9(4)

 シロタエはレベッカに銃を向けられても少しも動じていなかった。それどころか、笑い声を上げた。

「あなたのその強さ、好きよ。そのくらい強くなくちゃ、この世界では生きてなんかいけない」

 シロタエは不意に、ランスを押し倒して地面に伏せた。

 六発の銃弾が雪に沈み込む。

 レベッカの背後、シロタエの視線の先には拳銃リボルバーをこちらに向けている艦長の姿があった。

 ランスはシロタエの袖を引くが、彼女は目線を前に向けたまま立ち上がる。

「ランスはそこにいて。彼もあなたを傷つけるつもりはないはずよ」

「だったらお前は俺のそばにいるほうが安全だろ」

「馬鹿ね。あっちは仕事で私を捕らえに来てるのよ? あなたは彼の部下。私の味方なんてしちゃいけないの。あくまで私に攫われた側でいなさい。わかるでしょ」

 雪に覆われた地面から木が伸び上がり、生き物のように素早く動きながら、艦長のほうに枝を伸ばしていった。

 しかし、枝は途中で動きを止めた。地面から凍りついていき、あっという間に枯れ木になってしまう。

 シロタエは忌々しそうに顔を歪めた。

 彼女の足元から一瞬で伸び上がった氷の樹木が絡みついていて、身動きがとれなくなっている。見ると、湖の表面は厚い氷で覆われはじめていた。

 どうやらシロタエの身体と魂は繋がっていて、身体のほうが凍らされてしまうと何もできなくなってしまうようだった。

「ランスとの話を盗み聞きしていたの? 趣味が悪いわね。あれは、ただの鉛玉じゃなかったってわけ。でも、強力な魔法を使えば消耗が激しいはずよ。せっかくランスが貯めた魔力を使わないで」

 周囲の空気が震えていて重い。低気圧の日のような感じだ。二人が魔法を使っているせいだろうか。

「そんなに使ってないよ。やはり、きみは魔元素の流れを視るのが不得手みたいだな。いつも魔法石を身につけていたのだけれど、きみは勘付けなかった。きみが帝国から出ようとしなかったのは、魔法が苦手だからか」

 湖の畔に生えている木々が、凍っていく湖面を割ろうと太い枝を伸ばす。けれども間に合わない。力の差は圧倒的だった。

「帝国だと僕は役立たずだけど、ここは雪も降っていていい場所だ。寒いのは最悪だけど」

 シロタエと湖を覆っている氷の樹は、ミシミシと軋みながら、枝を伸ばすようにして彼女を覆っていった。

「復讐に囚われているの? 愚かね。あなたから人生を奪ったのは、王国よ。アーサー・フラクスを陥れて殺したのは宰相」

「聞いた」

「じゃあ、あなたは何を恨んでるの」

「利己的な理由で白桜を使おうとする番人」

「私は利己的? 殺す? 好きにすればいいわ。私はただランスを守りたいだけ。そもそも、人間は動物よ。利己的じゃいけないのかしら。利己的じゃない人間はいるの?」

 艦長はシロタエの言葉に答えない。表情という表情を浮かべていなかった。

 彼にとっては仕事だとシロタエは言ったけれど、ランスには、それが恐ろしかった。仕事だったら村を一つ焼いてしまってもいいのか? こんなふうに少女を苦しめてもいいのだろうか?

