(3)

 そうこうするうちに、階段の方から複数の足音と話し声が響いてきた。

「だから前を見て歩きなさいって」

「いや、歩いてんだろ。お前の歩き方が悪いんだよ」

「先に謝りなさいよ」

「君たち、ちょっとは静かにできないのか?」

 涼しいチャイムの音が鳴り、魔女の格好をしたアストラと、ドラキュラらしい姿のブレン、そして子どもの落書きのような目と口が描かれた、白い布をすっぽりかぶった人物が現れた。

 ルピナスが顔を輝かせる。

「ルメリ! ようこそ! お二人とも乗ってくださったんですね! とっても素敵な仮装、ありがとうございます。それでその……オバケちゃんは艦長さんですか?」

「オバケちゃんは艦長です」

 ブレンが可笑おかしそうに答えた。オバケ姿の人物は、床に布を脱ぎ捨てると、叩き起こされて連行された挙句、シーツまでダメにされたと文句を垂れた。さすがに洗顔と髭剃りくらいはしているようだが、どう見ても仕事帰りのシャツとズボンのままだ。

「シーツにはアストラがリネン用のスプレーをかけまくったから、汚い艦長でも大丈夫だぜ」

「道理で変な匂いがすると思った」

「変? ブランド物なんですよ!」

 アストラがくびれた腰に手を当てて、寝癖も顔色もひどい艦長に詰め寄る。襟ぐりが深いセクシーな衣装だが、彼はあまり興味がなさそうな顔で、突きつけられた指先を見つめた。

「そんな格好で万一リアナさんに鉢合わせしたらまずいから、オバケちゃんにして差し上げたんです」

「帰る」

 きびすを返しかけた彼を、ブレンが明らかに偽物の牙を覗かせながら通せんぼした。

「まあまあ、マスターが招待してくれた上に部下も集まってるんですよ?」

「そうですよ! いいんですか? ベルガエのショコラ、帝国では手に入らないでしょう」

 ルピナスが声をかけると、艦長は諦めたかのように「チョコレートで釣られるなんて……」と呟きながら部屋の隅に座り込んだ。アストラは狭い店内を見回した。

「みんな来るのが早いわね。でもこれじゃ、うちの打ち上げみたいだわ」

「いえいえ、船員の皆様にはいつもお世話になっております」

 ルピナスは改まって丁寧にお辞儀した。フランツは三度目の反応を見るのが面倒で、できるだけ気配を消そうとしたが、あっさりとアストラに目をつけられてしまった。

「そ、その格好、まさか」

「すげえ……」

 マスターいわく『素直じゃない』二人組は、笑いを通り越して呆気にとられた顔でフランツを見た。

「マスターに無理やり着せられました。俺なんかより、お二人の方が似合っていらっしゃいます」

「なんだか負けた気がするわ」

 アストラは、撮っていい? と言ってカメラと呼ばれる小さな箱を取り出した。どうやらそれは、絵画のように見えるものを一瞬で切り取ることができる装置らしい。その噂は王国でも耳にしたことがあった。黒い箱はカシャリという音ともに一瞬だけ発光した。

「さあフランシス、先日教えた通りに出してくださいね」

 ルピナスは椅子を運びながら楽しそうに言う。

「あとはシャロンさんだけですね。今日の主役です」

「確か金曜によく来てる子よね? 船員だらけで悪いわね」

「いえ、大丈夫です。ほら、艦長さん、主役のためにもちゃんとしなきゃ」

「え? 今日? 聞いてない。参ったな……」

「忘れたとは言わせませんよ」

 フランツは二人の会話を耳にして、内心首を傾げた。シャロンと彼は知り合いということか? どうやらアストラも同じ疑問を抱いたらしい。

「何? 艦長とあの子、知り合いなんですか?」

「ええ、そのようですね」

「おいおい、どういう関係なんだ? まさか隠し子か?」

「馬鹿言うな。めいだ。六、七年会ってない」

「シャロンさんには艦長さんのことを伝えていないので、サプライズですよ!」

 ルピナスはフランツが作ったカクテルを確認すると、GOサインを出した。

「でも、来るのはもうちょっと遅めになるそうです。先にお菓子を配りますね。王国のお土産です」

 色とりどりの包装で包まれたチョコレートやキャンディは、オレンジ色のかぼちゃ型の照明に彩られ、宝石のように輝いている。マスターは、フランツの分は別に取ってあると教えてくれた。

「ベルガエに行ってきたんですか?」

 モニカが子どものように瞳をキラキラさせながら尋ねる。王国と帝国はこの百年近くずっと国交断絶したままだ。当然、貿易などもストップしている。闇市場に流れていないかといえば、否定はできないが。

「はい。先月ちょっとした用事ついでに。毎度のことながら、旅行で行こうとすると、ものすごく審査が厳しいし手続きも面倒でしたが」

「そうなんだ。いいなあ。行ってみたいなあ」

 帝国の船員たちは羨ましそうに言う。美しい歴史的建造物が残る街並み、青い内海に降り注ぐ太陽の光、暖かい気候に美味しい食事……それらを、彼らは紀行本でしか知ることができない。勿論、それは王国の一部のイメージであって、フランツの故郷の北方などは風雪厳しい片田舎だ。だが、国土の多くが長く厳しい冬に包まれるという帝国の人にとって、豊かな王国は楽園に思えるのだろう。

「いつか行けるようになるといいですね」

「そうね。これ、すごく美味しいわ。高かったんじゃない?」

 ステンが幸せそうにお捻りのチョコを食べる。

「このお酒とチョコのために仕事を頑張ろうかしら」

 ブレンが頷く。

「ま、俺らの仕事は少なからず関係してるしな」

「そうね。艦長、もっと頑張って〜」

「期待してますよ。やればできると思いますねえ」

「ワインとチョコは女と違って変わらないし裏切らねーぜ」

「遊んでいないで真面目にやれば上手くいきます」

「アストラの言う通りだ」

「げ、元気出してください」

 隅の方で体育座りしていた艦長は背中を向けた。

「適当なこと言って……」

「あらら、ねちゃったわ」

「しばらく放っておくのが一番よ」

 何となくだが、ここまでの会話から艦長が部下たちからどういう扱いを受けているのかが分かり、フランツは内心同情した。

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