第十三章『為すべきことは』3

「へぇ、物は言いようだな」

 日進が逡巡したのは、自分だけ早々に気絶したと明かすのをためらったからだ。目の前で強引に肢体を引きちぎられる同僚の最期を思い出したくなかったというのもある。もっともそんな感傷を探偵側に勘付かれるのは絶対に避けたい日進であったから、気絶した事実だけを口にしたのである。

「あんたがミイラにされてないってことは、連中には何か基準があるのかも」

「基準か」

 日進は我が身を見回して、

「違いといえば生き死にか五体満足かどうかだが……、連中俺が五体満足だったから放っていた可能性もあるわけか。だとすればとんだ命拾いだ」

「あるいは順番に干していく気だったけど、何らかの事情で中断したとか」

「それはお前らが運び込まれたのと関係があるのか?」

「そこまではなんとも」

 日進の読みはほぼ正解だ。《猟奇博士》が手にかけようかという直前に《無銘道化師》が市谷と楓を連れてきたので、後回しになったというのが真相である。

「干すといえば、《猟奇博士》は〈地下炉〉や薪の加工がどうこう言ってたな」

「そこにあわせてこの遺体か。燃やす想像しかつかないな」

 黙って顔を見合わせた時も、かすかな地鳴りとほのかな光の明滅は絶えず続いていた。二人にはその地鳴りが炎の猛る音に聞こえた。

「そういえばお前たちはなぜここにいる。坂下がもぐりこませたのか?」

「まさか、道化師の仕業さ」


 検死を行う間も二人は物騒なやり取りを交わしている。

 それらをなるべく耳に入れまいとする楓は、じっとしているよりも体調を整えておこうと考えてあたりを見回す。探していた二重廻しは彼女がもともと倒れていた近くに落ちていた。おそらく眠っている間に自ら脱ぎ捨てたのだろう。内懐から清涼剤を取り出す。鍍金ときん加工の缶の中で銀の小粒がしゃらしゃらと鳴った。その玲瓏れいろうたる冴えた響きがすでに心地よく感じられる楓だ。

 数十粒を取りだしてがりがりと奥歯で噛めば、口の中の不快な酸っぱさがようやく追い出されていく。頭の中もすっきりとしてくる。

 さらにもう数十粒を口に含んでがりがりと噛み砕く。

 また、誰も見ていないのをいいことに、起きた時からずっとかゆくてたまらなかった臀部でんぶ鼠蹊そけい部をかいた。さすがにぼりぼりとまではいかないが、こらえていた分をしっかり心行くまでかく。痒い部分をかけないというのは辛く、下手な痛みをこらえるよりも厳しいものがある。痒みを与えてかけないように放置する拷問があったとしたら、痛みを与えるそれより何倍も効果的だろう、と楓は益体もないことを考えてしまう。

 痒みから解放され人心地つく楓をよそに、二人のやり取りは続いていた。


「博士はここの管理者だよ。名ばかりだろうけどな。俺たちを〈地下炉〉に放り込むとか」

 二人して遺体の衣服をまさぐったり間近に見たりしながら、

「炉にくべる乾燥した死体――薪は浮浪者で調達して加工か。この一件、大して込み入ってもなさそうだな。むしろ上からの対応をどうするかだが」

 二人ともそれなりに協力しあっており、はらはらしながらやり取りを見守らなくてもよさそうだ、と楓は牢の外に目を向けた。

 見張りの仮面男――人形にんぎょうはといえば、


 かっちきん、かっちきん……


 少し前と寸分たがわぬ場に佇立している。

 何か得られるものがあるかもしれないと、楓は改めて観察に努める。

 卸したてのようにぴんと張った黒の詰襟は一切の乱れがなく、燭光しょっこうをきれいに照り返していた。光沢からして絹だと思われるが、正絹しょうけん人絹じんけんかまでは不明だ。肩章や長靴ちょうかで軍服っぽく見せているのも、彼らが〈黄金の幻影の結社〉の兵隊に位置付けられているからだろうか。

 仮面にかたどられた〈哀しみ〉が自身の置かれた立場への哀愁のようにも感ぜられる。

 だが、果たして彼らには自らの立場を嘆くほどの自由があるのだろうか?


