エンディング・サバト ーending Sabbathー

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第0話/始まりの前と、その先のお話

燃え盛る街。あらゆるものが、焼けるにおい。

いたるところから聞こえる悲鳴と怒号は、火の爆ぜる音とともに世界を彩る。

煌びやかだった近未来的な街並みはもはや見る影もなく爛れ、あたりを照らすのはオレンジとわずかな月明かりのみ。

コンクリートの崩れる叫び声のような爆音と、散り散りに逃げ惑う人々。

袖の焦げたスーツのサラリーマン。

幼子を抱えて唇をかみしめる母親。

肩を寄せ合い、怪我人をかばう学生たち。しかし、そういったものは数える限りで___

足元を見れば、逃げ遅れたのだろう人だったものが、そこかしこに溢れて。

炎にまかれ、姿かたちすらあやふやになったもの。

ビルの倒壊に巻き込まれたのだろうか、がれきの下にその体の半分以上を隠されたひと。

ときには、それらに縋り付き慟哭を上げるものも決して少なくなかった。

誰かが、ぽつり。


「…地獄だ」


___正に、地獄がもし地表に現れたのならば。

確かに、このような惨状が繰り広げられていたのかもしれない。

阿鼻叫喚、あらゆるものが音を立てて崩れていく。

近しい人、親しい人が皆この世から消えていき、自身もいつそうなるかわからない。

恐怖とは、畏怖とは、まさにこの時のためにある感情なのだと。


これがただの災害ならば、また少し違っていたのだろうか。

何とか今生き残った人々は、一様に空を見上げる。


街も、価値観も、常識も。

すべてを破壊しつくした「ソレ」は、街を睥睨する____



・・・・・・


「僕」は、原形を留めなくなった街を見下ろしている。

崩れかけたビルの屋上、あちこちから火の手が上がるさまはいっそ綺麗で、どうにも浮世離れしているさまが幻想的だ。

まるきり現実感がない。過去にこういったことは何度か___1940年代なんて日常だった___あったけど、この町でそれが起きているというのがどうにも信じがたい感じはある。

目が覚めて、まず目にしたのがとある少女の泣きそうな顔だったというのがまた現実から乖離していて、

現実離れとかお前が言うなよ、とか誰かに叱られそうだなんて少し笑った。

「まあ、見ての通りっつか。現状はこんな感じですよ、お嬢」

うん、と隣に立つ軽薄さが服を着たような男に首肯する。

「…あんたは」なんで、とどうしてを言外に含ませながら僕は問う。ここにいるの。と。

「…いや、その、まあ…正直あんまし性に合わなかったつか。俺のいる場所はやっぱお嬢の隣かなってほら」

「は?」「いやすんませんしたちょっと調子こきました」

はあ、とため息。町はこんな状況だというのに、この男ときたら普段と全く変わらない調子である。

まあそれが今この場においては少しばかり気を楽にしてくれるので、そこまで悪い気はしないけど。

「それで、みんなは」

「みんな?書架のメンツっすか?えーと…」

「違う」

「あー…お嬢のお気にの子たちっすね。イーデン曰く全員無事らしいっすけど。…あ、焚書のやつは」

「…うん、あそこにいるね」遠く、空のほうを指さす。この距離からでもわかるくらい、深紅。

「…勝てるんすか」その声は哀願のような、嘆願なようなそんな声音で。

わからないよ、そんなの。そう吐き捨ててしまいたくなる気持ちを堪える。それでも、

「それでも、賭けるしかないんだよ、僕たちは」

「…っすね」

もう一度、空を見やる。彼の放つ深紅は禍々しく、悪魔的な空々しささえ覚える。

(そしてそれを与えたのは僕で、それを望んだのも僕だ)

ただの高校生に強引な運命を押し付けて。

あまつさえ、皆の命運まで預けようとしている。

「マッコウ」

「はい?」

「みんなを集めて」

「……えと、書架のほうっすよね」

僕は無言でそれに答える。起きたばかりとはいえ、やることは山積み、何をするにもまず手が足りない。

ビルの屋上から離れる間際、もう一度だけ振り返る。


「本当に、」

間違ってなかったのかな。

呟きは、炎に呑まれて消えていった。


・・・・・・



_____街の上空。

それまで終始無言だった男が、口を開く。

「なあ、少年」

「…?」

「今日は私にとって実に有意義で、そして予想外の一日だった。こんなに簡単に物事が運ぶとは思いも依らず、唯一の懸念であった''悪夢''もあのざまだ。よもや最後まで追いすがってくるのが君とは思いも依らなんだが__『到達』どころか『解放』もおぼつかぬ乳飲み子の様ではいくら焚書といえど私には届かんよ」

