第43話 魔王の庇護
身支度を整えたジルベルトは、さすがは名家の直系と感心するような優雅さだった。
湯で暖まった事もあってか、先程よりずいぶんと血色も良い。ふんわりと漂ってくる優しい匂いは、我が家特製の
「あの色だと、坊ちゃんが着るより領主さんのほうが似合いますねぇ」
うるさいよ、ポム。おまえはもう少し俺に対する配慮ってものを学ぶといい!
失礼な従僕にバシッと一発キツイのを叩きつけておいて、俺は椅子にゆったりと腰掛け直した。
「まずは、ようこそ我が支部へ、と言っておこう。アヴァンツァーレの当主よ」
そう声をかけると、なぜか唖然とした顔でこちらを見ていたジルベルトが慌てて姿勢を正す。
俺達がいるのは、グランシャリオ家ロルカン支部の二階、簡易食堂の一角だった。
貴人を迎えるには難のある場所だが、他に広い場所が無いので仕方がない。食事を提供する意味でも、ここのほうがいいだろう。
ともあれ、場合によっては怒られても仕方のない場所だったが、ジルベルトは案内された場所については何も言わなかった。
「この度は素晴らしい湯を堪能させていただき、ありがとうございました。このような服までお借りしてしまって……必ず綺麗な状態でお返しさせていただきます」
非常に恐縮した顔で丁寧に頭を下げるジルベルトに、俺は内心で評価を上げつつ、表面上は鷹揚に微笑んでみせた。――といっても、フードをかぶっているので口元しか見えないだろうが。
「気にする必要は無い。手慰みに作ったものの、今の俺では着る事のできないものだ。気に入ったのなら差し上げよう」
「い、いえ! これほどの品を頂くだなんて……我が家の現状ではお返しできるものがありません。お心だけありがたく頂戴いたします」
恥ずかしそうな表情には、どこか苦しげな色があった。
会ったばかりの俺に現状を曝露してしまっているのは当主としてどうかと思うが、取り繕わない姿には個人的に好感がもてる。がめつくないのも、評価できるポイントだろう。
もっとも、だいぶ点が甘い自覚はあるのだが。
そんなことを思いながら観察していると、何かに気づいた顔でジルベルトが目を丸くした。
「あの……お作りになった、と仰いましたか?」
「ああ。その服は俺が作ったものだ」
なんでもないことのように言いながら、その実俺の目は爛々と輝いている。
そう! ジルベルトの着ている服は、俺の力作、今生における初『礼服』なのだ!
裁縫の技術はコツさえ掴めばそれほど難しく無いのだが、体がそれを覚えるまでが時間がかかる。
俺は知識こそあるが、俺の今生の体には技術力が備わっていない。そのため、まずは糸紡ぎといった初歩の初歩、恐ろしいほどの単純作業から開始することになった。
ちなみに糸紡ぎから始めるのは、そうすることで素材の把握力が体に蓄積されるからである。糸紡ぎを飛ばしても技術力は得られるのだが、した時としなかった時では、した時のほうがハイクオリティな作品を作れるようになる。そのため、裁縫職人として高い技術力を身に着けたい場合は、決して疎かにしてはいけない作業だった。
そこまで技術力に拘らない場合は、穴塞ぎ等の繕いものから入るのが一般的だが。しかし俺は認めんよ! 初めは下積みから! あと、素材から作っておくと既製品を改めて買うより安くつくからな!
さて、その糸紡ぎが終わったら布を織り、それもある程度――というか、凄まじく大量に――実績を積んで初めて、ようやく衣類を作る資格を得る。
まずは外套や、手甲、
俺の作品だよ! 頑張ったよ!!
しかし次代の魔王たるもの、そんな風に努力を誇示してはいけないのだ。浮かれてもいけないのだ! どれだけ鼻膨らませてドヤりたくても!
辛い!
「グランシャリオ家の方は、上に立つ方の技術も素晴らしいのですね……私も先代からいくつか譲り受けましたが、これほど美しいものは持っておりません」
ドヤァアア!!
