第八章『道化師哄笑す』1
仮面の一味は二人から一定の距離を置いて半円状に散開し、それより近寄ってこようとはしなかった。中空に突き出した手のひらを上下左右に滑らせているばかりだ。あたかも大道芸人の黙劇のように、その場に空気の壁が存在しているかのように振る舞っている。
「どうも完全に取り囲まれてしまったようですね」
悠然と煙草をくゆらす態度とは裏腹に、坂下はいつでも行動に移れるよう、油断なく三人に注意を向けている。
その後ろで身構えている楓も、目の前で無言劇を続ける仮面男たちをじっと観察する。
ほんのちょっと前に相手をした経験から、彼女は連中の実力を自分よりも上と見積もっていた。投げ飛ばされたり、
しかし相手がこちらを妨げ、それで逃げ場がないとあってはどこかでぶつかるのは必至。そのとき少しでも心得のある者として、自分の身は自分で守らなければならない。
そう腹をくくったうえで楓は口を開く。
「この方たちは」
坂下探偵と市谷助手は確か、こう言っていた。
「〝
「こいつらは〈結社〉の――」
言いかけた坂下は途中で打ち切って、
「話しかけても答えちゃくれませんよ。仮面劇の役者は何も語らないんです」
「それはどういう意味ですか? 私は坂下さんに聞いたんですよ」
楓にしては珍しく詰問する調子であった。事態が事態なのに事情をはぐらかされたようで、そんなことをしている場合ではありませんという思いが先に強く立ったのである。
「どうもあなたは……、当たりを引いたのかもしれません」
一方の坂下はなおもはっきり口にしない。事情を説明すべきか迷っているのである。説明しなければただ巻きこまれただけとして、この場を切り抜けたあと彼女を日常に送り返せる。しかし彼らの正体を明かしてしまえば、帝都に来たばかりの彼女を巻きこむどころか、闇へと深く引きずりこんでしまいかねない。
もっとも楓にしてみれば、路地裏で襲われ、霊性存在を目撃し、さらには特高への連行、取り調べといい、当たりどころか外ればかり引かされている心地である。
「当たりも何も――」
あったものではない、と言いかけた楓は小さな乾いた音を耳にした。
夜陰の中で聞こえるそれは柏手の音だ。
あまりに場違いだった。
いくら巻き込まれ体質とはいえ、よくもこう継起するものである。日ごろの行いが悪い人間にはよくないことが降りかかるというが、少なくとも楓は悪行を積んだ覚えがない。
――身に覚えがないだけで知らずに禁忌を犯しているのかもしれない。や、いまはそれどころではなく
拍手が止むと、坂下の高い背中越し、一味の背後に
仮面の男たちとは異なった出で立ちの、しかしこれまた奇妙な仮面の男が。
――目を逸らしていなかったはずなのに……
まるでいままで遠くにいた相手がふと気付けば隣にいたような、あるいは観客のちょっとした
や、と楓。ひょっとしたらずっとそこに立っていたのに、男たちの無言劇に気を逸らされて見逃していたのかもしれない。それはそれで大きな問題だ。そういった状況に目を引かされているのだとしたら、すでに相手の術中にはまっていることになる。
楓が我が目を疑うほどに、男はきわめて異質な存在感を振りまいていた。
薄暗がりの中にあっても目を引く真紅の燕尾服。
その首周りには、藩政時代に見られた欧州の宣教師のような白い
「もう捜査にとりかかられておるとは――」
露出している唇から発せられた高い声が、裏路地のよどんだ空気を裂く。
「ずいぶんお早いお気づきでございますな、《軍団卿》閣下。貴下の丹念な情報収集と地道な探索には毎度ながら驚かされます」
「お陰様でこそこそしている君たちをこうして嗅ぎ付けられた」
「我らの人形がその半分でも細やかに優秀であればよいのですがなぁ」
男が大仰に肩をすくめると、前に立つ仮面男たちが頭を垂れて肩を落とす。
やはり仮面男が何度か耳にした〝
「昨日も黒坂さんの前に現れたそうだね」
「とんだ誤解でございます。前には出ておりません。お目にはかかりましたが!」
「まったく忙しいことで、今回も退屈しのぎにきたというわけかい?」
「なんと! 《猟奇博士》閣下への助力を退屈しのぎ、時間つぶし、望まぬ付き合い、片手間呼ばわりとは、この《
