第44話

 それは俺にとって最高の幸せだった一瞬、たった一枚のペラペラな紙に、星空を描いたような理想的な幸せが映っていた。


「これでも信用出来ないか?」

「微笑ましいわね。貴方はこれを守りたかったのよね」


 俺は相槌を打って、写真を懐へと戻す。そして、もう一度、俺は決心した。いつの日か、また灯も俺も皆が暮らせるように――今度は願ってばかりではない。折角、灯を知っている彼女がこうして現れたんだ。

 きっと、運命という物なのだろう。拳をグッと握りしめては、決心を固めていく。


「――どうしたのかしら?そんなに怖い顔して」


 そう言われて、俺は何でも無いと答えて、彼女の拘束具を緩めていきながら、彼女の名を問い掛けた。


「エイヴ。ジートリー・エイヴよ」


 驚きを隠せなかった。露骨に動揺をしてしまう俺に、彼女は落ち着いてからで良いわ。と優しい言葉を掛けてくれた。だが、その言葉は俺にとっては苦痛の何物でも無かった。


「エイヴ、俺は――」


 謝らなくちゃいけない事がある。そう言って、シュリが死んだ事を話した。最初、彼女はしおれた顔をしたと思えば、ただただ頷き、物静かに泣いていた。


「すまなかった。助けられなくて」

「貴方のせいじゃないわ。彼女は真っ当に生きただけ、誰よりも生に疎くて、不死を恐れていたシュリは、きっと安らかに眠ってる――そう思うのが彼女にとって一番だと思ってるわ」


 そして、彼女は思い出すかの如く、語り始めた。

 

「少し、昔の事を話してあげるわ。私の母さんはね。独りで私達を育ててくれてた。でも、物心着いた頃、私はシュリと些細な喧嘩をしてしまった」

「お金が無いから、玩具も一つしかなくて、取り合いしてしまった。でも母さんはお姉ちゃんなんだから我慢しなさいと私に言ったわ」

「外に飛び出して、一人泣いてたら、私に魔術の才能があるとか言った奴が私に声を掛けてきた」

「その才能を生かせば、幾らでもお金を稼げるなんて言ってきてさ――今思えば、私達の血筋を根絶やしにする為だったんだろうけどね」


「私達はヴァンパイアとサキュバスに生まれた汚れた血筋。だから、純潔の血族達にとっては目障りな存在だったのだと思う」

「同じ血族でも純潔じゃなければ汚れた血筋と見なすのよ。彼らは純潔以外を許さない。ある時、居場所がバレた時なんて父さんが殺されたわ」


 ヴァンパイアやサキュバスは気高い血族とは聞いた事があった。そこまでする必要があるのだろうか。純潔で、無ければ同じ仲間とすら扱わないなんて、狂ってるとしか思えない。


「同じ仲間なのに。あんまりじゃないのか?」

「ふふっ」


 貴方に分かるかしら?目の前で殺さないで!止めて!と泣き叫んでも、目の前であらぬ疑いによって父さんを殺される気持ちなんて


 ゾッとするような恐怖を、吐き捨てるように彼女はそう言った。


「――話が逸れたわね。そして、母さんは私にある呪いをかけた」

「呪いを?普通、呪いってのは気に入らない相手に掛けるもんじゃないのか?」

「えぇ、そうね。でも、私の呪いは違う。生きる為に必要だったの」


 どういう事だ。と思っている俺に、突然彼女は俺に顔を近づけてくる。驚いた俺は、後退りするも、エイヴは「ちゃんと見て」と言う。

 仕方無く、エイヴへと視線を戻すと瞳は真っ黒に染まっていた。深海に沈むような真っ黒な瞳は、今にも飲み込まれていきそうだ。


「この眼はね、母さんを殺せという呪いに掛けられた時にこうなったの」

「呪いに束縛された以上、母さんを殺さないといけなかった。でも、幼い私に出来る訳が無くて、泣き叫んで、母さんを困らせてた」

「だから、母さんは私に一生の生気を私に吸わせたのよ。サキュバスの力を使ってね。そして、私の肉体に不死術の呪いを掛けた」

「それって――」


 えぇ、ご想像通り。私の肉体は一生このまま。朽ちる事も、死ぬ事も、老いる事も無い身体のまま、そして母さんの肉体は生気を私に食わせたせいで、よぼよぼのお婆ちゃんのまま死ぬ事も老いる事も無くなったわ。