「そうか……お気に召していただいたか……」
ふ……ふふふ……地味で単純な作業をえんえんと繰り返すこと数か月。ようやく……ようやく俺は他人様からお褒めの言葉をいただいたのだ。正直、マゾいことこのうえない単純作業を越えて!
「ならば遠慮はいらない。俺の力作、その全部を持って行くといい」
ポムさん。全部包んであげなさい!
「……坊ちゃん……あの量は、軽く嫌がらせになりますよ……」
失礼だな! 失礼だなポム! 軽く各種百着程度じゃないか!!
大丈夫だ! とりあえず成長にあわせれるよう、サイズに変化はもたせてるから! 各最大五着ずつで十五歳から三十歳代まで取り揃えているとも! 腹の締りが無くなった時用に樽腹用タイプも作ってあるとも!!
……まぁ、作業着百着とかいらないかもしれないが……
……あと、脚絆も百いらないか……
というか、
「……貰ってもらえないと、俺の無限袋が服に圧迫されてて辛いんだ……」
「……坊ちゃん、なにしれっと領主さんに在庫押しつけようとしてるんですか……」
思わず零れた俺の呟きに、ポムが呆れた声をあげ、ジルベルトが唖然とした顔で俺たちを見比べる。
「……グランシャリオ様は、裁縫師だったんですか?」
「いや。単に全ての技術を高めようとしてるだけだ。革細工や木工もやっているぞ」
「……は、はぁ……」
「うちの坊ちゃん、生産系マスターを目指してますからね」
ちょっと腰が引けているジルベルトに、ポムが苦笑しながら説明する。
そう、生産系……ええと、生産系マスター? を目指しているとも。詳しい内容はよく分からないが、たぶん生産系スキルを万遍なく修めるとかそういう意味だろう。
「すごいですね……!」
「そ、それほどでもないぞ。これからの産業を考えると、まず自分が習得しないといけないからな」
「それでも、世界の全ての生産を司るとされる最高峰を目指すなんて、なかなか出来るものではありませんよ!」
ポムぅうううううう!!
おまえ分かっててアレ言っただろ!? なんだよ世界の全ての生産を司るとか最高峰って!? たんに万遍なくマスターした趣味人枠じゃないの!?
「坊ちゃんは志の高い方ですから」
「まだお若いのに、すごいですね……なんだか、こう……我が身を振り返って、恥ずかしくなります」
「いえいえ、領主さんも頑張っておられるじゃありませんか。そのお年で領主の責を負い、あの領地を治めようとしているだけでも相当なものですよ。普通の大人にすら難しいと思います。坊ちゃんは人外なんで領主さんが気にすることは全くありませんよ」
「そ、そうです……か? え?」
ポムがナチュラルに俺に酷い。最初だけ褒めてるように見せかけてるが実際には楽しげに追いつめている。というか、どさくさに紛れて俺が人外ってバラすのどうなのだろうか。あと、なんか意味が違ってるような気もするけど、俺の気のせいなの?
俺が心からのジト目で見つめている間に、ポムは礼服と寝間着と普段着用のチュニックとズボンだけジルベルトに押しつけ、他の在庫に関しては店で売る為の『服飾販売許可』をもらってそちらで処分することになった。屋敷の従業員用に持って行ってくれてもよかったんだがな……
店に出す商品の種類等に関しては、大規模なものは町の領主や組合の許可をもらわないといけない。礼服等の対価として、しれっと相当な種類の商品を扱う権利を手に入れたのだから、下手に俺が口出しするよりポムに任せておいたほうがいいだろう。
……一応、貿易部門の筆頭なんだよな……普段の言動からは想像しにくいけど。
「ちなみに革細工も大量にあるんだが……」
「い、いえ! 流石にこれ以上を頂くわけにはまいりませんので!!」
断られてしまった。仕方ない……俺の処女作『泥棒兎の小粋なマント』をこっそり贈り物に混ぜるぐらいで我慢しよう。あと『天魔羊の輝ける敷物』と『天魔山羊の滑らかな敷物』もそれとなく押しつけておこう。ついでに布団も押しつけれないかな……あと俺の作った家具とかも。そろそろ鍛冶で鎧とかも企画してるんだが、いらないかなぁ……?