 ――ただの人形ならばそんなことはないでしょう。そう、ただの人形ならば……


 市谷は確かに『ただの人形』と言った。

 が、その意味するところは楓が思う人形とは違うのだろう。

 楓にとって『ただの人形』というのは、魂のこもらぬ、玩具や形代かたしろとして用いる人形ひとがただ。彼女の理解に照らせばそれらは動かない。動く人形とはなんらかの念や魂がこもった〈付喪つくもの〉や〈付喪神つくもがみ〉に他ならないからだ。そのような存在が両手で数える以上に存在しているなど、さすがに現実離れしていることぐらい楓にも分かる。


 ――市谷さんの『ただの人形にんぎょう』はおそらくたとえにすぎなくて……


 上司の意のままに動く部下を指して、「あれは上司の操り人形だ」と呼ぶのと同じ意味でしかないのだろう。そんな比喩を〈付喪の〉などと取り違えてしまうのは、霊性存在を信ずる楓だからこそ陥った特異な落とし穴といってもよい。


 ――そういえばあのとき市谷さんは『仕組み』と言いかけていた


 ものも言わず気配も薄いのにはなんらかの機巧があるのだろう。

 からくり人形はぜんまいやばねで動くが、それではすぐに動力切れを起こしてしまう。しかし、まさか帝都だからといって蒸気機関で動いているというわけでもあるまい。目の前の人形はどこからも煙を出していないし、間近に接近した時に石炭殻の異臭もなかった。


 ――魂なき人形、からくり、操り人形、傀儡くぐつ、自動的……


 と考えこむ楓の後ろで、二人はまだ何か言いあっている。

「死体が――」

「――を加工して」

 漏れ聞こえてきた言葉を耳にして、楓ははっとひとつの可能性に思い当たった。

 古代にいう『未那乃みなの遠原とつはら』、すなわち現在の南洲なんしゅうに〈六骸むくろ〉という芸能技術があった。現代では『雅楽』『能楽』『田楽』のように『骸楽らくがく』と呼ばれるそれは、等身大の操り人形を精緻に操り演舞させる伝統芸能だ。傀儡子くぐつの流れを汲むと位置づけられ、事典を引けば、『等身大の精妙な人形に舞いを演じさせる伝統芸能のこと。』とされている。また、同じく『六骸』の項には、『しょう文師もじの一分類。傀儡師(傀儡子)、骸楽の古称。』と記されている。

 なるほど、確かに『骸楽』は伝統芸能のひとつである。

 が、楓は『骸楽』の元となった〈六骸〉が単なる芸能でないのを知っている。

 本来の〈六骸〉とは死体を加工したうえ、特殊な糸と針を仕込んで人形として動かす、死体人形の操作術とでも呼ぶべき特殊技能であり、使い手を指す名でもあった。その名称は骸に六つの加工を施す秘技に由来し、これに長けた一門が南洲幕府に召し抱えられ、もっぱら暗殺や影武者といった稼業に用いられてきた歴史がある。〈六骸〉は傀儡師として諸国を渡り歩き、間諜を務めたという。その点では古代の巫女、特に歩き巫女の類縁ともいえる。


傀儡くぐつとでも申しましょうか』

 ふと楓は《無銘道化師》の言葉を想起する。まるで〈六骸〉を想起させるような言いぶりで人形を三体も四体も従えていた。一人前の〈六骸〉は人形を三体、達人ともなれば五体をも同時に操ったと伝えられている。


 ――や、あれを〈六骸〉と決めつけるのは早計にすぎる


 二度のやり取りで楓がつかめたのは、仮面をつけた彼らは気配や感情が希薄ながらも、皆無ではないということだ。一方で元来は死体であるところの〈六骸〉は間違っても気配や感情、殺気を発さなかったという。だからこそ暗殺に向いていたし、殺気を感じ取る熟練の武芸者とも対等に渡りあってきたのだ。

 素材という言い方をするのならば、〈結社〉の人形にんぎょうは人間に違いなかろう。


 ――物は言いよう


 人形と呼んだところで、戦闘訓練を積んだ人間が仮面をつけているだけだ。

 が、人間の意識をどうすれば読み取りづらくなるのだろうか。

 まるで気を失うか、心を閉ざしてしまっているかのような希薄さなのだ。

 人形を志す人間が自らそうしているのか、はたまた〈結社〉がなんらかの洗脳じみた方法でそう仕向けているのか。それこそ骸を〈六骸〉に仕立てるように、特殊な加工を施しているのかもしれない。


 そんなふうに考えている楓の耳に、市谷の怒りの声が聞こえてきた。

 振り向けば市谷と特高の男が言い争いをはじめているではないか。

「だからぁ、一人じゃ無理だっての!」

「同意など求めてない。お前たちは出たければ出るがいいさ」

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