第12話 父親
ふと、頷いた自分に気づいて瞬きをした。
周囲には何もない。
何かに座っている自分の前に、ぼんやりとしたものが佇んでいるのを感じた。
何もないと思ったが、誰か居たようだ。ひどく懐かしいような、いつもの通りのような、不思議な感覚がする。
ぼんやりとした影が頭部を傾げる。
――ほんとうに、もういいの?
会話の続きのようだ。
……何の会話をしていたのだったか。
思い出せないけれど、何故か答えだけは分かった。
「もういいよ」
言うと、そう、と小さくため息をつくような声が返った。
不満なのだろうか。
どちらかと言えば、少し寂しそうだ。
――選ぶんだね。
「最初から、選んでいるよ」
――……そうだったね。
声はよく知っている声だ。
けれど少し違う気もする。
誰の声だったか思い出せない。
でも俺の近くにいる者の声だ。すぐ傍にいる感覚がする。誰よりも内にいる感覚が。
――もう少し、甘えてもいいと思うけどね
「もう充分、甘えたよ」
惜しい、と思う気持ちはある。
あと少し、あと少しと温もりに微睡んでいたい気持ちも。
けれど、時は待たない。
自分にはやるべき事がある。
「過去が現在になる前に、明日が今日になる前に、防がないといけない」
――君だけでは■■■ないよ。■■の■は万能じゃない。
「知ってる」
悲しげな気配がした。
そんな風に思いつめなくてもかまわないのに。
――■■を■■て
「まだ、無理だ」
――独りでするつもり?
その答えは、まだ出ない。
影は悲しげなため息をつく。
――■■はまだ戻せない
「うん」
今戻っても、自滅するだけだろうしな。
というか、やっぱりお前が抱え込んでいたのか。
お前のほうがよっぽど、一人で何もかも抱え込んでいるじゃないか。
――でも、前へ進めば、その分君の元に■■だろう
「そうか」
――こんな■■は、無い方がいいんだけれど……
「そうもいかない」
きっと今の世では害にしかならないものであろうとも、全て自分のものだ。
罪も、罰も、諸共に。
――ごめん
「お前のせいじゃない」
言うと、違うというように首を横に振られた。
俺は苦笑する。
「もう、時間だ」
――うん。
酷い顔をしてるな。■■■■■の■は。
『あの時』も今も。あんな顔でずっといるつもりなのだろうか。
どうしようもないな。
――また、忘れるね。
ああ、それもどうしようもない。
――また会える?
いつでも会っているだろうに。むしろどうやって離れるんだ。
ああ、でも会話は出来ないか。
「また来るよ」
覚えていなくても。
なぁ、だから――
「もう泣くな」
●
朝だ。
周囲はまだ薄暗い。
まだ太陽も顔を出したばかりで、世界は夜の静寂に身を浸していた。もう少ししたら遠くで鳥達が鳴き始め、近くの街もまた起きだしてくるだろう。
炉や炊事場に火が入り、煙突からは細い白い煙があがって、軒先には朝食の準備をする匂いが漂ってくる。屋敷の大きな炊事場にも今頃火が入りはじめ、下拵えをする下働き達を叱りつけながら、料理長が今日の料理を取り仕切るのだろう。
朝の気配は好きだ。
さぁやろうか、という気配に満ちている。
静寂を壊す程の賑やかさはまだ無く、空気は澄みきって身も心も新しくなったような気がしてくるのだ。黄昏がどこか気怠げな静けさをもっているならば、朝焼けは目覚めようとする気配だろうか。
そんな夜明けと共に目を開けた俺の前で、前世の俺にどことなく似てる男がすやすや眠っていた。
父様だ。
俺はしげしげと父親の寝顔を見る。抱きかかえられているので、目の前にある父親の顔ぐらいしか視界に無い。
それにしても、こう見ると、俺は父様の方に似ているんだな。母様の方に似ていたら、もっとぽやんとした顔になっただろうから。
もっとも、父様のようにモテたりはしないのだが……パーツは似てるはずなのに、この圧倒的な違いはなんなんだろうな……
しかし、こんな静かな顔の父様を見るのは久しぶりだ。
前世では基本顔だった気がするのに、今世だとレアなのは何故だろう。だいたい緩い顔しか見てないな。
息子の目から見ても、デレてない父様の顔は実に整っている。
クロエとしていた母様の惚気話を纏めると、父様の婚約者の座は熾烈な争奪戦だったらしい。何故か貧乏貴族の自分が正妻の座についたものだから、結婚前後は色々ブラックでカオスなアレソレがあったとか何とか。
母様よく生き残ったな……ぽやぽやだったのに。いや、最近は怖さとか強さとか垣間見せてもらってますがね?
