およそ4分の話

@seizansou

およそ4分の話

「一年の365分の1は?」

 机に向かっていた彼が、また面倒なことを口にする。

「一日でしょ?」

「その答えは厳密ではないな。うるう年が存在することを忘れてはいけない。まずは即答を避け、私の問いにおける前提を確認することが必要だ」

「はいそうですか」

 キッチンでマグカップに粉末の緑茶を入れながら、私はうんざりしつつも応えてあげた。なんて優しい人間なんでしょう。

 トポトポとお湯を注ぐ。嗅ぎ慣れた匂いがほのかに漂う。

「君は本当に緑茶が好きだねえ。今何時だと思っている。そんなに飲んだら眠れなくなるぞ」

 彼の所にまで匂いが届いたのだろうか。こちらに顔を向けないまま、小言を投げてくる。

「緑茶は温かくて気持が落ち着く。よって眠くなる、はい証明終了」

「もう少しユーモアのセンスを磨いたらどうかな?」

「うるさい。できるならやっとるわ」

 鼻で笑う音が聞こえた。かまってやるものか。私は仕事から帰ってきて疲れ果てているのだ。飲みものくらい好きに飲ませて欲しい。

 私はマグカップの中身をこぼさないように慎重にソファに腰掛けた。

 マグカップの緑茶を味わって一息ついていると、いつもの如くまた奴が声をかけてきた。

「数学者曰わく、『数学者はコーヒーを定理に買える装置』だそうだ。私は数学者ほど数式に対して狂気じみた愛情を抱いているわけではないが、それでも数式を扱う人間ではある。そこでどうだろう、私にコーヒーを一杯いれてくれはしないだろうか? パトロン殿」

 パトロン殿。最近わかってきたが、こういうときは本人としては一応丁寧に頼もうと配慮している、ようだ。ただ問題がある。その配慮が一切私に響いてこない、というところだ。

「コーヒーだって眠れなくなるんじゃないの?」

「眠いから頼んでいるんだよ」

 彼の方に目をやるが、カリカリと何かを紙に書き続ける音が聞こえてくる。さっき家に帰ってきたときと特に変わった様子は見られない。

「別にそこまで根を詰めなくてもいいんだよ?」

「うん? 発言の意図をはかりかねるな」

 彼は作業を続けながら答える。今はどうやらノートパソコンを弄っているようだ。タイピングの音がした後、ノートパソコンのファンの音が大きくなった。

「いやほら、私のお願いって所もあるでしょ、今やってるその研究。それにそもそも本当にそんなことが実現出来るかどうかなんて――」

「はっはははははははは! ……いや失礼、パトロン殿。確かに養ってもらう名目として、君のお願いを聞く、という形をとってはいるが、そもそもこれは私が成就させたい、いやさせる行いなのだ。確かに端から見れば、今のこの行いは研究と呼ばれてしまう段階なのかも知れない。だが、私は必ず成し遂げる。故にこれは研究ではない。成就に至るただの過程でしかないんだよ」

 研究と呼ぼうがどうしようが、どうでもいいんじゃないの? とは口には出さなかった。ただただ面倒な話を聞かされるだけだからだ。こういうのもバッドノウハウというんだろうか。

「でも本当に出来るの? 死んだお姉ちゃんを再現するだなんて」

「出来るようにするのだ。そしてその目処は既に立っている」

「へえ、いつごろ?」

「もうすぐだ」

「具体的には?」

「出来た」

 そういって彼は椅子の背もたれに体を預け、一つ息を吐いた。

 は?

「どうした? てっきりもっと喜ぶものかと思っていたが」

 頭が追いつかない。てっきり数ヶ月、へたをすれば何年もかかるものだと思っていた。

 それが今?

 机に座る彼の前には、乱雑に散らばった紙と、薄型のノートパソコン一台があるだけだ。

 彼は死んだ姉を再現させるといった。

 どこに姉が再現されているというのだろうか。

「え、だって、え? どこに?」

「ここだよ」

 そういって彼は華奢なノートパソコンを手に取ってこちらに向けた。

「そうか、これではわかりにくいのか。こうした方がいいか」

 彼がノートパソコンを弄ると、画面一杯に、生前に撮った姉の写真が表示された。懐かしい笑顔だった。

「え? 写真のこと?」

「いやいや、これは単に視覚的に分かりやすくするためだけのものだ。さあパトロン殿、どうぞこちらへ」

 椅子の背もたれに体重を預けただらしない姿勢のまま、彼は私に手招きをした。

 私はマグカップをローテーブルに置き、言われるがままに彼の元、彼の持つノートパソコンの元へと歩いて行く。

「いやあ、まさにパトロン殿様々だ。こんな研究は公には出来るものではないからね。知っているかな? 人間の脳というのは超並列処理を行っているのだ。そこで私は君のお姉さんを再現するにあたって、世界中に散在するあらゆる計算機器の計算リソースを活用することにした。まあ、悪くいえば世界中から計算リソースを盗んだ、ということになる。いや、盗んでいる、か。今まさに、世界中から計算リソースを盗んで、お姉さんの人格を再現している。このノートパソコンは言ってみればただのインターフェースだな。君の声はマイクを通して、君の顔はカメラを通してお姉さんに届く。さあ、パトロン殿。今まで養ってくれていた成果がここにある。なんでもいい、話しかけてみなさい」

 呆けている私の隣で、得意げに彼が何か説明をしていたようだったが、あまり頭に入っては来なかった。ただ、最後の方はわかった。だから、恐る恐る息を吸い込み、口を開いた。

