600・お姫様、久しぶりの勝負
「な、なんでやめてしまうんですか! まだ――」
「まだ勝負はついていない? 馬鹿言うな。こんなもん戦いにすらなってないだろうが」
急に戦闘を止めて呼吸を整えているヒューにがーっと勢いよく噛みついてくるジュール。まあ、彼女からしたら納得出来ないのだろう。ヒューはまだ本気になっていない。出せる範囲で勝負はしているけれど、実力の全てを出し切った状態でもないのに戦いをやめてしまうヒューの気持ちが理解出来なかったのだ。
「……それでいいだろ。エールティア様?」
騒いでいるジュールを無視したヒューは私の方をじっと見ていた。
何が言いたいのか大体察した私は頷いて彼の行為を認める。
「……ええ。ご苦労様」
「ティア様、よろしいのですか?」
「もちろん。あれ以上を望むのは酷というものよ」
ある程度の実力を見せてあのようにあしらわれてしまっては彼も本気を出しての勝負なんて出来るはずがない。実力の全てを見せた上でなお圧倒されてしまえば心が折れてしまいかねないし、二度と自分に自信が持てなくなる可能性だってある。ならば適当なところで切り上げるのがベストだろう。元々勝てない戦いだったし、あんまり責めても仕方がない。
「もう満足なのか?」
「ああ。おかげさまでな」
クロイズの素朴な疑問にヒューは心底嫌そうな顔をしていた。それも当然だ。あれだけの事をしてほとんど無傷な上に気遣われるなんて屈辱もいいところだ。
それを悔しそうに見ているジュールはまるで自分が負けたかのようだった。
「ジュール。貴女もわかっているでしょう? ヒューの実力ではクロイズには勝てないって」
「……ですが」
頭の中ではわかっているけれど、感情がそれを許さない。ジュールの困惑する気持ちはよくわかる。
「それで……次は誰が戦う?」
ヒューとの戦いを終えてすっかり尻込みしてしまった雪風。明らかに勝てる相手ではない。それを悟らせるには十分な攻防だったからだ。それとクロイズに私達を殺す気がないのもやる気が削がれる原因なのだろう。
純粋に止める事が出来ない相手に無謀に挑みかかり敗北。そこまでならまだ良いけど、三人とも万が一何かあった時には私を護らなければならない。ヒューが疲れ、ジュールが挑みかからんとしている今の状況で雪風まで彼に挑んで倒れるのは避けないといけない。
……いや、私としてはあまり気にしなくてもいいんだけど、他の貴族とか周囲の反応とかを考えるとどうしてもね。結局主君を守らないでうんたらと言われるんだろうけど、それでも全滅するよりはずっとマシだと判断したのだろう。
「次は汝か?」
「……いいえ、私がやる」
雪風が戦わない事を確認したクロイズは血気盛んなジュールの方を見ていたけど、それを遮るように私が前に出る。
「ティア様!?」
「冷静になりなさい。貴女じゃ手も足も出ないでしょう。後は私に任せて」
「で、ですが……」
クロイズぐらいになるとジュールでは経験すら積むこともままならないだろう。少しでも彼女の糧になるのだったら任せても良かったんだけど、こればっかりは仕方ない。
「ジュール。お願い」
「……わ、わかりました。申し訳ございません」
結局ジュールは深く頭を下げて一歩下がった。気持ちは強いけれど実力が付いていかない。悔しい気持ちをしているのがわかる程下唇を噛み締めていた。少し悲しい気持ちになったけど、今はそんな暇はない。改めてクロイズに向き直ると、彼は満足するように私を見ている。
「ようやく、か。準備は良いか?」
「……ええ。だけど一つ言わせて欲しいの。あまり期待しないでちょうだい」
魔導の発動に詠唱を必要としない相手なんて初めて戦う。彼がどれだけの魔導を扱えるかわからないし、ヒューと戦っているのを見る限り近中遠バランスのいい戦い方が出来るはずだ。もしかしたら私よりもずっと――なんて気持ちが湧き上がってくるのは仕方がない。
「ふふ、いかんな。強者はもっと自分の力を信じなくては」
「そうね。でも過剰になってはいけない……違わない?」
「ならば仕方あるまい。先達として、先手は譲ろう」
頷きながらも自分が絶対的強者である事は揺るがないと言いたげに無防備に両手を広げていた。小馬鹿にされている気もするけど……まあいい。彼はそれほど自分の強さに自信があるみたいだから。ならば――
「【ルインミーティア】!!」
先手を譲ってもらった私の頭上から黒い空間が開き、隕石が降り注ぐ。かなりの速度で向かうそれらを恐れることなく私に向かって走ってくる。普通ならあれの対処から考えるだろうに。不吉な予感がして飛び退ると真っ直ぐ雷が落ちてきた。それと同時に何もない空間から黒い槍が出現する。ヒューとの戦いで結構見てきたけれど、彼は黒い槍が好きなようだ。落ち着いて良ければどうという事もないが、問題はその槍と同じ速度で迫ってくるクロイズ。黒竜人族でも中々でない速度だ。
「【プロトンサンダー】!!」
魔力を注ぎ込んでの一撃。それは彼ごと黒い槍を飲み込んで消し去っていく。魔導による光が収まったと同時に現れたのは――両手を交差させて防御の姿勢を取りながら突き進んでいたクロイズだった。
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