いちごの国へようこそ
いや、正確に言えば一人いた。
そこに
「ちょっと口開けて」
言われるがままに私は口を開けた。それを見て、愛梨寿が大きなため息をつく。
「ああ、よりによって何で『とこしえの実』を」
「『とこしえの実』?」
思わず聞き返した私だったが、そもそもなんで一歳の愛梨寿が喋ってるんだ? 次の質問をしようとした私の足元に衝撃が走った。
ドシン、ドシン、とそれは一定のリズムを保った地震のようだった。
「ああ、あいつが来るわ……話は後、いい? 一度しか言わない。しっかり聞いて」
下から見上げるその力強い瞳に私は思わず頷いた。
「大きく息を吸う。そして合図をしたら止める。止めてからはじっとしてて、絶対に動いたり息を吐いたりしちゃだめ。わかった?」
私の額に油汗がたまり始めた。ゆっくり頷き返すのがやっとだった。
ガラガラ。耳を塞ぎたくなるような音を立てて、扉が開いた。そこから入って来たモノを見て思わず私は口を塞いだ、息が漏れそうだったからだ。
「ん? ナンか、ニンゲンの匂いがシタんだけど、気のセイか」
いちご人間。いや、人間ではないからいちごのお化けだろうか。人間の一回りほど大きな背丈のいちご。それが歩いて、喋っていた。それはしばらくクンクンとあたりを嗅いでから、その場を去った。
愛梨寿が、もう大丈夫、と目で合図した。
私はゆっくりとその休憩スペースから、いちご園の方を覗き込んだ。その光景に思わず息を飲む。
「何これ、嘘だろ?」
そこにあったのはいちご園ではなく、にんげん園だった。元々いちごがあった場所に人間がぶらさがり、それをいちごのお化けが狩る。まさににんげん狩り。狩られた人間はケースに積み重ねられる。逃げようとする人間を上から蓋で押しつぶす。
小柄ないちごお化けが辺りを憚ってから、一人の人間をパクリとする。吐き気を催しそうになるほどの驚愕の光景だった。
「なんだよ、これ。どうなってんだよ——」
「なんだよって、全部あなたのせいよ」
「せいって……どういうこと?」
愛梨寿は諦めたように座り込んだ、遠い目をしている。
「あなたが食べたいちごは『とこしえの実』。一万年に一度誕生する呪いの実なの。それを食べるといちごの国へ来てしまう。それを食べてしまったってわけ」
それって、まさかあの机にあった少し緑のいちごか? あれがそんな大それた実だって?
「あの……君は一体?」
「誰って、あなたが名付けたんでしょ? 私は
あの、それは分かっているんだけれども、なんでそんなに喋っているのか?
「ああ、何で喋れるかって? だって私はさっき『智慧の実』を食べたから」
「『智慧の実』?」
「そう、緑のいちごみたいなやつ。あれを食べると、一気に知能が上がるの。よかった、食べておいて。あれ食べてなかったら今頃あなたも私も狩られているところだった」
あのさっき愛梨寿が勝手に食べてた緑のいちごが「智慧の実」? もう何がなんだかよくわらかない。
「あの……」
「あ?」
「元の世界に戻るにはどうすればいいんでしょうか」
一歳の娘に敬語を使う父親って何だろうか、しかしそんなことに構ってはいられない、本気で考えなければならないのだ、脱出方法を。
「大丈夫。帰る方法は分かってるから」
「本当ですか?」
「うん、あれを見て」
愛梨寿が園の端っこにある、ファンが回っている空調機器を指差した。
「あの風に当たれば、元の世界に戻れる。さっき確認した」
確認ってまさか、さっきファンに向かって、あー、あー、言ってたのはそれだったのか?
「問題はあそこまでどうやって行くか、よ」
そこに行くまではたくさんの乗り越えるべき障壁がある。目的の空調機器は奥側のフロアにある。そこに行くためにまず入り口側のフロアの端まで行く必要がある。それからフロア同士の連絡通路を抜け、奥側のフロアの端まで行かなければならない。入り口側、奥側のフロア両方ともたくさんのいちごお化けが徘徊し、楽しそうににんげん狩りを
しかも、連絡通路には常に見張りのようないちごお化けもいる。あやつらに気づかれずにゴールの空調機器にたどり着くのは至難の技だ。
「見つかったら食べられるんだよな、一体どうすれば?」
「どうすれば、ってちょっとくらいは無い頭で考えてみたらどう? さっき息を止めたら大丈夫だったでしょ? 息をとめるの!」
「息を?」
「そう! 大きく吸って、ぐっと」
「ぐっと?」
「もう、ぐでもごでも何でもいいからさ、とにかく止めればいいのよ」
なんかめちゃくちゃ怒られてる、でも大丈夫、こういうのには慣れっこだ。私はもう一度園を見た。隠れてにんげんをパクリとしているいちごお化けがいて、おそらくその親にあたるいちごに頭をひっぱたかれていた。口から食べきれなかったにんげんがごろっと落ち、思わず私は目を背けた。
「大丈夫かな……」
「大丈夫かなって……じゃあ一人で残る? 私は行くけど」
シルエットは完全に1歳の女の子、黒髪ツインテールにワンピース。でも完全に私は圧倒されていた。これじゃまるで親子逆転だ。こんなところに一人残されたら食べられるのも時間の問題だ。「智慧の実」を食べたという愛梨寿が唯一の頼れる存在だということを忘れてはいけない。
「頼む、置いてかないでくれ」
「もう、だから行くんでしょ、ほら!」
そう言って、私はスネを蹴られた。
痛い……でもそんな感じも悪く無い、むしろちょっと心地よいくらいだった。
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