敵陣に乗り込む!

 ここ休憩スペースから、空調機器までおよそ50メートル。直線距離なら大した事はない。しかし通路に沿って、そして徘徊するいちごお化けを避けながら進むとなると、かなり困難を極めることになるだろう。通路には見張りだっている。


「息持つかな」


 横の愛梨寿ありすは私の膝の辺りに頭があった。そんな彼女も固唾を飲んで、ゴール地点を見つめる。


「難しいかもしれない、でもやるしかない。大きく速い呼吸を繰り返して」

「ここで?」

「そう、過呼吸みたいに。普通なら危ないからやっちゃいけないんだけど、これをすると体の中の二酸化炭素が一時的に減って、体がしばらく呼吸をしなくても大丈夫と思って苦しくないんだって。この前本で読んだ」


 わかった、愛梨寿たん。このちょっと攻撃的な娘もいいかも、とぼーっとしていると、


「何ぼーっと見てんの!? さ、時間が無い、行くよ!」


 思わず、はい、と返事をして私は構えた。

 何度か呼吸をする、そして息を止める。ガラガラと戸を開けた。

 そろりそろり、音を立てないように、当たらないように、私達二人はまず連絡通路を目指した。私がどの通路が一番近いかと考えあぐねていると、愛梨寿がちらっと目で合図をした。私について来て、とそう言っているようだった。私は黙って頷くと、愛梨寿の後を追った。

 愛梨寿は迷う事なく、いくつもあるルートのうち、最短距離をさっさっと進んでいった。まさかさっき通路を何回も走っていたのはこれを確認していたのか?

 何度もいちごお化けに当たりそうになりながら、間一髪でそれを避け、連絡通路まであと少しというところで、トラブルが起きた。

 目の前にいちごお化け二体がおしゃべりをしている。どうやら井戸端会議のようだ、そういうのは正直別のところでやって欲しかった。

 私達二人は必死で息を止めてそのようすを伺っていたが、だんだん限界に近づいてきた。さあどうする?

 ふと横の愛梨寿を見ると、何やら地面の砂を一生懸命掘っていた。一体何をするつもりだ?

 やがて愛梨寿は地面に埋められていたロープを掘り起こした。それはまさにさっき私が埋めなおしたものだ。そしてそのロープはまさに井戸端会議いちご二体の足元へと続いていた。愛梨寿が、キッとこちらを力強く見つめ、ジェスチャーで引っ張れと仕草を見せた。

 これがどんな結果をもたらすかさっぱり分からない。ただ私は言われるがままにそのロープを思いっきり引っ張った。

 すると、


「うワぁ、なんでショウこれは?」


 二体の足元がすくわれ、バタン、と倒れた。

 愛梨寿が、すかさずその横を走り出す、それを追いかける私。二体は体勢を整えるのに必死でこちらに気づかない。間一髪、私たちは連絡通路へたどり着いた。


 ふう、と私は肩で思いっきり息をした。危ない、死ぬかと思った。だが、ここまで来れば一安心。どうやら辺りにお化けはいない。

 愛梨寿も大きな息をしていた。


「よし、何とかここまではクリアね。次はあの見張りのことだけど」


 そう言って愛梨寿が、連絡通路のいちごお化けを指差した。椅子に腰掛け、大きなメガネをかけている。一体あのお化けのどこに目があったんだろうか。しかも座りながらこっくりこっくりしている、典型的な「見張りの失敗例」だった。

 だが厄介なことに、そのお化けが完全に通路を塞いでいたため、あの通路を気づかれずに通ることは不可能に思われた。


「どうやらあの見張りだけ唯一目が見えるようなの。ここであなたの出番」

「僕の?」


 愛梨寿が強い瞳で頷く。


「夜にやってるあれ。あの変な踊りを全力で見せて欲しいの」


 一瞬何を言っているかわからなかった。だが夜にやっている踊りと言えばあれしかない。


「踊りって、『オタ芸』のことか?」

「名前はよくわかんないけど、やってるよね? ペンみたいなの持って、右、左って大きく振るやつ」


 驚いた。あれは誰にもバレてないと思ったのに。確かに愛梨寿を横に寝かしつけた後に練習したことはある。まさか見られていたとは……。いや、そんなことより、


「あのな、一ついいか。あれは変な踊りじゃない。オタ芸はアイドルを応援する神聖な儀式なんだよ。僕はね、毎晩毎晩それこそ命を削ってでも必死に練習してやっと今の領域に達したんだ。家庭こそなければTOトップオタにだって手が届くところにいるんだよ僕は。そんな大事な儀式をこんなとこでやれって? そんな簡単なもんじゃないんだよ、オタ芸っていうのは」


 愛梨寿がじっと私を見つめる。


「じゃあどうすんの、死にたいの?」


 私の喉がきゅっと締まった。


「——いや、あの……。死にたくないです。すみません、やります」


 私はいつもやっているように、肩を回し、準備運動を始めた。

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