第四章『招かれざる訪問者』2
顔も見えない相手から唐突に自分の名前を聞かされた楓は、曇り
玄関灯の下に二人立っている。
例の仮面たちではないようだが、返事をしたものかどうか。
さっと部長をうかがうと、
「今日はもう終わっていますよ。用事だったら明日にでもお願いします」
と代わりに応じる。しばらくの沈黙があった後、
「こちらは年中無休、二十四時間営業でも一向に終われないものでして、失礼します」
扉が勢いよく開かれて、二人組の男が無遠慮に
どちらも灰色の外套に背広姿という出で立ちで、片方は無地の黒ネクタイを、もう片方は蛇の目紋の紺ネクタイをつけて濃茶のソフト帽を浅く被っている。
鋭い目つきには敵意や悪意が込められていないが、一方であまり人を信用していなさそうな、疑り深げな瞳を宿らせている。彼らは
「南海楓さんですね。東部市中央停車場に着いてからの足取りをうかがいに――」
「ちょっと! なんで
黒ネクタイの男に無言で黒いものを抜かれ、山吹はぐっと声を呑んだ。
黒く磨き抜かれた牛革の手帳の拍子には、放射状に展開する旭光を背後に敷いた柏葉が金で
「これで分かっていただけたかな?」
手帳を手にした男は満足げに言って、改めて楓をねめつける。
「あのね」と押し黙ってしまった山吹の代わりに部長が応ずる。
「南海さんはつい今しがたこちらに赴任したばかりなんです。特高がいきなり話を聞かせてくれだなんて、そのような横柄が通ると思わないでいただきたい」
「我々が横柄だとよくも言えたものだな。お前たちのような――」
「売り言葉に買い言葉でどうする。我々は押し問答をしにきたのではない」
荒々しい口ぶりの男を蛇の目ネクタイが制止して、一枚の紙を取り出す。
「こちらは聴取令状です。応じていただかなければ困りますよ」
「令状様々ってわけですか、
「その可能性があります。我々だって暇でやっているわけではありませんからね」
「ではどんな事件が起きたか、お聞かせ願えますか」
「職務上の機密です。語って聞かせられません」
「こちらを納得させる気は最初からないというわけですね」
歯がゆそうに答えて、銀嶺は思案顔になる。任意同行ならまだしも聴取令状を取られているとあっては、法に反してこれに応じるなとは言えない。
そんななかで楓はおずおずと身分証を差し出した。
名刺型の身分証の右下には『〈
「あの、私がどういった事件に巻きこまれたのか、そもそもどういう組織の者なのか、
南国連こと〈南和州諸国連合〉は和州大陸南部の国際組織だ。
大東和帝國の解体による経済的損失を防ごうと、帝國時代に本土と呼ばれた大陸南部地域の諸国家が中心となって結成された。元来は本土地域の広域的な経済と流通の支援を目的として組織されたが、現在では国際的な課題の解決や、加盟国の安全保障の共通化を図るなどの動きもみせている。
楓たちが属する〈巫機構〉は〈南和州諸国連合〉の協力機関に位置付けられており、各地に散らばる伝統的な祭祀の実行や保存、遺跡の調査、保全などを連合から嘱託されている。
そうした機構の立ち位置はともかく、楓としては不当な要請へのせめてもの抵抗として、自分たちは国際機構の一員であると示したにすぎない。相手が司法関係者ならば、国際機関である南国連の名は効くだろうという打算もあった。
「本当に到着したてなのだな」
黒ネクタイが呆れて鼻で笑う。
「
傲然と言い放つその態度に楓は色を失う。
男が嗜虐的に口角を吊り上げた。
「お前たちが南国連から何を託されているのかは知らんが、特別高度警察隊にそんなものは効かんと言っている!」
「あのな
苦々しげに射扇がつぶやく。
「お前はもう少し言い方を考えろ」
「で、ですが――」
「先ほどから見ていれば、威圧を与えるのが目的のような行為が目立つ」
二人の上下関係はおよそはっきりしていた。叱責された日進が委縮すると、射扇は小さくため息をついてソフト帽を脱ぎ、楓の身分証を指さす。
「〈
「準備ぐらいする時間はあるんだろうね?」
憤然と銀嶺が口を挟む。日進がまた何か言いそうな様子を見せたが、射扇が先に、「はい、外で待っています」と退出したので大人しく従った。
二人が出ていくと銀嶺は楓に振り返って頭を下げた。
「上司といっておいて、こういったときに助け舟も出せずに申し訳ありません」
「いえ、銀嶺部長が頭を下げることはないですよ。私も自分で何がなんだかです。ひょっとするとここに来るまでの私に、なにか落ち度があったのかもしれませんし」
といって楓に思い当たるのは、路地裏での出来事ぐらいしかない。
「それであの、特高というのはなんでしょうか?」
「特別高度警察隊を縮めてそう呼んでいます。通常警察の帝都警察とは別建てで、要人の警護や政治関連の事件、反政府組織のあぶり出しなど、主に治安維持を担当する警察です。それがなんで南海さんに用事があるのか……」
さっぱりわからないと、部長が肩を落とす。
むろん当人にも見当などつかない。