芝居がかった調子で天を振り仰ぐと、仮面男たちの距離が一歩縮まる。
「これは本来の主役たる《猟奇博士》閣下への発破、ではなく、つなぎにございます。ただいま
燕尾服の多弁に合わせて仮面男たちがさらに一歩。
「よりにもよって君が《猟奇博士》と組むなんてね。これは金剛石でも降るんじゃないか」
「〝空白の第四位〟合流の報を受けて、ご自身の立場が
「勝手にということは別に目的があるのだろう、道化師」
「あぁ! 仕事に励まんとする者に無粋なことを申されますな!」
仮面男たちは坂下にあと二、三歩というところまでにじり寄る。
「君たちが仕事に励むのならば、早く
坂下が煙草を捨てて一歩進む。
両者いよいよ腕を伸ばせば届く距離にまで迫った。
「ところで、そちら
いままでの熱狂した口調から一転、道化師を名乗る男はふいに静かな調子で言いながら、首を傾げながら半身をずらして坂下の後ろを覗きこむ。
「ああ、わたくし〈黄金の幻影の結社〉の事務雑用采配代理を務めております《無銘道化師》にございます。お嬢さんにおかれましても〝閣下〟の
〈結社〉または〈黄金の幻影の結社〉。
訪問者である楓はもちろんその存在を知らない。それが帝都に息づく一種異様な犯罪組織であり、裏社会の者ですら関わり合いになりたがらないことや、これまで数多くの事件を引き起こしては探偵と衝突してきたことをも。
「ぇ、私は、え……」
急な自己紹介に楓は面食らうが、半身をひいて
「こいつは残忍な犯罪者だ。構うことはない」
坂下の制止もお構いなしに、無銘道化師は構わず口を開く。
「立派な二重廻しをおまといですが、お嬢さんはもしや寒がりではありますまいか? 東洋から吹きすさぶ北風はさぞや身に沁みましょう、と言いたいところでございますが、この冬をよく冷えると予報した《時計塔》の見立て違いがありましてな、いまのところは割合に暖冬であるようでございます。もっとも小数点以下の数字ではありますが」
人差し指をぴんと突き立てて淡々と言う。
道化師の名といい、姿といい、振る舞いといい、さながら舞台の役者だ。
そう、ここは舞台、彼は演者。
「しかしお嬢さんが寒がって風邪をひくのはよろしくありません。」
これは溜めの
「しからば! ここはひとつ、よぅく燃えるものをくべまして、帝都を地底からもっともっと温めなければなりますまい!
轟々と猛る炎でっ!
激発し、突如けたたましく放笑。
道化師が
そのあまりの奇態に楓は呆気にとられてしまう。
これまでの人生で見てきた何者の枠からも外れた奇矯であった。
果たして
「危ない!」
坂下の叫びに気付いた時、彼はすでに仮面の二人と組みあっていた。
そして残った一人、〈驚き〉の仮面が楓にじりじりと詰め寄っていた。
「逃げてください。まともにやりあっちゃいけません!」
坂下が猛然と〈喜び〉に掴みかかる。
そのすぐ後ろから〈怒り〉が近づいていた。
「ゆっくり話している余裕はありません。市谷くんがいる方に逃げてください」
「その通りでございます。軍団卿閣下にはここで釘付けになっていただきませんと」
探偵のすぐ後にまで迫っていた〈驚き〉が拳を振りかざしている。
「坂下さん!」
坂下は振り向きざまに腕を突き出して人形を突き飛ばし、「早く!」となおも強く促すが、当の楓は武器になりそうなものが落ちていないかと周囲を見回す。
――相手をひるませられるもので隙を作って共に逃げないと!
「このお嬢さんは良い! 感情的で勇ましく頼もしい! 合格ですなぁ〝閣下〟!」
天を仰ぎ高笑いする道化師は両の手をしきりに振りまくっている。
めちゃくちゃに動かしているようにも、指揮棒を振るっているようにも見える。
不可視の腕に押されたように突進する〈喜び〉を、楓は身をひねって辛うじてかわす。
――路地裏で遭遇した時より動きが早いような……
こうなればいよいよ逃げるのがよさそうだと、楓は遅まきながら坂下にうなずいて駆けだした。放っていくようで気が引けたが、坂下は相手の一撃を十分にかわせる力量を持っている。そんな人に下手に加勢すればかえって足手まといになりかねない。
指示に従うのが賢明だと断じたのである。
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