「……坊ちゃん」
分かってる。分かってるよポム! だから、俺をなま暖かい眼で見るのはやめるんだ!
ひとまず無限袋に僅かながらスペースが出来たことを喜びつつ、俺は咳払いして微妙な空気を改めた。
「そうか。そちらの重荷になるのは俺の本意では無い。販売許可を頂いたようなので、手続きが終わり次第売り出すことにしよう。こちらの大陸は、今、変異……いや、
そのおかしいのが普通だと思いかけたけどな! ポムが説明してくれなかったせいで!
「魔物素材の防具が増えれば、負傷者も減らせよう。……冒険者組合にも声をかけておくべきかもしれないな」
「ああ、それでしたら私からも声をかけておきます。そういえば、冒険者にもなられたんですよね」
「今朝に、な。……もしかして、それでそちらに情報が?」
「はい。ちょうど爺や……一緒に来ている老執事なのですが、その者が噂を聞きまして。どうやら噂のグランシャリオ家の方がお見えになっているようだ、と。あ! グランシャリオ様のお家は、ここ数ヶ月で冒険者ギルドを中心に話題でしたから」
ふむふむ。遠方にも出向く冒険者が口コミで広げてくれた結果かな。命がけの戦闘も発生する冒険者は、こういった情報に貪欲だ。最初にターゲットにして正解だったな。
「まさか、かの英雄テール様までおられるとは、思いませんでしたが」
俺達から視線を向けられて、テールはやたらと品良く一礼してみせた。……やだ。大人だわあのひと。増長しないわ。
「おそらく、それらの情報は今日中にこの近隣全てに広がるでしょう。面会を求める訪問者がひっきりなしになるでしょうね」
「それは煩わしいな……」
冒険者組合で会ったフサフサの某男を思い出し、俺は溜息をついた。魔王時代も色々と面倒なことはあったが、ルカ達側近が些事を片づけてくれていたのでそこまで面倒だとは思わなかった。今だとポムやノア達に命じておけば俺に直接近寄る者の数を減らせるだろうが、そうなると今後つきあっておいたほうがいい者達も一緒に排除してしまう可能性が高い。
……いや、ポムはわりと目敏いから、そういうのも綺麗により分けそうだが……
(さて、どうしようか)
考え、前を見る。
どこか困った顔で言葉を探しているらしいジルベルトが見えた。
よし。引き込もう。
「さて、簡単なものではあるが、食事を用意させていただいた。俺も昼食がまだだったのでな。付き合っていただけるとありがたい。歓談がてら、そちらの用向きも伺おう」
ある意味唐突に、けれど別の意味では計画通りに俺は声をあげる。
ちなみに料理は俺の指示通り、簡単なものとは名ばかりの、滋養に飛んだ最上級のものばかりが用意された。
ああ! 全力だとも!! 胃袋を掴んでやろうという計画だとも!
そして疲労困憊してるジルベルトの全力で癒してやろうという策略だとも!!
