632・湖の少女
とりあえずなんとか家の体裁を保っているものを一つ選んでそこで一晩明かすこととなった。中はやはり埃にまみれていたから威力を抑えた風の魔道で大体外に追い出した。後は水で流して風で乾かして……それを何度かして最低限寝泊まりが出来る程度の綺麗さを整えた。
「……これ、野宿するのと何か違いがあるのですか?」
その疑問に答えられる者は疲れたのか今は毛布を下敷きにして眠っている。よほど疲れたのだろう。脂汗を滲ませて苦し気に息を吐きだしている。【化身解放】を使用するのに随分力を使ったのだろう。消耗している人を無理やり起こすなんてダークエルフ族も真っ青なやりかただ。
「違いねぇ……掃除する分こっちの方が面倒くさいとかか」
「それ尚更野宿の方がいいじゃないですか」
うんざりした顔で綺麗に拭いた椅子に腰を下ろしたジュールは深いため息を吐いた。勇んで西に行ったのに実際にやっているのは最早誰も住んでいない都の奥で見つけたおんぼろ家の掃除なんだもの。そんなため息を吐く気持ちもわかる。
「エールティア様、お身体が汚れているでしょうからどこかで清めてきてはどうでしょうか?」
「……そうね」
私も手伝わない訳にはいかなかったから身体も服も結構汚れている。着替えはあるけれど、このままなのはちょっと……と思っていたところだ。
「なら町から出た少し先に湖があったからそこで水浴びでもすればいい」
「……なんで知っているんですか?」
「ちょっと気分転換に散策に出た時にな。安全だって確保されている訳じゃねぇし」
面倒くさがりなヒューがそこに意識を向けてくれているなんて思ってもいなかった。だけど彼の情報はありがたい。この都は結構壊れててちらほらと木々が見えてどこからどこまでが町なのかわからない状態だ。誰が攻めてくるかもわからないし、水浴びが出来る場所を今から探すのだって面倒だった。
「それでは僕が御供します」
「あ、私も――」
「ジュールはクロイズを見ててもらっていい? 流石にあんな状態で放っておくわけにもいかないし、ヒューじゃそういうところは頼りにならないから」
微妙そうな顔をするヒューには悪いけれど、もう少し真面目に取り組んでくれていれば……ね。ジュールが若干恨めしそうに彼を睨みつけているけれど、諦めた様子で頷いてくれた。
――
三人を残してやってきた森の中にある湖。この都からそれほど離れていない場所にあって結構広い。身を清めるには十分だろう。なんて思っていると……。
「エールティア様、あそこに誰かいます」
「……そうみたいね」
やっぱり雪風も気付いていたみたいだ。湖の向かい側に誰かがいる。しかもこちらに気付いているようでじっと様子を窺っているのが伝わってくる。だけど戦うつもりはないみたいだ。殺気とかそういうのは一切感じられない。
「……どうしますか?」
「うーん」
敵対している訳ではないから無理して接触する必要もない。なんて思っていると、向こうの方からこちらに近づいてきた。しかも湖を歩いて。
「!?」
驚き具合に言葉を失った私達はこちらにやってきた少女をまじまじと眺めた。何故かこんな廃墟でメイド服。しかもふた昔は前のデザインだ。冷たい青色の髪と水色の目が印象的な女の子で、クラシカルな衣装はより冷たさを放っているようだった。唯一の救いは彼女の表情は珍しいものに驚いている……といった感じだからだ。柔らかそうな表情を浮かべている。
「珍しいですね。このような辺鄙な場所に人がいらっしゃるなんて」
にっこりと笑顔を見せてくれる彼女に雪風は警戒した様子で刀に手を掛けていた。気持ちはわかる。彼女の様子は普通だからこそ違和感が出てくる。このような何もない場所で平然と過ごしている……という事はこういう環境や旅人とのやり取りに慣れているという事。そして彼女のメイド服には一切汚れがない。しわもしっかり伸ばされていて相当に綺麗な仕上がりだ。生活しなれている感がすごい。
「……失礼ですが、貴女は一体」
「これは申し遅れました。私はアスル。とある館でメイドの仕事に務めております」
姿勢を正して頭を下げる彼女の所作は完璧と言えた。歪みが一つもないその美しさはジュールでは真似できないだろう。
「私はエールティア・リシュファス。こっちは護衛の雪風よ」
「雪風です」
もう一つ問い詰めようとしていた雪風を遮るように自己紹介を始める。それで彼女もようやく自分がしようとしたことを悟ったのかすっと姿勢を正して頭を下げた。
「ふふ、噂は聞いております。ティリアースの次期女王陛下にお会いできるとは至極光栄ですわ」
にっこりと微笑むアスル。何も気付いていないフリをしているけれど、私は見逃さなかった。
雪風がいつ刀を抜いても良いように観察していた事。そして背筋が冷える感覚。恐らく一度でも戦闘に入ったら迷わず雪風を殺すだろう。
清廉そうな彼女からは数々の戦場を生き抜いてきた者だけが纏う気迫があった。紛うことなき強者の姿だった。
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