Fragment:1 帝国・南部国境支部局

WCC1. フライアー/雪山登山

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 白桜年代記ここに始まる


 日と夜を司る神が手を取り合う早春の満月の夜、

 十二宮の守人が一堂に会するその夜、

 固く閉じられた蕾は芽吹き、

 白い小さな花々は雪の如く愛らしい花弁を降らせる

 それはやさしい西風に乗ってやがて遠く離れた海を越え、

 疲れきった旅人の頰を撫で、

 藺草いぐさの寝床で微睡まどろむ春の女神のまぶたに触れ、

 草花の生えぬ地に慈雨をもたらすよう囁きかけるという



 十二月に入り、聖十字帝国南部は記録的な寒気で吹雪に見舞われていた。

 その十二月中でも特に冷え込むと言われた日、猛吹雪の中、フードを被った全身黒ずくめの男二人が雪山を駆け上っていた。前を走る金髪の男は既に息が上がっている。後ろの黒髪の男は背後を振り返りつつ走り、サイレンサー付きの拳銃の引き金を三度引いた。少し離れたところでくぐもった悲鳴と、雪に倒れこむ音が聞こえる。

「なあ、けたか?」

「今のところはな」

「黒じゃなくて陸軍の白い服を借りれば目立たなかったのに!」

「立ち寄る時間がなかった。仕方ない」

 背後の男、アーノルド……正式名称A-RN01は銀色に輝く拳銃の弾倉を交換しつつ背後の様子を伺った。

「これで何箇所だっけ、七?」

 二人がようやく辿り着いた、フライアー――托鉢僧の像は、ほぼ実寸大だが、馬に乗っているぶん、二人よりも大きい。雪でほとんど覆われていて、顔はよく見えない。もっとも見えたとしても、一千年も前に作られたという石像の多くは苔むしていたり、ひび割れていたり、酸性雨で溶けていたりして、原型を留めてはいない。

「一ヶ月ちょいでコレだろ? 春分の日まで、あと三ヶ月で二十九個も消せるかねえ」

「ランス・スプリングフィールド、早く仕事を済ませろ」

 前を走っていた男は、まだ成人していない少年だ。彼は後ろの男の言葉に頷き、背負っていた荷を急いで解いた。それは鞘も刀身も黒光りする東洋の刀だ。体格の良い成人男性でも振るうにはかなり重い代物だが、故郷で同居人にさんざん鍛え上げられてきたランスにとっては、それほどつらいものではない。だが、寒さで手がかじかんでいる。

『ランス、さあ、行くわよ』

 少年の頭の中に少女の声が響く。そして傷ひとつない刀身には、彼女――東洋風の衣装を纏った黒髪の東洋人の少女の顔が、かすかに映り込んでいる。

「シロタエ、頼むぜ」

 ランスは両手で刀を構え、大上段から振り下ろした。何の手応えもなく、古びた石像は小さな白い花びらを舞い散らせながら虚空に霧散していく。降りしきる雪と相まって、ほんの一瞬だけ幻想的な光景が広がった。

 こんな非現実的な光景を目にした者は、自分は気が触れてしまったと思うか、あるいは、今はもうこの国では使うことのできない魔法の力を秘めた如何いかがわしい武器を隣の魔法大国から密輸入している者がいると、軍に通報するかもしれない。

 が、少年と男は至って当たり前のように、この超自然現象を受け入れている。

『お疲れさま。といっても、これくらいで疲れたりしないわね』

「まあな。それよりさ、あーくそ、めっちゃ腹減った!」

 少年は感傷に浸ることもなく情けない声で呻く。その背後で追っ手を警戒していた男は、表情を全く変えないまま返答した。

「我慢しろ。前回の食事からまだ三時間しか経っていない」

「俺は育ち盛りなんだよ!」

「携帯食料は必要な栄養素を計算した上で補給されている」

「ああはいはい、そうかい。何であんたんとこの部隊はあんなにケチなんだ」

「空軍は燃料費がかさむからな」

「じゃなくて、あんたが弾を無駄にするからじゃないのか」

「俺は一発たりとも無駄にしていない。まあ、射撃場で弾を浪費している人間がいることは否定しないが、あれは自衛上必要だ」

 少年はグウとお腹を鳴らしつつ寒さに震えつつ、地団駄を踏んだ。

「それで、いつ迎えに来てくれんだよ、ゼイラギエン号は」

「何を言っている。あれが飛行場以外に着陸できるわけがない。今夜八時に南部支部局の飛行場を借りて補給する予定だ。そこまでは自力で戻れとのことだ」

「はあ!? あと六時間でどうやってそこまで行くんだよ! ここまで何時間かかったと思ってんだ!」

「さっさと鉄道に乗れば間に合う。万一の最終手段は、それだな」

 の瞳が、少年が手にしている『白桜刀』を捉えた。すぐさまシロタエが抗議した。

『馬鹿言わないで。私は移動手段じゃないって言ったわよね。それに人間以外を解体せずに空間移動させられる保証もないわ』

「ダメだってさ、アーノルド。つーか、やることは切腹みたいなもんだし、あんまやりたくねえよ」

「なら、昼食は抜きで戻るぞ。次の追っ手が来る前に下りたほうがいい」

「そ、そんなあ。死ぬ」

「それくらいで死なん。鉄道で食べろ。足りないというなら車内に食堂車がある」

「どうせ自腹だろ。しかも不味いってステンさんが言ってた」

「つべこべ言うな、行くぞ」

 少年は、この世の終わりとでも言いたげな情けない顔で、ずんずん先を歩いていく男の背を追った。

「いいよなあ! 腹が減らない機械人形アンドロイドは!」

 前方から帰ってきた返事は、ひどく素っ気なかった。

「黙って歩け」

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