まず新鮮素材で作られたサラダ。
食欲を駆り立てる為に、彩りに工夫し、味付けにもこだわったものだ。珍しい素材は含まれていないが、鮮度はとびきりなので美味しいはずだ。
その効果は一時的な知能増加。脳を活性化させ、より鋭く神経を研ぎ澄ませられるようになる料理だ。
次に胃に優しく滋養の高い薬膳スープ。
素材は十年に一度だけ採れるという薬効高いキノコに、竜の骨、鳳の肉など。これを原型が留めないぐらいに煮込んだもので、透明感のあるスープながらその中身は百種類の素材が溶け込んだ逸品。
これの効果は体力増強と体力持続回復。最大体力が二倍になり、約三時間ほど、じわじわと体の奥から体力が回復し続けるという代物だ。同時にある程度の病魔を駆逐し癒す効果もある。敢えてジルベルトに教えるつもりは無いが、伝説の料理『神々の晩餐』シリーズの一つである。
……あれ、この料理、普通に俺でもめったに食べれないレベルだぞ……命令したとはいえ、家人の本気度がちょっと怖い。
おかわり自由で用意してあるパンは、生地に香草を練り込んだもので、数口で食べれるよう小さ目に作ってある。ちなみに焼きたてだ。連結済みの『無限袋』は、こんな時にも役立ってくれるな。
こちらは最大体力が一・五倍になるという程度のものだが、晩餐スープがあるから相殺されてしまっている。ただ、練り込んだ香草ごとにちまちまと薬効はあり、疲労等で狂った体内の機能を整えてくれる効果もある。今のジルベルトにはぜひ大量に摂取してもらいたい品だ。後で土産にも持たせよう。
その次が魚料理。
こちら側の魚では無く、セラド大陸の魚だ。骨で苦労しないようテリーヌにしたもので、口当たりが良く上品な味わいになっている。ちなみに素材は怪魚(レモラ)という変異種(ヴァリアント)なんだが、言わなければ分かるまい。伝説級の食材であり、これまた『神々の晩餐』シリーズの一つだった。
ちなみにうちの
その効果はサラダと同じ知能増加と脳活性。これの恐ろしいところは永久持続というところにある。一説によると『手の付けられない馬鹿は普通並みに』『普通の者は天才に』『天才は賢者に』『賢者は大賢者に』知能指数が跳ね上がると言われている。
俺は前世でも何度か食べたことがあるんだが、別に何の変化もなかった。たぶん大仰な謳い文句なのだろう。
……俺の
「こ、これは、なんと……おおっ!」
ジルベルトはここまでの料理をひたすら貪るように食べていた。流石に食べ方は綺麗だが、食の進みが尋常では無い。
ふふふ。堪能しているようだな。しかも、もりもり体力が回復しているようだぞ。心なしかさっきまでより瞳の輝きも強い。顔立ちが穏やかな美少年から切れ者の美少年に変りつつあるような気がする。……あれ?……どういうことなの……?
「爺や! 爺や、素晴らしいぞ。おまえも無粋な事を言ってないでご相伴におあずかりしろ!」
「なにを仰いますか! 従僕が主と同じ食卓になぞ、つけるはずがございませんぞ!」
感極まって初老の執事を呼ぶジルベルトに、彼のお付きである爺さん執事が目を剥いた。
そう、せっかくの食事だというのに、爺さんは「私は従僕でございますので」と丁寧に断ってジルベルトの後ろに控えているのだ。態度としては正しいが、ジルベルト同様、フラフラで腹ペコなのは分かっている。必死に我慢しているようだが、さっきから料理に目が釘付けだし、お腹からきゅーきゅーせつない悲鳴があがっているのだ。正直、俺はそれが気になってしかたがない。というか、悲鳴がせつない。
「ポム。別室に用意してさしあげろ」
「畏まりました」
俺の台詞にポムが微笑ましそうに頷く。こいつがここまで機嫌がいいの、初めて見た気がするな。
相変わらず恐縮する爺さん執事を最終的に抱えて持っていくのを――ちょっとどうかと思いはするが――見送って、俺はジルベルトに向き直った。
「料理はお気に召したようだな」
「お気に召すなどと……! こんなに美味しい料理は、初めてです!」
むふふ。これだけ大喜びされると、気分がいいな!