つまり、諦めてはどうだね。男は馬鹿にするでもなく、いたって真面目にそう問いかける。

「当初の目的は達した。じきに私の軍勢も来る。彼我の差はわかっているだろう、ここは残った日常を守るべきでは____」

轟音。うねる、深紅。だが、男に触れる直前でかき消されるように消える。

「…うるさい。お前は倒すんだ」

「何をそう意固地になる」いくつもの炎の柱が、男に津波のごとく殺到するも、何一つ届かない。

男は無表情に虫でも払うかのような仕草をするだけ。

ずっとその繰り返しで、それでも少年は手のひらをかざし続ける。

「約束したんだ。あんたを倒すって。だから__」

「は。呆れ果てたヒロイズムだな。勝てぬ相手に挑んで死ぬのも約束のうちか?それならば__」

もはや言葉はいらぬ。

空中に佇むばかりであった男が、踏み出して_____



___最初に知覚できたのは、とてつもない速度で男から遠ざかる自身だった。そこから遅れて全身に衝撃が走り、百メートルは飛んだのではなかろうかというところでようやく吹き飛ばされた、ということを少年は認識した。

空をコマのように回りながら飛ぶ自分を、その手から生み出す炎の勢いで殺す。なんとか正眼に男を捉えた、と思った瞬間に今度は瞬きほどの隙間で男が肉薄するのを捉え__

次の瞬間、背中にがれきだらけの地面が押し付けられるのが一瞬遅れて脳に伝わった。

骨の何本かは粉々だろう。内臓もいくつか潰れたかもしれない。

「~~~っ、ガッ、ハっ」肺の空気がすべて抜け出る感覚と、全身から熱が急速に落ちていく感覚。あまりの痛みに転げまわることすらできなかった。しかし、それにかまけている暇はなく__

「…まがりなりにも魔法使い、か。今のでまだ息があるとは、それなりな魔力含有値なのだろうな。だがまあ、しかし。

かの悪名高い焚書がこの程度とはなんとも言えぬ心地になるな」

悠々と上空から降りてきた男は、幾分か悲しそうな顔をしつつそう言い放つ。

「しら、ない、よ…そんな、の」

少年は、どうにかという感じで近くに転がっていた鉄筋を支えに立ち上がった。足は不可解な方向に曲がり、血だまりが彼の足元に煌めくが、その丹力は驚嘆に値するものであった。血反吐を吐き捨て、震える足が止まる。そしてそのまま、その鉄筋の切っ先を男に向けて__

「とにかく僕は、あんたを倒す。勝てるとか勝てないじゃない、絶対にだ」

もはや、彼が物言わぬ冷たい何かに成り下がるのは時間の問題に見えた。死に体とは、まさにこのためにある言葉というのを実感させるような様相でいて、事実彼はもはや瞼を開けきることすら困難であった。

しかしそんなことは関係ない、とばかりに啖呵を切る少年。

「…まだ、いうか」ぴき、と片眉を上げて。

ならば、死ぬまで遊んでやろう、と続けようとした刹那。


何かを感じ取った男は、目を見張る。

反射により彼が後ろへ飛び、防御姿勢を取るのとほぼ同時。少年の周囲数メートルの瓦礫や燃えていた炎がまるごと消え__空白になる。

比喩ではなく、文字通りの空白、球状にえぐられた一切の更地。瞬間、そこに暴風が吹きこみ__男は理解した。

「…すべて喰らったのか!!」地形や魔力、果ては空気全てをもろともその腕の一振りで少年が刈り取ったという事実が、びり、と脳裏を走る感覚があった。無意識に、口角が上がる。

「まさかだ。そんな力を温存して__」…否。どうやら違うようだ。

不気味なほどの静寂。二人の呼吸音。心音すら聞こえてしまいそうな、場違いな静けさ。

…どうも様子がおかしい。えぐれた地面の底に、少年は鉄筋を構えこちらを睨んでいる。だが、男に切っ先を向けていた鉄筋がまるで雪がほどけるように崩れ、しかし少年はその姿勢のままで。

そして、彼の手からまだわずかに迸っていた深紅の炎は、じわじわと彼の体に纏わりついていき__

ピシ、とまるで炎のような現象が持つ音ではない音を立てたその次の瞬間。

彼の全身を覆った深紅が、赤い水晶のように結晶化する。そのまま、ゆるりと己が作り出した窪地の爆心ともいえる位置へ浮いて行き__

「…魔人化?いや、これは__」

不用意には近づけぬ、とその様を見聞するように眺めていた男がつぶやく。

(私の知る限りでは、魔人化にあのような形態の変化は含まれていない。焚書特有の現象か?しかし、放散魔力もそれの黒化も起きていない…この短時間で『解放』段階に至った?)

