第230話「ハロウィン」
文化祭から数日が経過し、普段通りの学校生活に身体のリズムが戻った頃、翔は久しぶりに桜花とは別で帰宅した。というのも文化祭の時に無断で屋上を使った人がいる、ということで事情聴取を受けていたのだ。
その犯人は翔であるが、当然の如く、知らぬ、存ぜぬを貫き通した。
何も、自殺をするために屋上へと上がったわけではないのだ。そこまで心配されるいわれはない。
「ただいまー」
桜花が先に帰宅したことは既に知っている。どこかで暇を潰して待っていましょうか、という桜花の申し出を断った時に「なら家で待っていますね」と返されたからだ。
だが、思惑とは違い、おかえりの返事がなかった。
どこかへ買い物にでも行っているのだろうか、と大して疑問に思うことも無く、翔は靴を脱ぎ、手洗いとうがいを済ませてリビングへと入る。
(……んんっ?!)
驚きのあまり、声が出なかった。
誰もいないと思っていたはずなのに、桜花はしっかりとこの家で待ってくれていたのだ。
それは喜ばしいことなのだが、問題がひとつ。
(……眠り姫かよ)
カーペットの上でドレスに身を包んだ桜花が横になって目を閉じていた。
疲れて寝てしまったのだろうか、とふと思うがすぐに違うとかぶりを振る。桜花はすることを済ませないと寝られない性格の持ち主だ。ご飯も風呂も宿題も恐らくしていないのに、居眠りをするはずがない。
もし居眠りならば、桜花は酷い熱を発生させている危険性がある。
翔はそれを確かめるべく、眠り姫の額に手をかざす。
外から帰ってきたばかりで冷たい翔の手。
小さく、悲鳴のようなものが聞こえたような気がした。
「熱は無いようだな……」
そう呟いてみるが、桜花からの反応はない。
翔が困ったな、と後頭部をかく。そして、ふとドレスなんて、よくこの家にあったな、と感慨深くなった。
翔は男の子であり、しかも一人っ子であるために、本来ならばこの家にドレスなどがあるはずがないのだ。
梓が着ていたものが残っている可能性も無くはないが、結婚式の時は流石に借りた、と前に修斗が話してくれていたので、少なくとも結婚式のドレスではないようだ。
だとすると、考えられる線はあの沢山の服を貰った時だろう。
(しかし、何で急に眠り姫?)
翔は首を捻って考えるが、ぴったりと思い当たる理由が見つからない。
日付をもう少し考慮すればよかったのだが、そのような余裕はなかった。そもそも本場では仮装はしないようだが。
「……ん?あんな所に置きっぱなしの服?」
桜花が服を脱ぎ散らかすことはないし、翔もまたない。従って、床に服が転がっていることなどありえないはずなのだが、実際問題、服はそこに転がっていた。
そこまで移動してその服を持ち上げてみる。
「げ」
カエルを潰したような声が漏れた。
それは勿論、服であったのだが、普段の翔は絶対に着ない、いや、日本国民は誰一人として普段着としては着ることの無い服だった。
(これは……王子様コスプレじゃん)
王子様だった。
桜花は眠っている姫となり、翔は王子の服を見つけた。と、なれば辿り着く結論はひとつだろう。
そして、それと同時に思い出した。
(何だ、今日はハロウィンか)
10月31日はハロウィンである。しかも、何十年ぶりかの満月ハロウィンなのだとか。翔は天体も宗教のイベント事もまるで興味がなかったのであまり意識していなかったのでいつの間にか頭から抜けてしまっていたのだが、ハロウィンだった。
つまりはこれは仮装であろう。
翔は少し躊躇した。いくらハロウィンを忘れていた翔とはいえ、眠り姫といえば、王子様のキスで目覚めることぐらいは知っているし、翔が手に持つそれが王子様になるための必須アイテムであることもわかっていた。
翔は何も言うことなく、学校の荷物もついでに持って自室へと向かった。桜花の前で着替えるのはいくら目を瞑っているとはいえ少し恥ずかしかったのだ。
できるだけ急いで着替えて再び桜花の元へと戻ったが、時が止まってしまったのかと疑うほどに何一つ動いた形跡がなく、微動だにすらしない。
「トリック・オア・トリート」
「……」
「お菓子くれなきゃイタズラするぞ」
「……」
反応しないのは当たり前である。しかし、折角、着替えたのだ。ハロウィンといえば、という代名詞をしてみたかったのだ。
「Trick or Treat」
少し発音よく言ってみるが、効果はなかった。
(……イタズラしてもいいのだろうか)
そんな翔の中の悪魔が囁いてくる。先程、翔はしっかりと「お菓子くれなきゃイタズラするぞ」と言ったのだ。眠っているので無視された形にはなっていたが、それならばこちらも宣言通りに行動するだけであろう。
試しに桜花の頬に手を沿わした。少し緊張したのか桜花が身を固く強ばらせたように筋肉が動いたのを感じた。
まだ覚ませる気のなかった翔はもう少しだけイタズラをさせてもらおうとするのだった。
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