満面笑顔で嬉しそうな姿を見ると、子犬に懐かれたような気分になる。ジルベルトは十六歳だったか。
「生ものは腐りやすい故土産には適さないが、パンならば大丈夫だろう。屋敷の者の分もあわせて、いくつか土産に見繕っておこう」
「え、い、いや、そんな……!」
む。また辞退された。
かつて話したことのある人族はやたらとクレクレ言う男だったのだが、ジルベルトは真逆だな。おかげで前の経験が生かせない。……この場合は、どう言うのが正解だろうか。
「……正直に言うと、新たな商売として料理屋を経営したいと思っているのだ。人間の――いや、この地の者の舌にあうかどうか、貴殿のところで確かめていただけると嬉しいが?」
どうにかそれっぽく言った俺に、ジルベルトは眉を情けなく垂れさせて微笑んだ。
「なんだか、その……随分と良くしていただいて恐縮なのですが……」
「そちらが恐縮するほどのことは、まだしていない。それに、先にも言ったがこちらにも便宜を図ってもらいたいという下心がある。気にされる必要は無い。こちらは何もかもまだ手探りでな。食べ物にしろ、服にしろ、実際に判断をしてくれる第三者が欲しいのは事実なんだ。領主殿は鷹揚に構えて、我らの歓待をこちら側の領主として吟味していただきたい。むしろこちらとしては、失礼になっていないかどうか、不安な部分も多いのだが」
「失礼など……、確かに風変わりではありますが、ご配慮は伝わってきますので」
む!? 風変わりなのか……そうなのか……
まぁ、いきなり風呂は薦めないよな……でも臭かったんだから仕方ないじゃないか。人族の入浴が一週間に一回レベルなのは聞いてたけど、毎日派な俺には体臭が耐えられんのだよ。
とはいえ、ジルベルトはそこらのオッサン連中より遥かに体臭薄かったけどな。
「一度、こちら側のしきたりなども学びたいところだな」
「はは。そんな大仰なものはありませんよ。どちらかといえば、位の上下でずいぶんと見下されたりされることの方が多いですし、そういった対応に比べれば……」
「風変わりでも許される、か」
「人によりけりでしょうけれど、私は嬉しかったですよ。久しぶりにすばらしい物を心から堪能できましたし、お風呂ではゆっくり息をつけました。思わずこのまま眠ってしまえればどれほど心地よいかと思ったほどです」
ああ……うん……眠ってたね。普通に湯船で居眠りしてたよね。ポムが途中で慌ててすっ飛んで行ったから何事かと思ったよ、俺達は。
さっきの爺さん執事も水没しかけてて、あやうく領主を湯船で暗殺した下手人になるところだった。ちなみに風呂中の爆睡は実際には居眠りとは言わない。気絶だ。
「……それだけ疲れておいでなのだろう」
「そうですね……」
ジルベルトは目を伏せて口元を微笑ませる。自嘲の色の濃いそれをふいに隠して、真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「――グランシャリオ様には、きっと、うちの現状が筒抜けなのでしょうね」
……む。
流石に察してしまったか。まぁ、何も聞かずにあれこれ物を渡そうとすれば、窮状を知られていると思って当然か。
それなりに頭が回るようだし――って、料理のせいもあるのか? もしかして、本当に『普通の者は天才に』!?
密かに冷や汗をかき始めた俺をひたと見つめて、ジルベルトはナイフとフォークを置く。
ちなみにテリーヌは綺麗に食べ終わっていた。パンをつかって皿の上のソースも全て拭い終わっているレベルの綺麗さだ。
「我が家は、この付近、タッデオ地方南部を治める領主。僻地である地方貴族ではありますが、カルロッタ王国においては序列八位の貴族になります」
静かに語るジルベルトを俺は見つめる。
ジルベルトの目は悲しそうだった。そこに、序列八位を誇るような気配は無い。
「ですが、お恥ずかしい話、天災や身内の争いもあり、現在はかつてのような力はありません。おそらく、グランシャリオ様のお家のほうがお力があるでしょう。今までこのあたりで名をお聞きしたことはありませんでしたが、別の大陸におかれましては名を知らぬ者のない大家とお見受けします」
真っ直ぐに俺を見つめたまま、ジルベルトはそう言った。
食事の豊かさは、家の豊かさを表す。
この街の主であり、領主であるジルベルトなら、ここに来る前に一通りの資料ぐらいには目を通しただろう。我がグランシャリオがこの地に来た時期や、理由、展開している事業や取引などを含めて。
