第69話「朝露の美少女」


 翔はいつもよりも早い時間に目が覚めた。

 朝風呂するため、というのもあったが、どちらかと言うと眠りが浅く、うつらうつらしただけだったので、それならいっその事起きてしまおうと考えた故だった。


 いつもは壁を跨いだ向こう側で寝ているはずの桜花が寝息まで聞こえる程の至近距離で眠っているのを強く意識したからだろう。とろん、と溶けてしまいそうなほど緩まった表情は翔の理性をガンガンに削っていた。


「一風呂浴びれば今日は乗り切れるだろ」


 自分に叱咤し、露天風呂に浸かる頃には丁度日の出を拝むことが出来た。

 この旅館は結構高い位置に建っているらしく、海の先に見える日の出が正面から拝むことが出来る。


 夕日を見るのも絶景だが、朝日というのもまた、乙なものだ。


 この部屋に付いている露天風呂なのだが、これもやはりというか、部屋の広さと同様に一人で入るにはやや広すぎるほどの面積を取っている。


 何を考えるでもなく、翔が朝日をじっと眺めていると。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


 水音を立てながら誰かが湯船に入ってきた。


「おはよ……う」


 誰かが、などと誤魔化してもそれが桜花である事は疑いようがなかった。

 翔は混乱して上手く機能していないながらも挨拶を返す。


 一糸纏わぬ……ではなく、タオルを巻いている桜花はそのまま浸かり始めた。


 芸能人でもあるまいし、タオルを身に付けたまま入るなんて、と翔は思ったが、そんな常識よりも何も身に付けていない己の身体が恥ずかしくて仕方がない。


 えぇい、ままよ!と、織田信長のように割り切り、自分でもよくわからず近くに置いていたタオルを腰に巻き付ける。


「朝日が綺麗ですね」

「じゃ、僕は出るから」


 兎も角、危険だ。

 翔はそう判断した。

 前にも桜花の肌を図らずも見てしまったことがあったが、あの時とは比べ物にならない。


 鎖骨のラインがくっきりと見え、肩口から覗くその表情は風呂のせいか熱を帯びて妖艶だ。タオルのおかげで見えない所ももちろんあるが、脚やら肩やら鎖骨やら、と目を奪われる箇所は依然として多くあった。


 翔は桜花の返事を待つことなく湯船から上がろうとしたのだが、その翔の腕にぎゅっと力が加わった。


「もう上がるのですか?」

「どうしろって言うんだよ」

「もう少し一緒に……というのは」


 妙に濡れた肌が直視しにくい。

 翔は火が噴きそうなほど顔を赤くしてしまっているのを自覚しながらも渋々、ため息を一つついて座った。


 桜花が嬉しそうに距離を詰めてくる。

 変に動揺して避けてしまっては悲しませてしまうかもしれない、というのは全くの建前で、翔は桜花の姿に見蕩れて動けなかった。


「タオルは大丈夫なのか?」


 朝日に目をやりながら訊ねる。


「許可は貰いました。やや勘違いされているかもしれませんが」


 勘違いされている、とは一体誰のことを指しているのかわからなかったが、許可を取っているのなら文句は言うまい。


「撮影か何かですか?と訊かれました」


 翔がピンと来ていないのを察したのか桜花が補足を入れた。

 しかし、撮影とは。

 桜花をどこかのアイドルと見間違えたのだろうか。


「それで、曖昧に誤魔化して許可を取ってきた、と」

「あまり褒められたことではありませんが」

「本当だよ。一体何がそこまで桜花をつき動かしてるのか……」


 翔がそう言うと、桜花はふいっと、機嫌を損ねたらしくそっぽを向いた。

 翔の何かがお気に召さなかったらしいという事だけ察知した翔は黙ったままでは居心地が悪いので別の話を振った。


「昨日のは嘘じゃなかったんだな」

「驚きましたか?」

「そりゃ驚いたよ。まさか一緒に……とは思わないよ、普通」

「そうですか」


 ふふ、と悪巧みが成功した子供のように笑う桜花に翔はもう一度ため息をついた。


 もう少し桜花は自分の価値を正しく認識するべきだ、と翔は思う。悪巧みでもし、逆に襲われればどうするつもりだったのか。

 翔がヘタレているのを見越してのことならば少し凹みもするが舐めてもらっては困る。


 ただ、それを上手く言葉として伝えられない以上、翔はため息で誤魔化すしか無かった。


「目標達成です」

「目標?」

「翔くんと日の出を見ること」

「それって昨日作ったやつでは?」

「細かいところはいいのです」

「しかも露天風呂……」

「お風呂なのは……翔くんが入りたいと言ったからですし、私も入りたかったので」

「お、おう……。そうか」


 そんなに素直に言われては聞いているこちらが恥ずかしくなる。


「で、でもな?僕と桜花は……その、異性なんだから、こういうことはするものじゃないぞ」


 翔がややつっかえながら言うと、桜花はきゅっと口を一文字にして、決意を固めたような目を翔へと向けた。


「私は誰とでも温泉に入るような軽い女の子ではないです。翔くんとだからここにいるのです」

「桜花……」

「それに……私だって恥ずかしいです」


 かぁっと顔を火照らせ、もじもじしている桜花はそれは何とも可愛らしかった。


(は、破壊力が……)


 水の振動がまるで翔に「こっち見て」と言っているように投げかけてくる。だが無理である。誰が何と言おうと今の桜花を直視して正常を保っていられる確信はなかった。


「逆上せそうだから、先上がるな」

「そ、そうですか。少し残念です」


 眉を八の字に下げた桜花に見送られ、翔は立ち上がった。


(そこですらっと残念とか言うなよ)


 いじらしい桜花に悶々としながら翔は露天風呂から去るのであった。

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