ、それは理解していますか?」


「はい、でもそれならどうして私はこんな少女の姿なのでしょうか? 私はしわしわのおばあさんになって死んだはずなんですが」


「それはですね、あなた自身がその姿を望んだからです、言うなれば人生で一番自分が自分であると認めていた時の姿になるんですよここでは」


「はぁ、そう言うものなのですね」


 何となくだが理解した。

 この少女の姿は栞と過ごしたモニカが一番輝いていた時期の姿だったからだ。


「異世界転生って聞いた事がありますか?」


「いえ……」


 高齢の人物が知っている方が珍しいだろう。


「あなたはこれからここではない別の世界で生まれ変わって新しい生を謳歌するのです、別人として一から人生をやり直せるのです、あなたは特別なんですよ、異世界転生は誰にでも起こるものではないんです、前世で徳を積んだ者、深い未練を抱えた不幸な人生を終えた者の中から無作為に選ばれるんです、来世で実りある人生を迎えるためにもある程度の要望をお受けするので言ってみて下さいね」


「そういう事なら……あの、美咲栞みさきしおりと言う人物が死後どうなったか聞いてもよいでしょうか?」


「えっ? それは一体どういう事でしょう?」


 モニカの質問に眉を顰めるマライア。


「美咲栞がもしその異世界転生と言うものをしていたらって思いまして……もしそうなら彼女と同じ世界に生まれたいなって……」


「ああ、そういう事でしたか、ちょっと調べますね……」


 マライアは机上のパソコンに検索を掛け調べ始めた。


「ありました、美咲栞さんは異世界転生していますね」


「そうですか!! では是非!! 私もその世界へ!!」


 モニカは色めき立つ。


「えっと、念のため最初にお断りしますけどその美咲栞さんでしたっけ、あなたが同じ世界に転生したからと言って必ず会えるとは限りませんよ? 前世の記憶は消させて頂きく決まりですし」


「それでもいいんです!! 私は栞がいる世界で生きられさえすれば!! お願いします!!」


「分かりました、他には望みは無いのですか?」


「あっ……」


 モニカの脳裏にある事が過る。


「何です? 聞きますよ?」


「では七瀬瑞基という人物もどうなったか調べれませんか?」


「はい、あら、その人物も転生していますね、しかもその美咲栞さんと同じ世界に……何て偶然なんでしょう、あっ!!」


「女神様、どうかしましたか?」


「いいえ、何でもないのよ? オホホホホ」


 マライアは唐突に思い出す、後輩女神ジェニファーに相談され転生を拒んだ人物をその世界へ転生させるように指導した事を。

 たしかその時の人物が七瀬瑞基。


「もう要望は無いですね?」


「はい、それだけで十分すぎる程です」


 モニカの口元に笑みが浮かぶ、しかし瞳は笑っていなかった。


「では、来世こそは良い人生を!!」


 モニカは光に包まれそれっ切り意識が途絶えた。




「……って事なのよ、感謝するわ、あなたが私の精神世界に入って来なければ前世の記憶を思い出す事も無かったんですもの……女神さまはああいったけど私は必ず転生した栞を見つけ出すつもり、そしてあなたにも復讐するわ」


「復讐って僕を破壊するのか?」


「そういう事になるかな」


「なぁ、ここは一つ取引をしないか?」


「なあに? 命乞いなら聞かないわよ」


「違う、僕も栞さんを探したい、探し出してお詫びをしたい、謝りたい」


「そっ、そう……」


「ここで提案なんだけどモニカ、僕に栞さんを探し出す手助けをさせてくれないか?」


「何ですって!?」


 モニカは激しく動揺する。

 それはそうだろう、にっくき親友の仇と手を組もうと言われたのだ、平常心でいられる訳がない。


「願い下げだわ!! 誰があなたなんかと!!」


「考えてくれ、今のままではモニカ、君の身体は植物状態か最悪死に至るほど深刻なダメージを脳に受けている」


「何ですって!? どう言う事よ!!」


「覚えていないか? 敵に捕まって自白剤を打たれたことを」


「あっ、そうだった……どうするの!? どうするのよ!!」


 見る見るモニカの顔が青ざめ、頭を抱えて蹲る。


「落ち着けって、僕に考えがあるんだ」


 予期しなかった方向へと事態が動いていく、果たしてミズキの考えとは……。

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