そうして気づいたはずだ。他大陸に進出しながら、あっという間に地盤を固め、魅力的な商品を流して事業を展開していることに。
己の力の及ぶ大陸では無く、別の大陸に出てさらなる発展を見せるのは、並大抵では無い。そうできるだけの資金が最低限でも必要となるのだ。我が家は想定外の好売上を記録しているが、そうでなくとも事業を展開し続ける力はあった。なにしろグランシャリオ家はセラド大陸魔族大家十二家において、筆頭貴族とされる一族だ。人族の位で言うと、一国の王に匹敵する。
資産家としての体力が根底から違うのだ。
「そのうえで、お話があります。もし、我が家の現状でもそちらの力になれることがあるのでしたら、取引をお願いしたい。グランシャリオ家の力をお借りして、私は我が領地に再び栄華を取り戻したいのです」
直球だ。ものすごい直球だ。
しかもシンプルで分かりやすい。問題は、シンプルすぎて上限も下限も分からないことだが。
「領主殿」
「はっ」
「そちらの取り戻したい『栄華』とは、どのレベルのものを指す? この付近一帯を恙なく納める大領主程度か? それとも、国王を凌ぐほどか?」
「領民を飢えさせることなく養い、伝染病を発生させることなく抑え、負債にあえぐことなく健全な政策を行い、物価の上下に辛酸を舐めさせることなく流通を整え、同時に無用な争いを起こす野心の無い統治を指します」
テール達が「おっ?」と目を瞠ったのが分かった。俺もビックリしたほどだ。
ポム曰く「政策が下手」とのことだが、この受け答えを見るにとてもそうは思えない。……神々の晩餐料理、ちょっと効果ありすぎじゃないだろうか?
「……成程」
内心の驚きは隠しておいて、俺は平静を装って相槌を打った。
ジルベルトは真っ直ぐに俺を見る。口直しのソルベが配られ、ちょっと手がピクッとなったようだが、我慢して真面目に見続けていた。
――おや? これは……
ジルベルトの様子を見て、俺は密かに決意した。
「では、領主殿。一つ、言わなければならないことがある」
これを『今』言うのは早計かもしれない。
だが――面白い。いいじゃないか――という気持ちだった。
ジルベルトは若い。その分未熟で、足りないものも多い。
だがその反面、逃げだしたくなるだろう重荷から逃げずに、死が迫るほど己を酷使して職務を遂行しようとしている。その姿は、ある者から見れば無様で、ある者から見れば哀れで――俺から見れば、とても愛おしいものだった。親近感を抱いてしまうほどに。
「俺は故あって、そちらに俺自身のことを語ることは出来ない。我々が何処から来た者であるかや、どういった者であるのかも語ることは無い。もしかすると、俺と関わったことが原因で貴殿は他者に悪しざまに言われるかもしれない。俺には敵がおり、そいつらの標的として刃がそちらに向く可能性もある」
いいじゃないか。
断られても、受けられても、どちらでも構わない。
他に手をとるのに良い家も、都合のいい家もあるだろうけれど、俺はジルベルトの手をとりたい。下手でも無様でも頑張っている子供にこそ、救いはあるべきだろうから。
だから、
「俺は、俺に恭順を示す者に対して庇護を与える」
決して嘘はつかず、
「だがそれは同時に、俺の敵の目にとまり、俺と共に滅ぼされる可能性も含むのだ。いつの日にか、俺が何者であるか知ることもあるかもしれない。その時に、『騙された』と思うかもしれない。そしてその時にはおそらく、他の者は貴殿の言い訳を聞かず、貴殿を弑するだろう」
せめて明かすことのできるプラスとマイナスの要素を提示して。
「それを踏まえ、吟味して、判断を下すといい」
俺は一旦言葉を区切り、じっと見つめてくるジルベルトの目を見返して言った。
言葉の間中、迷いを顔にもその瞳にも出さなかった少年を。
魔王(おれ)の眼差しを受けて、逸らすことなく受け止め続けることが出来た男を。
与えるに相応しいと――
「貴殿が貴殿の信念に則り、俺にとって信頼に値する者として共に歩み続ける限り、俺は俺の持つ力で貴殿と貴殿の治める地に庇護を与え、繁栄をもたらすことを我が名に誓おう」
その命ある限り庇護下におくという、
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