2(4)
「百発百中のスナイパーでも、意中の人の心を射るまでは随分時間がかかったみたいでね」
ブレンは拗ねたのか、無言だ。
「そうなんですか。ん?」
ランスは配られたスケジュール表の端に、小さく走り書きされているのを見つけた。
『今日のミルヒはよく食べた』
「何ですか、これ」
ブレンはランスの手から表を引ったくった。
「おい艦長、わざとだろ」
「何が?」
「俺宛のスケジュールを全体に回しやがっ……回したな?」
「あれ、本当だ。間違えたな、はは」
「はは、じゃねえ! このヤロ……この性悪が!」
「何なんですか、この牛乳って?」
「そうだな、強いて言えば、イッヒ・リーベ・ディッヒ(愛してる)って意味だよ」
「ちげーよ、くそ!」
「あー、刷り直ししないと。経費を無駄遣いしちゃったなあ」
艦長は楽しそうに立ち上がると、机の端にある感熱式印刷機に向かった。操作方法がいまいち分かっていないらしく、立て続けにエラー音が鳴る。
「二人揃ってると喧嘩ばかりでうるさいし、片方だけだと今みたいに調子を狂わせるから、ちょっとお灸を据えようと思っただけさ」
ランスは走り書きの主がアストラだと察して口を噤んだ。文章の意味は全く分からないが、合言葉かもしれない。
「てめえ、覚えてやが……覚えてろよ」
「ご存知の通り、僕はあんまり記憶力が良くないんだ。覚えてたらラッキーだね」
「嘘つけ」
ようやく印刷機が動き出した。
「おっ動いた。はい、修正版」
「もうおせーんだよ、クソが!」
艦長は左手を腰に当てて、ブレンに人差し指を突きつけると、アストラの真似をした。
「ちょっと、ブレン。口のきき方がなってないって、何度言ったらわかるの?」
ランスはうっかり笑いそうになって歯を食いしばって堪えた。ブレンは扉を蹴破りそうな勢いで出て行った。艦長は呑気に笑った。
「お、今回はやり過ぎたかな? まあいっか。君、真似はするなよ」
ランスは自室に戻る途中でレベッカに捕まり、あの走り書きが何なのか分かったかと聞かれた。ランスが、アストラからブレンへのメッセージらしいが意味は分からないと答えると、レベッカは「ミルヒはブレンさんが飼ってる猫よ」と教えてくれた。
「半年ぐらい前に支部局に迷い込んだの。みんなで可愛がってたんだけど、さすがにずっと飼うのは難しいからって、一番懐かれてたブレンさんが飼うことになったの」
しかし、アストラはそのことが不満だったらしい。
「アストラさんも、よく餌をあげてたから。その時は、ふふ、アストラさん、可愛かったのよね」
「どう可愛いんだ?」
「一人でアテレコ会話してたわ。今日のゴハンは美味しいにゃ〜とか」
ランスには、いつもクールなアストラが、そんなことを言っている姿が想像できなかった。
「で、ブレンさんが船に乗ってる間はアストラさんが世話してるってことか?」
「そうよ。同棲してるみたい」
「それで艦長がからかってたのか。ブレンさん、めっちゃ怒ってた」
「みんな知ってるもの」
それからレベッカは、ランスの腕を引っ張った。そして、機械人形を解体中のモニカと話し込んでいるアーノルドのところまで行くと、気になったのですが、と切り出した。
「あのスケジュール、アストラさんがいないときは、いつも隊長が印刷してませんでしたっけ」
「そうだが?」
「間違えて違うページを印刷されてましたよ」
アーノルドは一瞬押し黙った。
「間違い?」
「ブレンさん宛のものでした。もしや、何か個人的な恨みが……」
「恨み? 確かにブレンとアストラの痴話喧嘩には辟易しているが、間違いには気付かなかった。で、差し替えてくれたのか?」
レベッカはモニカと顔を見合わせた。
「艦長が正しいものを配っているところみたいです。でも艦長と隊長って、たまにこういう悪ノリしますよね」
「何の話だ」
モニカは小声で二人に囁いた。
「たぶんアーノルドが間違えて出したけど、艦長がGOサインを出したんでしょう。これはウソをついてる顔です。犯人はアーノルドです」
ランスは頭の後ろで手を組んだ。
「俺さ、すげー落ち込んでたんだけど、ここの人って何でこんな時でもふざけてられるんだ? いまだに慣れねえよ」
三人は顔を見合わせてから真面目な顔でランスのほうを見た。
「そう言うランスも大概じゃない? まあ、艦長のせいだと思うわ」
「うーん、こうでもしないと、みんなやってられないんじゃないでしょうか?」
「適度な緊張は必要だが、過度な緊張状態が続くと身体・精神上悪影響を来す」
「あー、うん、分かった。そういうことね」
参考文献:旧約聖書 詩篇5:8から5:10
http://bible.salterrae.net/meiji/xml/
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