第110話「似合う服」


「これにします」


 格闘することしばらく。桜花は遂に何色を買うか決めたようだ。


「白か。清楚なイメージだな」

「変でしょうか……?」

「いや、桜花にぴったりでいいと思う」


 納得の意味で呟いたのだが、不安にさせてしまったらしい。翔は慌ててフォローする。


 白を選ぶと持っている服がほとんど白色なのでは?と一瞬不安になりかけたが、きっと翔の知らない服もあるだろうし、何よりも翔がとやかく言えるほどに詳しくないので、口にするのは憚られた。


「ありがとうございます」


 はにかんだ笑みを向けられる。

 もっと褒めようか、と悩んだが、そうなると深夜ハイテンション以上に抑えていられなくなりそうなので、やめておいた。


「翔くんのも選びました。オシャレさと機能性を兼ね備えたのスポーツミックススタイルです」

「スポーツミックススタイル?」

「似合うと思いますよ」


 桜花はそう言いながら、手元に持っていた服を広げた。翔はまさか全身コーデを考えられていたとは思っていなかったため、この出来事に目を丸くさせた。


 補足をしておくと、スポーツミックススタイルというのは、ジャケットやレザーのトップスにスニーカーやハーフパンツ、スウェットを合わせるファッションのことを言う。


 今上げたのは例で、本当はもっと様々なものが当てはまる。

 細身な翔にはぴったりとも言えるファッションだ。


「運動できそうだな」

「機能性もありますね」

「運動したくはないけど」

「筋肉は大事ですよ」


 ちくりとお小言を貰い、翔は針で刺されたような気持ちになった。

 運動はしなければならないのならする。学校の体育などはしなければならないので、とりあえずするのだが、他の、別にしなくとも構わない運動についてはまるでしないのが翔のスタンスだ。


 そして、翔はそこまで食べないので、太らず、今の体型が勝手に維持されている。


 そんな理由があるので、もちろん、翔の身体は筋肉がついていない。

 ひょろひょろ、と言っても過言ではないだろう。


「う〜ん……。なら聞くが、ムッキムキになった僕と今の僕ならどっちがいい?」

「今の翔くんがいいです」


 即答だった。しかも、筋肉をつけろ、と暗に言っている割には今の翔の方を選んで。


「理由を聞いても?」

「少々の筋肉がついているのが好ましいだけで、翔くんが言う程のむきむきにはなって欲しくないですから」

「ボディビルダーとかは?」

「どちらかと言えばスイマーの方のほうが好みですかね」


 確か、カルマはあの服の下に物凄い筋肉を隠していたような気がするので、今の内に拝んでおいてやった。


 鍛えて得た筋肉は直ぐにまた元に戻っていくので、気にしないでおいてやろう。


「スイマーね……」

「どうしました?」

「いや、別に」


 スイミングスクールには翔も昔、通っていたのだが、今ではすっかりその面影はなくなってしまっていた。


 その時、桜花とは別れてしまっていたので、知る由もないのだが、どこか寂しい気持ちに襲われた。


「気になりますが……。とりあえず買ってきますね」

「うん」


 ここは翔が払えよ、と言われそうだが、出処が同じなため、どちらが払っても一緒なのだ。しかも、お金関係のことについては桜花に一任して、翔は関与しない、と梓に厳命されてしまっている。


 桜花に任せた方が安心だから、らしい。


 確かに否定はしない。翔よりもしっかりしている桜花が適任であることは他に疑いようもない事実なのだが、それでも、実の息子を金に目がない金銭泥棒のように扱うのは、親として如何なものか、と思った。


「買ってきました」

「早かったな」

「誰も並んでいなかったので」

「ラッキーだったな」

「ラッキーです」


 翔はそう言って手を伸ばした。桜花が買った服を持つためである。

 しかし、桜花はそうは思わなかったらしく、翔の差し出した掌に己のを重ねた。いつかのデジャブのように思えて、翔は笑いを抑えきれなかった。


「ど、どうして笑うのですかっ」

「服を持つよって意味だったんだけど、ね」

「……そ、それは先に言ってくださいよ……もう」


 桜花は早とちりしたことを恥じらいながら、翔に紙袋を渡した。

 間違えて握ってしまった手を離すことなく。

 翔も桜花も間違えて互いの手を握ってしまっているのは知っているが、久しぶりの手繋ぎに心が踊ってしまって離そうとはしなかった。


「二人で買い物も珍しいな」

「そうです……か?」

「スーパーは除外」


 あぁ、それなら、と桜花が微笑む。

 食料品に関しては近くのスーパーに頻繁に通っているので、二人で買い物は珍しくはない。


 だが、ここで翔が言いたいのは、このショッピングモールに来たのが久しぶり、だといいたいのだ。


 前に来たのはペアでスマートフォンケースを作った時だっただろうか。

 もう三ヶ月ほど前のことになっていて、鮮明には覚えていない。その後の出来事が濃すぎた、というのもあったのかもしれない。


「今回は彼女として、ですけど」

「今回だけなのか」

「い、いえ、ちゃんとこれからもですよ。……その顔は私をからかいましたね」


 怒った桜花から二の腕に頭突きの攻撃を食らった。髪の毛が舞う度に同じシャンプーを使っているはずなのに、翔とは違った匂いが香る。


「さて、どうでしょう」

「むぅ……」


 すっかりはぐらかされてしまった桜花は不満気な声を漏らして、そっぽを向いた。


 その開けた右耳に翔はすかさず囁いた。


「可愛いから、仕方ない」


 すると、桜花は瞬間的に耳を赤く染めた。甘噛みしてみようかと思ったが、ここは家ではなかったことを思い出し、悔しいながらも諦めた。


「私の反応で遊ばないでください……」


 ひょろひょろになりながら訴えてくる桜花によしよしと頭を撫でてやる。

 撫でられて嬉しくもあり、遊ばれて不満でもあるだろう桜花は笑っているような怒っているような顔で翔を見つめていた。

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