「お、お姉ちゃん?」

 なんとなく、自分は間抜けな事をしているんじゃないだろうか、という気分に襲われた。

「どうしたのそんな顔して。あんたがそんな顔するなんて何があったの」

 合成音声ではあるが、確かに姉の声がスピーカーから発せられた。

 機械的で、ぶつ切りなのに。なぜだろうか、声の強弱なのか、抑揚なのか、その声は確かに姉の声だった。不安がる私を気遣って、明るく声をかけてくれる姉の声だった。

「あれ? 亮一もいるの? どうしたの二人揃って。なにしてるの?」

「あ! えっと、あの」

「ああ、私の方から説明しよう」

 そういって、亮一と呼ばれた彼はこれまでのことを滔々と説明していった。その説明の中には、姉が故人であること、今の姉は再現された存在であることが含まれていた。

「うーん、なるほど……? つまり今の私は脳みそだけがビーカーにぷかぷか浮かんでいるようなものなのかな?」

「君のイメージするものと私がイメージするものがどの程度一致しているかは定かではないが、まあそのイメージはある程度類似しているのかもしれないね」

「ふーん。あー、そういえば体の感覚が無いや。またすごいことするね、流石亮一」

「はっははははははは! そうだろうそうだろう! やはり君の物事の解釈における柔軟性は非常に素晴らしい! それでこそだ」

 彼は満足そうに笑っている。

「さあパトロン殿、速くお姉さんと話すのだ。ほら急ぐのだ」

 彼は椅子から立ち上がり、私を椅子に座らせた。そして私と向かい合うようにノートパソコンを優しく置いた。

「えっと……」

 なにから、なにを話せばいいのか。

 もしまた姉に会えたら、あれを話そう、これを話そうと色々準備してきていたはずだった。

 でもいざその場面になるとそれらが一片に出てこようとして、でもそんなことは出来ないから、口を開いても言葉が出てこない。

 ノートパソコンから、小さくて優しい笑い声がした。

「なんか、悲しませちゃってごめんね。まあでも、あんたがちゃんと生きてて、私は嬉しいよ」

 急に涙があふれた。

 その言葉の何が私の琴線に触れたのかわからない。

 ただ涙がぼろぼろと頬を伝った。

 そして私の口から止めどなく言葉があふれ出した。


 ――


 まだだ。まだ話すことが、伝えたいことがある。

 そんなとき、姉が急に言った。

「ごめん、なんだか頭にもやがかかったみたいな、なんかぼうっとする」

「まあ限界か。急げ、パトロン殿。言うべき事は今のうちに言っておきなさい」

 彼が私の肩に手を置いた。

「え? え? どういうこと」

「後で話す。とにかく話せるのはあと十数秒だ。後悔のないように伝えた方がいい」

 彼は早口でまくしたてる。

「え、あ……」

 急なことで私は焦って言葉に詰まる。

「焦らないで。落ち着いて」

 姉が優しい声音で声をかけてくれる。

 頭の中の整理はついていないけれど、口からは言葉が出てきた。

「えっと、お姉ちゃん、ありがとう。私のお姉ちゃんでいてくれて、本当にありがとう」

 咄嗟に出たのは、何のひねりも無い、ただの感謝の言葉だった。

「あんたもね。私の妹でいてくれて、本当に楽しくて、幸せだったよ」

 最後の姉の言葉は、声の強弱がバラバラで、抑揚もめちゃくちゃだった。

「お姉ちゃん……?」

 それきり、ノートパソコンから姉の声が聞こえてくることは無かった。

 肩をぽんぽんと叩かれた。振り返ると彼が顔をしかめていた。

「悔しいが、これが今の私の限界だ」

「それってどういう……?」

「言ったろう、世界中の計算機のリソースを使っていると。何度も試算したんだが、今日この日、この時間帯でしか、彼女の再現が成功できるチャンスはなかったのだ。世界情勢やら経済状況やらセキュリティの動向やら。様々な要因が影響してくる。今日を逃したら次はいつになるかわからない。今の再現で、きっと私のプログラムがあちこちで消去されたり、対策されたりするだろう。正直、今の手法以外で再現するためのアイディアが今の私には無い」

「じゃあもう姉には会えないの?」

「どうだろう。技術のブレイクスルーというのは、いつ、どこで、どのようにおきるのか、少なくとも私には予想することは出来ない。それは明日、どこかのベンチャー企業が発表するかもしれないし、長い時を経てどこかの大学が発見するのかもしれない。私が生きているうちに、私の手によって実現出来るのかもしれない。それはわからない」

 顔をしかめながら彼が言葉をひねり出していた。

 そこで私はふと思い至った。私ばかりが姉と話をしていて、彼はほとんど言葉を交わしていなかったことに。

「あなたは、亮一さんは姉と話さなくて良かったの?」

 彼は、私には見せたことの無い表情をしながら言った。

「なに、彼女から、君との姉妹仲についてはよく聞かされていてね。二人が楽しそうに会話をしているのを見るのが、私の一つの目的だったんだよ」

 彼のその笑顔は、きっと姉に対して、かつて向けられていたものだったのだろう。

 そしてふと、彼が時計に目をやった。

「0時6分か。とすると、大体4分だったのかな、彼女と話が出来たのは。4分? ……おお……はっははははははは」

 快活とは言いがたく、力がこもっていない、けれど少しだけ面白い物を見つけた、そんな笑い声だった。

「急にどうしたの……?」

「パトロン殿……いや、義妹殿。一日の365分の1は何分かな?」

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