裏通りで仮面の一味を相手に立ち回りを演じたが、あれに政治的な事情でもあったというのだろうか。事件性といっても、せいぜいが過剰防衛だ。それにしたって相手の体が無事なのを確認してから楓は逃げている。
もう一方の
警察が令状まで取るような出来事だろうか。
わからないものをいくら考えても
先に部長たちに路地裏の出来事を伝えておくべきだろうか。
そう考えもしたが、扉がどんどんと叩かれる。
早くしろ、ということらしい。
おそらく日進だろう。
「と、ともかく、行って来ようと思います」
「あまり時間がかかるなら、特高に抗議させてもらいます」
「ありがとうございます」
と二重廻しを羽織って出ていく楓を、山吹は無言で見送っていた。彼女は喋っていなければ死んでしまうような性質の娘だ。さすがに気になった銀嶺が声をかける。
「さっきから静かなままですが、どうしました吹子さん?」
「悔しいです。あんな言い方をされて、黙っているしかできないなんて――」
拳を握りしめて、か細くつぶやく。
「……南海さんが戻って来てすぐ荷解きできるように、鞄だけでも運んでおこうか」
聞かないふりをして、銀嶺は山吹を促して二階の灯りを点けた。
その灯りから逃げるように楓を乗せた車が遠ざかっていく。
*
背の高い男と少年が蒸気あふれる路地裏で話し合っている。
「白い上衣に赤い
「ああ、その上にコートを着てたけど、動くときにちらっと見えたよ。あんま見ない取り合わせだったからなんか目に焼きついちまった」
「おそらくそれは巫女というやつだろう」
「ミコ?」
「原義的には神に側仕えし、神託を告げる役職だね」
「カミって、神様のことだろ? 帝都にそんなの信じてる人がいるんだ」
「それはわからないけれど、信じる信じないは個人の思想信条さ。君が見た巫女はおそらく〈巫機構〉という組織の人だろう」
「それも初めて聞く名前だな」
「僕も間接的とはいえ〈巫機構〉に関わるのは初めてだよ。それより肝心の話はだ、
「ん? ああ、ちったぁ腕に覚えがあるようだったね。何とか一人でしのいでたみたいだけど、三体相手に徒手空拳なんて、兄貴じゃなきゃ限界がくるってなもんさ。石を投げて
「で、そのまま君が誘導した人形は四班と合流して倒したと」
男が足元を見る。
そこには黒い詰襟の男たちが伏していた。
みなぴくりとも動かない。
「大した動きじゃなかったからね。誰の手の者か自動的に絞られてくるってなもんさ」
「そう早まった判断を下すものではないよ。元はといえばその大した動きじゃないのを取り逃がしたのが原因なんだから。それがなければ巫女も襲われなかっただろうに」
まだ声変わりもしていない少年が得意げに言うのを男が穏やかに戒める。
「それは分かってるよ。取り逃がした本人たちも反省してたから許してやってよ」
「怒っているわけじゃないさ。しかし市谷くん、君も一体取り逃がしているね」
「それは……、急にどこかに消えちまったんだよ。巫女の姉ちゃんの方を追ったわけではなさそうだけどさ、いまも四班に網を張ってもらってるのはさっき報告した通りさ」
「ありがとう。それにしても消えた、か。このあたりに根拠地でもあるのかもしれないな。僕は特高に顔を出して来よう。怪しい動きがあると知らせておかないとね」
「それだけどさ」
市谷と呼ばれる少年が申し訳なさそうに口を開く。
「特高もこいつらを捕捉してたみたいなんだ。もともと連中が張ってた網に俺が人形を追い込んじまったみたいで、そのうえ巫女の姉ちゃんが通りかかったもんだから、もうしっちゃかめっちゃかさ」
「それは誰にとっても災難だったね」
「災難なもんか、あいつらは何もせずにじっと見てただけだったんだぜ?」
少年が吐き捨てるように言う。
「ま、いつものことだけどさ。必要な被害だと最初から割り切っておいて、その気になれば救うつもりだったのかもしれないけどさ……」
その〝つもり〟のせいでもう何人も犠牲になってるのに、とまでは口にしない。
「あ! もしかしたら今ごろ巫女の姉ちゃんの方にちょっかい出しに行ってるかも」
「確率は高いね。すでに引っ張られている可能性もある」
「自分たちは遠くから見てただけってのを棚に上げて威丈高にやってるさ、絶対に」
「特高には僕がすぐに向かう。これの回収の手筈は?」
男が足元に倒れた二体の詰襟を指さす。
「《
遊撃班が来ると聞いて、背の高い男はうなずく。
「では《撃手》到着後に警察署で合流しよう」
「わかった」
かわいい弟分の返事にほほ笑んで、男は路地を後にした。
少年は薄汚い煤煙の漂う狭い路地裏で、女を助けた場所で拾った紙片を見ながら手配した相手の到着を待つ。紙には道案内が示されているが、彼は記された経路を不思議がった。
――どうしてここに行くのにわざわざ路地裏を歩くようにしてあんだ?
少年のそばには仮面の一味だったものが転がっている。
彼らには首から上がなかった。
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