第49話「アイコンタクトは難しい」


「桜花さんや」

「……おかしいな、とは思っていたのです」


 帰宅して早々、翔はあのことについて桜花に問い詰める。

 あのことと言うのは勿論、アイコンタクトの事だ。


 一緒に暮らしていて、尚且つ桜花は賢いので、大方のことはアイコンタクトで通じていたはずが、あの時だけ上手くいかなかった。


 翔はあの時は関係の無いスタンスで話を聞かなければならなかったので、彼から無理だ、と断りを入れることは出来なかった。


「どうしてもう少し考えなかったんだ……」

「ごめんなさい」


 しゅん、と凹んでいる桜花に胸がちくりと痛む。


 かつてないほどに落ち込んでいる桜花を見ていると少し言い過ぎな気がしてきた。


 目線で充分だろうと勝手に思ってしまっていたのは翔の方だ。桜花はただ助けを求めて翔に視線を向けただけであり、そこからアイコンタクトを感じただけでも桜花の機転というものは評価されるべきところで、ダメな箇所ではない。


 むしろ、誇るべきだろう。


 何なら、翔に「もう少しわかりやすい伝え方はなかったのですか」と言い寄ってきてもおかしくはなかった。


 だが、桜花はそれをするつもりは無いようだった。


 翔は少し迷ったあと、桜花の頭を撫でた。


「ふぇ?」

「ごめん、少し言い過ぎた」


 素直にそう言うと桜花は何だこの手は、とでも言うように不思議そうな顔をしていた。しかし、払い除けることも嫌な顔もすることはなかった。


 あろう事か、気持ち良さそうに目を細めていた。


 それに気を良くしてしまった翔はゆっくりと大きく手を動かした。


 何をされているのかをようやく理解した桜花は瞬間的に顔を真っ赤に染め、ぎゅっと拳を握り、俯いた。


(何これ。可愛い)


 じっと耐えている姿は翔の理性を揺さぶるのには充分すぎる程の破壊力だった。


 ぷるぷる震えだしたのを見て、流石にこれ以上はやめておこうか、と理性に従おうとするが、そんな時に限って桜花が微妙な力加減の違いに気づくのか顔を上げて翔の方をじっとみてくる。


(これは……どうすればいいんだろ)


 やめて欲しいという意思表示なのか、はたまたもう少し続けてくれという暗示なのか。


 翔には判断がつかなかった。


「翔くん……」

「いや、これは……つい出来心と言うかなんというか」

「慌て過ぎですよ」


 くすくすと笑う桜花についつられて笑ってしまう。頭に置いていた手は自然に離れていた。


「ごめんな。ちょっとおかしかった」

「いいえ、私は気にしていません。それに私こそごめんなさい」

「僕ももう気にしてないからいいよ」


 桜花と笑うと何だかそんな事は些細なことでどうでもいいことのような気がした。


「でも、あんまりしないでくださいね」

「え?」


 あんまりしないでくれ、というのは頭を撫でることなのか?そうなのか?あんまりってことは数回なら大丈夫ということなのか?


 翔の頭の中は大混乱に陥っていた。


「私が我慢できなくなってしまうので」


 小さく呟いた桜花の声も今の翔には響かない。

 翔がともかく、一旦この話は置いておこう、と寝れなくなることが確実になった時には桜花は普段の桜花に戻っていた。


「そろそろ荷造りしないとな」


 強引な話題転換は翔のいつもで最早、得意技であるが、いつものように桜花は応じた。


「大体は済ませてありますよ?」

「え、そうなのか?じゃあ僕だけか」

「いえ、翔くんの分も」

「……はい?」


 翔は耳を疑った。

 完璧超人と名高い桜花はいつの間にか翔の分まで荷造りしていたらしい事実に翔は肝を抜かれた思いをした。


 しかし、疑問は残る。


「もう終わってるの?」

「大体ですが」

「歯ブラシとかタオルとか?」

「あと、梓さんから聞いて筋肉痛対策で湿布も入ってますよ」


 翔は何かと運動をしない人なので、旅行先で歩き疲れることが多々ある。梓達の旅行が異常に歩くというのも理由の一つではあるが、一番はやはり、翔の運動不足だろう。


 ……いやいや、それも必要だが、聞きたいのはそれではなく。


「服もか?」

「えぇ。濡れた場合なども考えて一応三日分入れてあります。スーツケースは翔くんも持ってくださいね」

「それは持つけど……」


 当たり前のことなので頷く。荷造りを済ませてもらった上に、荷物を持たせて旅行へ行くほど翔は男は廃れていないし、坊っちゃま育ちではない。


 服、と言われて気になることがある。

 それは……。


「……パンツも?」

「自分で入れてください」

「ですよね」


 半分悲しく、半分嬉しい感じが翔の中で残る。どちらが良かったのかは翔にも分からなかった。


 桜花は端的にいい、さも自分はパンツ如きでは乱されません、というようだったが、言い切った後に少しもじもじしていたので多少気にしているのだろう。


 もう一度頭を撫でてみようか、と思ったが、二度目は流石に怒られるかも知れないとヘタレた。


 もう少しで桜花と旅行へ行く、という事にまだ実感が湧いてこなかった。


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