242・決戦の時迫る(イシェルタside)

 エスリーア公爵領・イルディルドの館。エスリーア公爵夫人――イシェルタは、一人優雅にワインを飲んでいた。

 高貴な香り。芳醇で深い味わい。そのどれもが鼻を、舌を楽しませる。到底庶民では成すことの出来ない贅沢を、彼女は堪能していた。……が、丁度その時、ノックの音が響き渡る。


「失礼いたします。イシェルタ様。件の商人がお目通り願いたいと……」

「入れなさい」


 淡々とした声で伝えたメイドは頭を下げ、部屋から出ていく。それからほどなくしてノックと共に姿を現したのは中央都市リティアでも出会った事のあるダークエルフ族の男だった。


「公爵夫人、本日はお日柄も良く――」

「無駄な話はよろしい。まず、要件を聞かせなさい」

「はい。今回はぜひ公爵夫人様に見ていただきたいものがありまして――」

「なら、早速見せてちょうだい。今はお互い、あまり無駄に時間を掛ける事はお互いの利益にならないでしょう?」

「……はい。その通りでございます」


 丁寧に頭を下げ、ゆっくりと腰を下ろすダークエルフ族の商人に、イシェルタは、内心あまり期待していなかった。

 シャラは最低限の仕事をしたが、それはあくまで負けた時の保険程度のものでしかなく、イシェルタの期待した働きはほとんどしなかった。むしろ尻拭いをさせられた事で評価をマイナスまで落としていた言っても良かった。


「わかっているでしょうけれど、これ以上私の期待に応えられないようだったら……」

「それは問題ありません。今回紹介する品は必ずご満足いただける物だと思いますよ」


 どうだか……とでも言いたげな表情でイシェルタはとりあえず続きを促す。一応聞くだけ聞く……といったところだ。


「今回は人材と兵器。更に薬を提供したいと思います」

「……薬?」

「ええ。薬ですよ。それも……とびきり強力なものを」


 にやりと笑った商人の言葉の裏を読み取ったイシェルタは、それがどんな薬か理解した。その瞬間、様々な策謀が駆け巡る。


「ふふっ、良いでしょう。後の二つは?」

「はい。かつて、世界を焼いた『極光の一閃』を小型化したもの。それと戦闘に特化した傭兵を数人程」


 その言葉を聞いた瞬間、イシェルタの目に期待がこもる。

 あらゆる種族を薙ぎ払ったと言われる古代兵器『極光の一閃』。それは初代魔王よりも更に昔――超古代の遺物。


 生物の命を魔力として変換して吸収し、放出させるそれは、正に絶大な威力を誇っていた。


「小型化した……という事は威力も下がっているのでしょうね」

「そうですね。手軽に戦争に用いる事が出来るよう、城にあるような大砲サイズまで落としています。しかし、生物の命を用いる必要はありません。それ専用の部隊を編成し、入れ替わり魔力を注げば運用出来ます」


 商人の熱の入った言葉にイシェルタの興味も増してゆく。


 曰く、一度放たれれば国の全てを焼き尽くす程の熱量を降り注がせる。

 曰く、どれだけ距離が遠くとも射程に収まる事が出来る、と。


(小型化しているのならば相当劣化しているでしょうね。だけどそれを補って余りあるほどの威力を見せてもらえるのならば……一考の価値はある)


 エールティアが孤立して、周囲に味方がいない状況を作り出しているイシェルタにとって、今後の事を考えたら必要なものだった。

 そう……仮にリシュファス家の派閥が抗議の声を上げたとしても、容易く封じられる圧倒的火力。


 それをかざす事が出来れば、それだけで抑止力となる。


 人材については全く期待していなかったイシェルタの興味を引くには十分だった。


「見せてもらえる? なるべく早く」

「公爵夫人様ならそう仰ると思いまして、近くの草原に待機させております。この商談が終わり次第、御覧に入れるつもりでした」

「そう……そういうのは好きですよ。物事とは迅速である事が肝要ですからね」


 御満悦なイシェルタの様子を見て、商人は内心安堵していた。彼女は彼にとって重要な資金源。所謂金づるだ。それを不機嫌なままにしておくのは彼にとって、不利益しかもたらさなかった。

 ……もっとも、人材の方には興味すら抱いてもらえなかったことに不満を残してはいるが、余計なやぶを突いて怪我をしたくない。上客を前には些細な事だった。


 イシェルタが鈴を鳴らすと、それを聞きつけたメイドが速やかに部屋に入室してきた。


「少々用事で外に出ます。その間の警護をしっかりするように兵士達に言っておきなさい」

「はい、かしこまりました」


 メイドが部屋を出て行ってすぐ、部屋は静寂に包まれた。それを破ったのはイシェルタの方だった。


「それじゃあ、行きましょうか」

「かしこまりました。公爵夫人」


 何故警護を厚くしなければならないのか? そのような事を不躾に聞くような神経は、商人には持っていなかった。

 そして……イシェルタもわざわざあれこれと言葉にするような女性ではなかった。


『極光の一閃』を小型した兵器。それを見る事の方が何よりも優先すべきことであり、少しでも多くの戦力をかき集め、来るべき決戦に向けての準備を進める事こそが重要な事であった。

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