第十章『そのころの〈巫機構〉』2

 実際のところ、と銀嶺は矛先を本来の相手に向ける。

「なぜ助手の坂下さんを寄こすのでしょうか。担当の神楽坂探偵が説明にお越しになられない、その説明責任は坂下探偵におありですよ」

「すでに神楽坂和巳は解決に向けて動いています。事態の一刻も早い解決こそが皆様に示しうる最大限の誠意と考えてです。しかし銀嶺さんがご指摘の通り当人が来られなかった点、不快に思わせてしまい深くお詫び申し上げます」

 坂下探偵が間断なく述べて深く頭を下げる。

 しかしその回答は先と同じく、やはりどことなく書面的だ。

 顔色を変えずに詫びを聞いていた銀嶺部長は、内心で相手の評価を定めかねていた。相手のそれは満足の行く回答ではない。ただし隙のない回答ではあった。

 おそらく神楽坂和巳はこうしたやり取りや突っこみをあらかじめ想定していたのだ。書面的なのは事前の想定に基づいて喋っているからなのだろう。先ほどは規則を読み上げているような印象を受けた銀嶺であったが、こうなってくると何を突っこんでもこの場では言質げんちを取れないような気がしてくる。

 探偵は現場職と思っていた銀嶺であるが、神楽坂に関しては事務職に近いのかもしれないと思い直す。いや、あるいはそういった面でもそつがないからこそ、号を持つ碩学級探偵の地位にあるというべきか。

 一方で自分も事務職である銀嶺には相手の次の手が読めた。

 適当なところで時間を理由に切り上げてくる、と。

『僕も捜査に動きますので』と言われたら引き止めるわけにはいかない。もちろん銀嶺も事態の一刻も早い解決を望んでいるからだ。責任論のやり取りでいたずらに足止めさるのは捜査の妨害でしかない。むろん相手もそれをわかっているから現場での捜査を理由にするのだ。

「……いまはその謝罪は受け入れましょう。ところで彼女、山吹さんの協力の申し出については、神楽坂探偵は反対と見てよいですね」

 引きとめられないのを見越した上で、銀嶺は山吹の協力の芽を摘む方向に動く。これは上司にやり込められたままよりも、当の探偵から直に断ってもらったほうが彼女も素直に受け入れやすかろうと考えてのことである。餅は餅屋だ。

 ところが当の探偵は、

「あまりおすすめはできませんが――」

 曖昧な返事をごまかすようにしてほほ笑んだ。

「協力申し出への返事は当人の専権でして、この場ではなんとも申し上げられません。おそらく神楽坂も協力は辞退すると思うのですが……」

 口を濁す態度に銀嶺は坂下の板挟みを読み取った。

 おそらく彼自身は山吹の申し出には不賛成なのだろう。しかし彼の判断は神楽坂の前では意味を為さないのを、彼自身よく弁えてもいるのだ。

 これは上が強い権限を持つ者の部下に見られやすい反応だ。

 銀嶺もかつて図書ずしょ寮にいたころ、強権的なかみの判断によって、自らの配慮や案をたやすく吹き飛ばされた経験が何度もある。そんなことが度重なれば、いい大人でも引っ込み思案になってしまうものだ。


「ほら部長、まんざらでもないかも? ってことみたいですよ」

 なお言いにくそうにする坂下を前にしているにもかかわらず、どういう神経か山吹が自分に都合よく楽観的に言う。

 銀嶺は彼女を完全に諦めさせるべく思索する。これでは上司というより保護者だ。

「あの、質問がなければ僕も捜査に戻らせていただきたいのですが――」

 ほら来た、と思う部長の隣でおきゃんな娘が鼻息荒く立ち上がる。

「はい! 質問です! あたしはここで待っている他に手はないのですか?」

「先ほども申し上げましたように、民間協力者の投入の可否については神楽坂の専権ですので、いまは待っていただくのが最良と判断します。もちろん展開があるごとに遣いをやらせますので、その点はご安心ください」

