1(2)

 それから小一時間ほど、二人は緩やかな斜面を選んで雪山を下った。アーノルドは一面が雪に覆われていても普段通り、まるでそのへんの道を歩いているかのように器用に歩いている。一方ランスは、雪山用の靴を履いてはいるものの、時折足を取られそうになっている。

 不意にアーノルドが足を止めた。

「まだ追っ手がいる」

「何人?」

「三、多くて四。尾行されている」

「アーノルドなら大丈夫だろ?」

「俺は大丈夫だが、この足場ではお前の身の安全が保障できん。どこか隠れる場所さえあれば」

 彼は突然ランスを突き飛ばした。

「うぎゃっ!」

「そこで伏せていろ」

 アーノルドは躊躇ちゅうちょなく大型拳銃の引き金を引いた。耳をつんざく轟音が雪山に反響する。ランスは指で耳に栓をしつつ、冷たい雪の上で丸まった。

「その刀だけは死んでも手放すな」

「こんなとこで凍死したくないし手放さねーよ!」

「なら、もう少し頭を下げて静かにしろ」

 彼は素早く弾倉を交換し、木の陰に隠れながら銃撃戦を続けた。流れ弾がランスの近くにある木に命中し、太い枝がまるごと吹っ飛ぶ。

「ぎゃっ!」

「走れ」

「いきなりかい!」

「尻に穴を開けられたくなければ最高速度で走れ」

「嫌だあああ」

「最高速度で黙って走れ」

 アーノルドのモットーは最小限の資源で敵を追い払うことだ。したがって、必要以上に命を奪うことはしないし、逃げることも立派な戦略のうちである。ということを、ランスはこの一ヶ月と少しの間に学んだ。走れと言われればうまく逃げられる状況であるということで、たとえ弾丸が飛んできていても走らなければならない。

「はあはあ、俺、あんまり長距離を走るのは得意じゃねえ」

「刀が重いことは理解している。つらくなったら貸せ」

 無愛想でありながら、その言葉の内容は決して冷たくはない。ランスがそのことを感謝のつもりで伝えても、彼は「何のことだ?」と首を傾げるだけだが。

「うん、まあ、もうちょいなら、いける」

「黙っていたほうがエネルギー消費量は少ない」

「そうかなあ!?」

 そう言いつつも、ランスはとりあえず走った。

 故郷を追われたあの日からずっと、走ってばかりだ。こうやって、銃弾を浴びせられつつ、いつ終わるとも知れない死の恐怖が鈍くなって、いい加減当てたらどうなんだと立ち止まって振り返って叫んでやりたくなる。

 けれど、それはしない。しないとあの日、約束したからだ――ランスは、首から下げた銀の十字架をぎゅっと握りしめた。


 結局雪山では、足場が悪いなか空腹を抑えつつ火事場の馬鹿力で走り続ける羽目になり、ランスは今にも死にそうな顔で人気が少ない鉄道駅のホームの椅子に座り込んだ。

「死ぬ……」

 なんとか時間通りに麓に降りてここまで辿りついたものの、鉄道駅から飛行場のある南部支部局までは、そこそこの距離がある。ひとまず鉄道での移動中は疲れた体を休めたい。が、何よりもまず腹ごなしだ。

「腹が減ったくらいで死なん。あと三分で列車が来る」

 楽器ケースを背負って立ったまま、アーノルドは線路の向こう側を見つめた。そのケースの中に入っているのはライフルやら何やら銃火器のたぐいで、彼はそれらを使ってたった一人で追っ手を殲滅した。が、彼はそのことをおごるでもなく、ただ仕事だからこなしていると言いたげな顔で、稼働に必要だという液体を補給している。

「あー、そう。俺が餓死したら、そのときはよろしく」

 山の中腹あたりで見つけた、今にも解体しそうな小屋にあった古ぼけたソリで一気に駆け下りることができなければ、ランスはアーノルドに置き去りにされて凍死体になっていたかもしれない。もちろん彼はそんなことをしないが、感情のない機械人形であるアーノルドなら、もしランスが本当に役立たずの足手纏いだと判断した場合、置き去りにしかねない。いちおうは役に立つから助けてくれているのだ。ランスは、そう思うようにしている。

「俺、次に巡礼するのはブレンさんかレベッカか、ステンさんがいい。アーノルドはスパルタだからなー」

「俺が行けない場合はそうしているが、人員・費用・時間、全てにおいて俺を使ったほうが効率がいい」

 何を言ってもこの調子だ。彼は戦闘ではおそろしく頼りになるものの、言葉はつねに論理的であり、歯に衣着せるということを一切しない。

 帝国が誇る技術を投入した機械人間らしいのだが、その実、ランスを襲ってくる敵が昔放置していった機械人間を改造しているだけだという噂だ。いつか寝首を掻かれるのではないかとランスはひやひやしているのだが、二人の上司である『艦長』は呑気で、彼に全幅の信頼を置いている。

 そうこうしているうちに、足元から振動が伝わってくる。そして黒煙を上げつつ汽笛を響かせながら、寂れたホームに滑りこんでくる黒い機関車を認めたランスは、急に生気を取り戻して立ち上がった。

「すげええええええ! 初めて見た!」

「観光都市行きだからな。こうでもして旅客を囲い込もうとしているんだろう」

「まじか! ラッキー! 乗れる日が来るとは思ってなかった! でも時間は大丈夫なのか」

「まあ、問題はない」

 これから二人が目指す帝国南一栄える街、バイエルン州ミュンヘンは観光都市としても有名だ。また、街の中央にはランスとアーノルドが所属している帝国空軍の南部国境支部局から最も近い、陸軍の南部支部局がある。

 本や博物館でしか見ることができなかったS3/6型蒸気機関車に興奮し、嬉々として乗り込もうとするランスの首根っこをアーノルドが掴んだ。

「追っ手を避ける。貨物車に乗るぞ」

「そんな! じゃあ食堂車のマズいメシは?」

「食べたいのか食べたくないのか、どっちだ」

「腹が減ったら何でもいいんだよ!」

 アーノルドはランスをホームの端まで追い立て、扉に押し込んだ。

「食べたいのなら、好きにしろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る