第295話「最終事前準備」


 翔は家を出ていく際に修斗が特別な時にしか絶対に着ないと豪語していたスーツを拝借した。

 後でとやかく言われても知らないものは知らない。必要だったのならばアメリカに一緒に持っていけばよかったのだ。


 待ち合わせしていたカルマと共にシェフへと挨拶をしに行く。後は料理の最後にケーキを出してくれないか、ということも頼むつもりだった。


「お待ちしておりました」

「どうも。響谷翔です」

「蒼羽業です」


 受付と軽い挨拶を交わした翔は早速、シェフに合わせてもらうことにした。

 身なりに特に気を遣わなければならない、ということは修斗は元より充から鬱陶しいほどに念を押されていたのだが、修斗のスーツを着ているせいか怪訝な目をされることもなく通される。


 因みにカルマはというと。


 翔が急いでレストランへと向かおうとしている際に急に「俺もかっこいいスーツが着たい!」と駄々をコネだし、なし崩し的にスーツを取り扱っている店へと訪れ、一着をご購入なされた。

 高校生の身分でそれだけのお金をぽんぽん出せるカルマは一体何者なのだろうか。それとも単に金遣いが荒いのか。


 翔の考えは限りなく後者に傾いていたものの、それは敢えて口にせず、今に至る。

 つまりは翔と同様にカルマもお洒落なスーツに身を包み翔と一緒にシェフに会うつもりのようだった。


「急に貸切にされては商売上がったりだよ……。まぁ、充のご息女なら仕方ないが」

「急で本当にごめんなさい。……でも、どうしても一番思い出に残る誕生日にさせてあげたくて」

「お前さん、名前は何といったかね?」

「響谷翔です」

「ご息女の彼氏かい?」

「そうです」


 そこでシェフはふっと軽く笑った。

 彼はもう還暦を迎えるのではないか、と思うほどの見た目をしていたが、それとは裏腹に鋭く研ぎ澄まされた瞳と傷だらけの手が経験を物語っている。

 まさか笑われるとは思っていなかったので多少の不快感があったが、更なる言葉を待っていると、


「儂にも若い時はあった……。お前さんほど行動力があった訳では無いがの」

「は、はぁ」

「まぁ、年寄りの戯言よ。聞き流してもらって結構。それより、来店には結構早い時間だと思うが?」

「実は料理にリクエストがあって参りました」

「うちはフランス料理一本だ。他の料理を求められても知らんわい」

「いえ、料理にケチをつけようという気はなくて……。最後に誕生日ケーキを出して欲しいな、と」

「ふむ……」


 誕生日にケーキを食べない家庭はないだろう。翔も誕生日の時には毎回、修斗と梓に食べさせてもらったものだ。

 翔が頭を下げ、何も言わないカルマもそれに続いて頭を下げる。


 思案顔でぶつぶつと呟くシェフは何かを決めたようで、ふっと息を漏らした。


「多少味は落ちるかもしれないぞ、それでもいいなら引き受ける」

「「お、お願いします!」」


 翔は喜びのあまり、カルマとハイタッチをしてしまった。

 ここは勝負どころでもあったがために相当に緊張したが、上手く自分の思う方に転がってくれてよかった。


 翔はその後に下見もしておいた。

 まだ貸切状態では無いので、人がまばらにいたためにあまり細やかな部分は見れなかったが、大体が掴めておけばいいだろう。


 案内してもらう時にはどうか窓際でともお願いしておいた。その方が夜景を見られる。


「いや〜!よかったなっ!」

「カルマは何もしなかったじゃないか」

「何かしたら怒るだろ?」

「まぁ、それは否定しないけどさ」

「これからどうするつもりだ?まだ時間はあると思うが」

「少し寄りたいところがある。ここは一人で行きたいからカルマの手伝いはもう終わりかな」

「折角スーツまで拵えたのにここで終わりかよー」

「勝手に買ったんだろ?」


 カルマが付いてきても問題は無い。問題は無いが、翔の気持ち的にはどうしても一人で行きたいのだ。

 その気持ちはなかなかに伝えづらい。本当のことを全て話せれば楽なのかもしれないが、翔の心は鋼はない。それに胆力もあまりない。


 言いたいという気持ちはあるが、言えないという翔の矛盾にも近しいこの思いを何となく察したカルマはふっと力を抜いたように笑った。


「しょうがない。俺は家で吉報を待つとしようかな」

「ごめんな。そうしてくれ」

「あ、ひとつ言い忘れてたことがあった」

「うん?」

「昨日、というか今日の朝方だけど。翔が寝た後で俺達だけで話し合ってさ」

「……」

「貸切にするのはいいけど、聡明な双葉さんのことだから誰もいないのはおかしいと気づくのではないかって話になって」

「まぁ、確かに」

「修斗さんの伝手で「エキストラ」を呼ぶことになったからよろしく」

「……はい?」

「翔の愛のプランの邪魔はしないように言ってあるから安心してくれ、だとよ」

「……え」


 安心してくれ、と言われて安心できるほど翔は強くは無いのである。

 急な計画の変更に翔は頭が真っ白になったのを感じた。確かに、誰もいない中、高級感漂うレストランで食事をする、というのは桜花ではなくても怪しむに違いない。

 しかし、だからといって、他所からエキストラを呼ぶとは。恐るべし、修斗。

 そして、高級レストランをこれまた伝手で貸切にした充もただものでは無い。


「双葉さんとはどこで落ち合うつもりなんだ?」

「駆け落ちカップルみたいに言うなよ。……あそこで、待ち合わせ」


 翔が指し示したのはレストラン近くにある大きな噴水だった。

 ここならば、目印としては申し分ないだろうし、翔も探しやすい。


 カルマはそれをきいて、何となく腑抜けた声を漏らした。


「ちゃんと考えてんだな」

「……彼女と待ち合わせするんだからさ。カルマだって同じことをするだろ?」

「まぁ、そりゃな。翔がそこまで考えられてることに驚いてる」

「舐められてる?」

「うん、まぁ正直に言えば。……ちょっ!まて!殴りかかろうとするなッ!」


 翔が拳を振り上げるモーションをするとカルマは面白いほど頭を低くさせた。

 本当に殴りたい訳では無いので、その拳を収めると、カルマは安心したようにため息を吐いた。


「翔と双葉さんは一緒に住んでるだろ?」

「うん」

「だから、そんな待ち合わせとかはしたことないんじゃないかな、と。あるとしても数える程度で、男性が取るべき世の中の行動をいまいちよく分かってないんじゃないか、と」

「僕だって一緒に生活していることにあぐらをかいてた訳じゃないからね。カルマ達を見たり、父さん達を見たり、知らない誰かのちょっとした一連の流れを盗み見させてもらったりして、学んでる」


 カルマからは「そうか、すまんな」と謝られたので翔は「気にしてないよ」と返した。

 カルマなりの翔への友情であると分かっていたからだった。


 カルマは自分の頬をぱちんと思い切り両手で挟むと、にかっと笑った。


「じゃあ、頑張れよ」

「任せろ!」

「また後でな」

「うん。一番に報告するよ」


 カルマは苦笑して背を向けた。

 何かしら翔の返答がおかしかったのだろうか。翔は少し自分の言った言葉を見つめ直してみるがどこにもおかしな点は見つからない。


 おかしな点は翔よりもむしろカルマの方にあるのではないだろうか。「また後で」とはどういう意味なのだろう。まさか、翔が成功報告をしたら飛んでくるのだろうか。


 それならば、報告は最後にするべきかもしれないな、と翔は少し考えを改めた。




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