「私の協力の申し出を神楽坂さんにはしっかりと伝えてくださるんですよね?」

「それは、お伝えはしますが……」

 あくまで食い下がる山吹に、

「山吹さん」

 と、いよいよ銀嶺が彼女を名字で呼びとめる。

「貴女は女学校の仲良し倶楽部くらぶの気分で言っているのでしょう。が、これはそのような事態のものではないのだと、いい加減に弁えなさい」

 楓の身に起こった事情を前に、彼女が軽々しいのは一体どういう料簡であろう。

 先輩とさんざ敬慕するていを見せておきながら、そのじつ情誼じょうぎに欠けているのか。


 さにあらず。


 彼女はけして楓を等閑視していない。

 本気で神楽坂和巳の手伝いをし、かつ赴任したばかりの初めての〝先輩〟を救いたいという思いで胸があふれているのだ。むろん廉直な心持ちばかりではない。あわよくば憧れの探偵のお手伝いも、という不純な着意も確かに同居しているので、浮薄とのそしりは免れない。

「うぅ、その、すいません部長。あたし……」

 平素は温和な部長の転じようを前にすれば、協力の申し出はただの野次馬根性にすぎず、熱に浮かされたがゆえの暴走だというのが遅まきながらにわかる程度には、山吹は辛うじて分別を弁えていた。

「気づくのが遅すぎます。もう少し状況を見てものが言えませんか」

「浮かれすぎました、すいません」

「その、話はいちおう取り成しておきますので」

 二人のやり取りを前に坂下は実に気まずそうに口にしてから、

「南海楓さんは絶対に、無事に送り届けますから」

 深く一礼して出て行った。


「……坂下探偵が先輩の名前を言う時、なんだか熱っぽくありませんでした?」

「絶対に取り戻すという決意の表れだろう。大いに期待したいものだけれども」

「それにしても、あんなふうに熱っぽく名前を呼ぶなんていやらしくありませんか? あたしだってまだあんなふうに楓先輩を呼べるほどの仲でもないんですよ」

 すぐに調子を戻した山吹がすでにいない坂下に変な意地を張る。

「まったく……、もう少し慎みを持った方がいいかもしれませんね」

「ですよね?」

「吹子さんのことですよ」

「ん?」

 とよくわかっていないながらも、吹子は自分がなんとなく不利になりそうな気配を察し、「ところで部長」と話頭を転じる。

「探偵が護衛についていながら楓先輩が連れて行かれたということは、一体どんな連中が出てきたのでしょうか。まさか怪人でしょうか? いくらあの坂下って探偵が冴えなさそうに見えても、愚連隊や誘拐犯におくれを取るなんていうのはさすがにちょっと考えにくいです。だって協会所属の探偵なんですよ? しかも神楽坂探偵の代理、いわばお墨付きなんですから」

 知識や洞察力、推理力だけでなく、荒事についての技術も身に付け、日々たゆまぬ努力と研鑽を積んでいるのが協会の探偵だ。

 そんな探偵を出し抜くほどの力や知恵を持つ悪党はそうそういるものではない。百歩譲ってそういった存在が出張ってくるにして、そいつらが碩学位や碩学級、あるいは政治家や企業の幹部をさらうというのならば、実利の面でまだ理解はできる。

 しかし、なぜ楓先輩なのか。

 帝都に来たばかりの先輩がどうしてかどわかされなければならないのか。

 山吹にはさっぱり理由がわからなかった。


「そうだねぇ――」

 銀嶺は相槌もそこそこに、〈巫機構〉の東和方面本部へ送る電報の文言を練りはじめていた。管理職である以上は考えうる事態――最悪の場合――に備えておく必要がある。

 山吹のような帝都で生まれ育った人間は探偵を盲信的するきらいがある。探偵への無意識の信頼といえば聞こえいいのかもしれないが、こんな時にはかえって色眼鏡となってしまうものだ。


 ――もっともそれは僕も同じだな


 銀嶺も帝都に住んで長い。碩学級探偵の神楽坂が担当だと聞いて、追及を緩めてしまった部分はいくらかあった。降りしきる煤煙に慣れるにつれ、その空気に馴染んでしまっていた。探偵が出るのならば探偵にというのが帝都の習いといえども、その帝都に初めて来た楓にとっては極めて不誠実な対応であった。

「今日は徹夜になるかもしれません。南海さんが心配だという山吹さんの気持ちはわかりますけれど、今晩は僕が詰めますから、あがってもらっていいですよ」

 滅多にため息をつかない銀嶺に山吹の表情が強張こわばったが、

「いいえ部長。私も詰めます! 詰めさせて……、ください」

 それくらいの我がままならば許してもいいだろう。

 銀嶺は監督者としての部下への甘さを認めざるをえなかった。

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