「そして、呪いは上書きされた。母さんを殺す必要は無くなった代わりに、一生この呪いを背負ってるんだけどね」

「何故、生気をエイヴに吸わせる必要があったんだ?呪いをただ上書きするだけじゃ、駄目なのか?」

「幼い肉体に、二つも呪いが掛かったら、それこそ死ぬわ。呪いを超える為には、私が大人になるしか無かった。サキュバスは生気を吸う事で、肉体も精神も大きく出来るのよ」

「だからって、そんなのは――」


 良い?

 世の中ってのは、全て暗闇なの。だから、光と言う見えてない存在に縋って、生き抜いていく。そんなとき、誰かを犠牲に生き抜く事だってある。

 貴方にとっては光でも、他人にとっては暗闇かもしれない。


「貴方が、どんな生き方をしてきたは分からない。でも、私にとってこれが正しい光だと思ってるわ」


 真っ直ぐに見つめてくる真っ黒に塗り潰された瞳には力強さと生き抜く覚悟が感じられた。エイヴにとっての光とは、生き抜く事なのだろう。


「そして、私は灯と別れてから自分の世界に戻ってきた。でも、戻ってきた時、世界は色を失っていて、誰も動かない」

「そんな時、声が聞こえたの。ゾッとするような、まるで心臓を掴まれてるような声がね」


 【殺せ】って言ってきたの。


「従うつもりは無かったわ。でも、何故かそうしたら、貴方が私の妹も灯の大事な通さえ、殺した張本人みたいな気がしてきて、抗えなかった」

「今もそんな気がするのか?」

「しないわよ。というか、貴方が通本人ならそんな事するとは思えないわ。あっちの世界で、延々と貴方の話を聞かされてたもの」

「愛されてるわね?貴方。正直、ウンザリするぐらい聞いたわよ?優しい所から、嫌いな所まで。どんな人なのか聞いてて、ね」

「アイツ……じゃあ、灯は無事なんだな?」

「少なくとも、別れるまではね」


 それを聞いた途端、全身の力が抜けていった。灯は生きている可能性がある。それだけでも、俺にとっては朗報だった。砕けるように、尻餅を付いて座り込んだ俺は、エイヴから手を差し出されて体を起こした。


「勿論、その後は知らないわよ。あの子、貴方が死んだと思って――って、そうよ。貴方、どうしてこの世界に?というより、肉体が原型が無くなるほど消し炭みたいになってたのに、貴方が生きてるのよ?」

「それについては話すと長くなるんだが――」


 【話す必要は無い】


 二人の足は止まった。二人は聞いたことがある声だったからだ。それも聞きたくないあの声の主。


 【世界を壊せ】


「嫌だと言えばどうするんだ?」


 高鳴る心臓をどうにか抑えながら、一言捻り出す。それだけでも精一杯な圧力。エイヴも動けるような様子ではない。

 純粋な恐怖、狂気にエイヴは侵されているようだった。息は上がり、逃げ出す事すらままならない。背中から聞こえてきた声に、振り返る事すら出来ない俺だが必死に声に抗おうと言葉を口に出す。


「……おい、何か言ったらどうだ!」


 聞こえなくなる声に、俺は返答を求めた。が、返事は無い。一種の暗示かと疑ったが、そんな感じもしない。ただただ、無機質な声が、頭の中で何度も何度も回っていく。

 ピィではない。もっと違う、違和感のある声。反抗の意志すらも砕いてしまう指示だけの言葉。


「なんだってんだよ。世界を壊せって意味が分からん」

「エイヴ、大丈夫か?」

「えぇ何とかね。後――あの声よ。あの声が私に殺せと命じて、私は従ってしまったの」


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【これは僕の物語だ。誰にも渡さない、僕が創り出した世界。誰の物でもない。僕の最高傑作だ】

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