 その間、ランスは氷に閉じ込められていくシロタエを見ていることしかできなかった。

 生きていてくれたのに。会えたのに。もっと話を聞かないといけない。でもたぶん、分かり合えることはない。彼女は、敵はみな排除するつもりだ。

 ほんとうに、見ているだけでいいのか。

 彼女のやってきたことは、すべてランスのためだという。

 そうしてくれと頼んだわけじゃない。でも、彼女が罰されるのなら、自分だって――


 シロタエは目だけをランスに向けて微笑んだ。

「大丈夫。あなたは私が守る」

「伏せて!」

 頭上から響いてきたリアナの甲高い叫び声とほぼ同時に、どこからか艦長のほうに向けて弾丸が飛んでくる。

 シロタエの機械人形が起き上がり、艦長に自動小銃を向けていた。

 艦長は氷の壁を作って応戦するが、作っても作っても弾丸に表面を砕かれていく。

 レベッカも守らないといけないから、負担が大きいのだ。

「アズサ! もう誰も殺すなよ!」

 シロタエを覆っていた氷が動きを止めた。しかし彼女はランスの言葉には耳を傾けず、ゼイラギエンから降りてきたリアナに冷たい笑みを向けた。

「リアナ、あなたも私を裏切るの? そんなにあいつを守りたいのなら、一緒に殺してあげる」

 リアナは雪原を歩いているとは思えない身のこなしで機械人形の攻撃をかいくぐり、抜き身のレイピアをランスに向けた。

「あれを止めないと、ランス君を殺すわ」

 シロタエは浮かべていた笑みを凍りつかせた。対するリアナは場違いに優しい微笑みを浮かべている。

「どうしたの? あなたのいつものやり方でしょう? あなたには感謝してるわ。夫を殺した連中から逃げられたのは、あなたのお陰。本当なら私も、あそこで死んでいてもおかしくなかった。でも私の目的は復讐であって、他の番人たちを攻撃することじゃないの。あなたに逆らえばきっとシャロンが狙われるから、今までは従っていたけれど、もうこれ以上の勝手はさせないわ」

「そう」

 シロタエは、なんの感情も込めずに言うと、薄く笑った。

「あの機械人形は、私が止めてもあの男を殺そうとするわ。助けたいのなら、早く援護しに行ったほうがいいんじゃないかしら。二人とも手負いだもの」

「この、悪魔……!」

「何とでも言いなさい」

 ランスは歯を食いしばった。本当に何もできない自分に苛立った。

「シロタエ、やめてくれよ。俺のためなんかで人を殺すのをやめてくれ」

「あなが負い目を感じる必要はないの。番人なんてものが無ければいい話なのよ。私たちに犠牲を押し付ける人たちに、身代わりに死んでくれってお願いされたら進んで死ぬの? あなたが死んでも知らずにのうのうと生きていく人たちのために死んでもいいの? 他のやり方があるかもって探すのは間違い?」

「間違いじゃない、でもだれかが代わりに死んでもいいとは思えない! 死ぬのが自分じゃなきゃいいとは思えない!」

「結果的に犠牲を出してしまっていることは認めるわ。でも、そうしたいとは思ってない。邪魔したり排除しようとしたりするからよ。正当防衛なの。そのための多少の犠牲は仕方ない」

「仕方なくねえよ! 自分だけ生き残って、いい気分なんかでいられるか! 死んだほうがマシだ!」

 ランスは、借りてきた刀を抜いて自分の首に向けた。

「お前が人殺しをやめるって誓わなきゃ、俺は今ここで死んでやる」

 シロタエが目を瞠る。リアナはレイピアを掲げたまま二人を交互に見ている。

「なに言ってるの。バカはやめて。どうしてあなたが死なないといけないの?」

「俺のためにどれだけの人が殺されてきたのか言ってみろよ。レベッカの親父さんもなんだろ? 一番いい始末は、俺がお前を殺して俺も死ぬことだ。そうだろ」

 シロタエが唇を噛むと、彼女を覆っていた氷が、突如として地面から湧き出した木々の枝に割られて砕け散った。シロタエは氷から抜け出すと、ランスの手から刀を払い落とした。

「駄目よ……あなたは死なせない!」

 木の枝がリアナの腕を貫き、鮮血がほとばしる。彼女は腕を抑えてうずくまった。

「私を殺したらあなたは鮫になってしまう! あなたは番人になってはいけないの! 絶対に! 私達の邪魔をする人間なんて、みんな必要ないの!」

 シロタエは半狂乱で叫んだ。

 ときどき話しかけてきたのは、寂しかったからだろうか。

 ひとりきりで生きてきて、ようやく居場所を見つけたと思ったら、身体も失ったうえにこんなに淋しい場所に居なくてはならなかったからだろうか。

 彼女は自分に依存していたのかもしれない。生きる理由が欲しかったのかもしれない。

「なあ、アズサ。もうやめてくれ。誰も傷つけないでくれよ」

「だったら約束して。番人にならないって。私が守れなくなっても、絶対に。グレンはここにいる、から……」

 ランスに手を伸ばしかけた彼女の動きが、不意に止まった。

 たぶん艦長が、隙を狙って湖を氷で閉じ込めたのだろう。

 こちらに向けられた赤い瞳、開いた唇。

 いつも年齢に似合わず冷静で論理的で、でも笑うと、あどけなさが残った顔に優しさが広がる。

 まるで慈愛に満ちた聖女像のように手を広げた姿で、今にも泣き出しそうな表情で。

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