クロエからは「レディオン様は、奥方になる方をしっかり守ってさしあげてくださいね」とか言われた。
……父様、母様をちゃんと守ってなかったんだろうか?
そういえばほとんど会った事ないけど妾いるしな。俺が生まれてから俺にべったりだけど、そろそろ構ってあげないと不満爆発するんじゃなかろうか……
……ハーレムってヘイト管理が大変だと聞くんだが、父様、そのへんどう処理してるんだろうかな……放置はアカンよ?
ちなみに、クロエや家令曰く、母様は現在のグランシャリオ家で最強の位にいるそうだ。
俺という魔王候補を出産したというのが大きいらしい。良家に嫁いで最高の実績を残した、というやつだ。良い跡継ぎを産むのが最大の任務らしいから、成程なとも思うが……俺は子は子であればそれだけで可愛いと思うんだがなぁ……
が、実績に対して評価と報酬があるのは当然で、母様の実家も多大な恩恵を得たようだ。
落ちぶれていたけど、最近は貿易業を細々とだが再開しているとか。今度顔出しして何を扱っているのか見せてもらおう。クロエの家は家畜を飼っていたから、そのあたりかな。俺は羊毛布団も好きよ。
布団といえば、家のベッドは下が綿と羊毛、上が羽毛だ。
暖かいうえに雲の上に乗っているようなふかふかさだが、こういうベッドを持っているのは上流貴族ぐらいなものだ。一般家庭は綿布団が主流で、十年使っている者も多いと聞く。干せばある程度ふかふかになるから、綿布団は経済的なのだ。綿花の栽培も増やさないといけないな。
極上の羽毛にくるまっている父様はといえば、まだ目覚めていない。父様、日が昇って来てますよ。
しばらくじっと待っていたが、起きそうにないので諦めた。まぁ、しばらくは文字通り腕の中でぬくぬくしていよう。
昨日は父様と夜更けまでお喋りして一緒に寝た。
本当にただのお喋りだった。とりあえず、父様は「パパ」と呼ばれたことが嬉しくて仕方ないらしい。……俺はいったい何を恐れていたのだろうか。
ちなみにパパ呼びは勢いというか、その場の流れである。
よし会話をしよう、と気合入れて書斎に入った途端、俺が書斎に来るとは思ってもみなかった父様に「パパに何かあるのかい!?」とか言われて咄嗟に「パパ」と言ってしまったのが運の尽きだ。
父様は舞い上がった。
それはもう天高く舞い上がった。
まともに会話するどころじゃない。母様の所まで拉致られて「うちの子が『パパ』って言ってくれたよママ!」的な家族物語を展開された。母様の目元の波打つこと波打つこと。
……母様、そんなにデレッデレな父様が好きですか……
なんというか、俺はもう二人の絆については何も不安に思わなことにするよ。女性の強い家庭は円満だというしね。
そして俺の新たな黒歴史よ、コンニチワ。
なんで最初から「父様」と呼ばなかったかな……
それはともかく。
とりあえず、あれだけビクビクしていたにも関わらず、俺が喋れるということはこのふたりとクロエには普通に受け入れられた。そもそも言葉をあれだけ早く理解出来ていたのだから、いずれ遠くないうちに喋り出すだろうと思われていたらしい。まぁ、さすがに一言発音がくる前に単語を繋げて『会話』してくるとは思わなかったらしいが。
……母様の方は予想してた感じするけどな……全然驚いてなかったし。
その後はうきうきした父様に色々話しかけられた。俺からはあまり話さなかった。というか、話せなかった。最後には「落ち着いてください」と言わないといけないレベルだった。
……父様……そんなに俺と話がしたかったのか……
ただ、体感としてだが、どうもそれほど達者に会話が出来るとは思われていないようだ。あまりにも父様が勢いよくあれこれ喋るものだから、俺もタイミングがつかめずに相槌やら一言二言しか言葉を発せれなかった。それでも父様の舞い上がること舞い上がること。受け答えがあるのが嬉しい、というやつなのだろう。