突如姿を変えた少年から目を離さず、高速で思考を巡らせる。数世紀生きて初めて見るその現象に目を奪われていたといってもいい。

片や少年は、宙に佇み男を見下ろすだけだ。結晶に覆われたその双眸はうかがい知れず、不気味な光がちらつくだけである。


…いつまでそうしていただろうか。数秒のような気もするし、数時間のような気もする。

互いから目をそらさず、また逸らせず。街が死んでいく音すらどこか遠く。

しかしそれは唐突に、がらがらと瓦礫の崩れる音がその場に横たわる静寂を打ち崩して。

__動いたのは、男のほうだった。

仮に少年の現状が未知の現象だったとして、私が彼を排除する障害にはなり得ないし、私に届くものなど指折るほどいるだろうか。そしてなにより___

(アレは、危険だ)

永い人生の中で、そう感じることは稀であった。いや、なかったというべきか。

個体として尋常ではない強度を誇る男ですら、そう本能が嗅ぎ取ってしまうほどの何か。

男はそれを認めたくはなかったが__脳裏の警鐘は止まない。

彼は私を倒すと嘯いたが、本当にそうなってしまわぬように。

焦り、だろうか。彼はこの一撃で終わらせようと、街をこうまで破壊した一撃をたったひとり、彼一人に万全の威力で放ち____



_____なにも、起きなかった。

理解が追い付かない、と男の目は語っている。

だが、ここで隙を作れば「何が起きるか」わからない。

間髪入れず、もう一度を試みて___


瞬間、深紅が視界を埋め尽くすのを知覚する間もなく、男は消滅した。


・・・・・・・


____そよ風。

「……ぱい。せんぱい?」

優しく、体がゆすられる感覚。

「…んえ」

「もう下校時間です、というかそんな姿勢で寝てたら体痛くしちゃいます」

ゆらり、ゆらり。おかしいな、まだ目覚ましは鳴ってない。というか母さんわざわざ起こしに来なくても___

違う。いまはたしか部活中で、昨日の徹夜が響いてどうにも眠くてちょっとだけ寝ようと…下校時間?…あれ、そうえば___


「……サイトの更新っ」

「ひゃっ」どうやら驚かせてしまったらしい。

勢いよくがばりと突っ伏していた机から身を持ち上げた瞬間、ぴき、と首に走る痛み。

「~~~~っつ…」

「もう、だから言ったんですよ。あと、顔にキーボードの跡ついてますよ、せんぱい」くすり。

「…あー…もう」恥ずかしいやら痛いやら。

ぐるりと首を回して、あくびを一つ。どうやら今日やろうと思っていたことは何一つできずに眠りこけていたらしい。PCの画面を見ればわかる。なんともだらしがないなあ、と自虐。

部室にいるのが彼女だけでよかった。残りの部員は先輩が一人と同級生が一人だが、先輩のほうはバイトで、同級生のほうは家の用事で空けている。

…冷静になって考えてみれば、可愛らしい後輩女子と二人きり、という状況なのだが。

彼は寝過ごしてしまったことに頭がいっぱいのようで、そこまで頭が回っていないのがある意味救いだった。そんなことに気づけば、彼はあっという間に動転してしまうだろうから。


「あ、せんぱい、ひとついいです?」

何でもないことを聞くようなトーンで、彼女は切り出した。

ふわり、と彼女の髪が、短い三つ編みが揺れる。

外はもう夕暮れで、運動部のやかましい喧噪も聞こえない。

窓を向いているその表情は見えず、彼は少しだけ怪訝そうに彼女に視線を送った。

彼女は何かを切り出そうとして、小さく息を吸い込んで。

「…いえ、やっぱりなんでもないです」

でも、それを口にすることなく。

「…気になるなあ、なんだよ」

「いいんですよ、つまらないことですから」

「ううん…なんか居眠りしてる間に変な夢見た気もするし、サイトの更新は忘れたし、新しい噂の情報収集もしてないし…おまけになんか変に思わせぶりだし」口をとがらせるように言う彼を傍目に、彼女は小さく微笑んで。

「まあ、いいじゃないですか。…帰りましょ、せんぱい」

どうにも釈然としないものを抱えつつ、半ば口のなかでうん、と返事をする。

「ちなみに、変な夢ってどんな夢だったんですか?」

帰り支度をしながら、彼女はそう問いかけた。

「……うーん…なんか変だったのは覚えてるんだけど…」

「あんまり覚えてない感じなんですね…ま、まあ夢なんてそういうもんですよ」

「…?…うん、そうだね」

じゃあ、帰ろうか、といって、部室を後にする。もうあまり人気のない校舎を抜けて、校門を出て。

「あ、今日は用事あるのでこっちから帰りますね」

「ああ、うん、き、気を付けてね」

「相変わらず変なところでどもるんですね」と、彼女は柔らかく微笑んで。

小さく手を振ると、宵闇に変わろうとする街並みへと消えていった。

「…僕も帰るか」



____この時感じたほんの小さな違和感を、僕は少し先になって後悔することになる。

人生にもしもはなくて、必然の連続だとして。

だけど「それ」を追及できるほどの何かを、僕は持ち合わせていなくて。

だからといって、「あの事件」が起こるべくして起こったなんて、到底納得できるはずもない。

きっと____

___きっと、歯車は既に、ここから軋み始めていたんだ。



これは、どうしようもないお話。

悲しいお話かもしれないし、つらい話かもしれない。

舞台装置は、その舞台で何が起きているかを制御する術を知らない。

読んでいる小説に新たな結末を加えるのは単なる自己満足で、

誰が死ぬかわかっている映画でも、その末路を変えることはできない。


それでも。

それでもいいからと、足掻くことのほかに何も知らないから。

こんな物語を紡いだ___紡いでしまった、そんなどうしようもない僕らのお話だ。





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