何が好きで、何が嫌か。
何に興味があって、何が欲しいか。
逆に何が興味がなくて、何をして欲しくないか。
そういう確認を色々された。興味を惹くものを探す為に地図やら図鑑やら色々見せられ、部屋中に店を広げて母様に怒られていた。……父様、何やってるの……
だが、これぐらいで丁度いいのだろう。
意思疎通ができるというだけでも、ずいぶん違う。
少なくとも、俺が家のことや魔法のこと、屋敷の外の世界に興味があることは理解してくれた。
これからはそういったことを一つずつ教えてくれるようだ。一歩としては十分だろう。
時間がたてば、語彙を増やして会話すればいい。
俺はタイミングを見計らうのが苦手だから、父様の反応をみつつ、だな。
今日からは父様がいる時は書斎への出入りも自由だ。書物の閲覧も可能になる。せがめば、昨晩のように父様が寝物語に家の近況や昔の武勇伝を語ってくれたりもするだろう。あれはなかなかに面白かった。
考えれば、俺は父様の昔話を知らない。そう、前世の俺ではこんな風に父様と一緒に寝るとかいうこともなかったのだ。
男に抱っこされて眠るなど、考えるだけで壮絶に鳥肌ものだが、実の父親相手となるとそうでもないから不思議だ。家族だからだろうか。嫌な気はしなかった。
ふと思い出す。
この温もりは、最期の時の手の温もりと同じだ。
大きな腕も、分厚い胸板も、俺という子供を守るためにあるものだ。暖かいものだ。
「父様」
呼んでみる。起きる気配はない。
――生きろ、と。
あの時、そう言われた。
――現実には俺は死んだ。あの時の父の願いは叶わなかった。
叶えられなかった。
応えられなかった。
「父上」
呼んでみる。かつてと同じように。かつてとは違う、今の幼い声で。
守る力を持たなくてすまない。せめて生き延びてくれ。どんな思いでそう口にしたのか……今なら分かる。
俺も同じ気持ちを抱いて、けれど守れず俺自身も殺されたから。
ただ、父上。
一つだけ言わせてほしい。
謝る必要なんて無かった。
守ってもらっていた。
命を賭けて守ってもらった。
今も守ってくれているように。
……貴方はちゃんと、守ってくれたのだ。
鼻の奥がツンとして、壁のような胸に頭を擦りつけた。今の俺の体は小さすぎて、父を抱きしめることは出来ない。なにしろ腕の中にすっぽりだ。なんて力の無い状態だろうか。
あの日の父上にもう一度会えたなら――いや、よそう。それは叶わないことだ。
今、ここに父がいる。
俺はまだ小さいが、あの時とはスタートラインが違う。
『あの日』は来させない。その為なら、なんだってするんだ。
目元を父の服で拭って、もぞもぞと腕の中から抜け出す――と思ったら抱きしめられた。ぐぇっ! 父様! 締まってます!!
「ん~……レディオンちゃん、朝はもうちょっとゆっくりで……」
父様! 日は登ってるよ!!
ちゃんと起きなさい! みっともない!
ペチペチ叩くと、俺の腹に顔を埋めていた父様が変な笑い声をあげた。怖い。そして腹がくすぐったい。
「おはよう。うちのレディオンちゃんは朝が早いなぁ」
「はやおきはけんじゃのたまご。とくをするのですよ。おはようございます」
無難に受け答えた俺に、父様はちょっと驚いた顔をしてから笑う。
流石父様。笑顔も素敵だな。でも俺は息子だからクラクラはしないぞ。デレ顔よりずっといい顔だとは思うが。
「では、起きて早駆けにでも行こうか。レディオンちゃんは、領地を見るのは初めてだな」
馬!
家の外!
領地視察!!
誰かの微笑む気配を感じながら、俺は大喜びで父様に抱きついた。
父様が速攻でデレたのは言うまでもない。
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