192・敵愾心(アルティーナside)
ガネラの1の日の夜。昨日の夜通し続いた宴が幕を下ろし、各々が自らの館や別荘に戻った後の事。エスリーア家の所有している館の一つで、荒れている少女がいた。
枕は乱雑に散らかっていて、シーツはグチャグチャ。それでも決して割れ物に当たり散らしていないところを見ると、冷静な感情は残しているようだった。
「お嬢様。あまり暴れると、身体に障りますよ」
肩に手を掛けようとしたフラウスの手を弾いたアルティーナは、怒りに身を焦がしているような顔で彼を見た。
別に彼に怒っているわけではない。ただ、誰かにぶつけなければ気が済まなかった。それだけ。
「お嬢様……」
「フラウス……わかるでしょう? 私が、今まであの子の事をどう思っていたか! いつも語って聞かせたわよねぇ!?」
思いっきり襟首を掴み、力づくでフラウスを持ち上げる彼女は、魔力によって筋力を強化していた。極自然に……それも簡素化した上で最大限の効力を発揮させているそれは、決して一長一短で身につくような技術ではない。切磋琢磨し、自らを鍛え上げた者の証。それだけで、アルティーナがどれだけ努力をして来たか伝わってくる。
「……はい」
「だったら!! 私がなんで怒っているか察しなさい!! 何のために……貴方は私と契約したの!?」
掴み掛かられたフラウスは、自らの死を予感しながら、努めて笑顔でアルティーナの怒りを宥めることにした。
「大丈夫ですよ。私が貴女様を見ております。貴女様がエールティア姫殿下の事をどう思っているか、それも全て理解しております」
「解ってない! 何にも、わかってない!! あの子は私の事を見向きもしなかった!!」
突き飛ばすように手を離したアルティーナの苛立ちは止まらない。彼女はあの時のエールティアとのやりとりを思い出していた。
いつもの事だと、あまり気にも留めてなかったエールティアだったが、アルティーナは本気で宣戦布告をしたつもりだった。
――貴女に勝つ。勝ってみせる。
そんな想いで放った言葉は、あっさりとすり抜け、適当に返されてしまう。アルティーナにとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。
「いっつもそう。どこか遠くを見ていて、私の事なんてちっとも見てくれていない。あの時だって……!」
「お嬢様、それはもう何度も聞きました」
「なによ! 何度言ってもいいでしょう!!」
がなりたてるアルティーナだが、少しずつ怒りの論点がすり替わっているのには気付くことはなかった。もう既に一日近く不満を口にしていたから、なんとかしたい……そう思うフラウスが導き出した答えの賜物であった。
「私が六歳の時、あの子はまだ五歳だったのよ? それなのにあの子は既に私よりもずっと大人びてて、魔力だって……」
――
初めて会った時。アルティーナは母親から仲良くするように言われていた。親戚同士であり、数少ない聖黒族だからこそ、血の繋がりを大切にするように、と。母親の言葉を聞いた彼女は自分が一つ上のお姉さんなのだから、しっかりしない……そう思った。
そんな心構えで初めて会ったエールティアは、アルティーナが想像していたものを遥かに超えていた。どこか憂いを帯びた白銀の瞳に、子供の者とは思えない大人びた表情。幼心にすら憧れを抱くほどの清く美しさを宿した姿に、アルティーナは虜になってしまった。だが、それを立ち直らせたのが、母親の言葉で抱いた感情――『自分がエールティアのお姉さん』なのだという気持ちだった。ただそれは、間違った方向に働いてしまった。
「貴女がエールティアさんね。私はアルティーナ・エスリーア。貴女よりずっと年上なんだからね!」
「……ずっとって、一つ上なだけでしょ?」
「ずっとって言ったらずっとなの! 良いわ、だったら勝負しましょうよ! 私の方がお姉さんだってわからせてあげるんだから!!」
ため息を吐いて大人ぶるエールティアが気に入らないと言わんばかりに噛みついたアルティーナは、魔導の勝負を挑んで……結果的に敗北してしまった。圧倒的な魔力と技術を宿しているエールティアに完敗した上、それが当然だと言うかのような態度に、アルティーナは悔しさで胸がいっぱいになった。それと同時に、絶対に負けたくない超えたいという気持ちが強く芽生える事になった。
――
「私は……私はあの子の事をずっと追いかけてきた。勉強だって、訓練だって……! なのに、なのにあの子は!」
「あの御方とは王位継承権を求めて争うのです。いずれ、戦う運命にあるのですから、今は怒りを収めてください」
宥めるように優しい声音で諭すフラウスの言葉に、アルティーナは荒い息を整える。
しばらくの間深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着いた彼女は、静かに闘志を燃やした目をしていた。
「そう……よね。聖黒族の女王は強くないといけないもの。今度こそあの子に勝って、私の方が強いって証明して見せるわ。そうしたら――」
――素直な気持ちであの子と接する事が出来るから。
その心のこもった言葉は、口から出ることなく消えてしまった。
あの日からずっと止まっている気持ち。自分はお姉さんで、エールティアは妹のようなもので……仲良くしないといけない。幼い頃に母親から教わった事が、今でもアルティーナの心の奥底に大切に根付いていた。
だが、現実はそんな想いを踏みにじる程に残酷で、一人で心の内に秘めたことは決して誰にも理解されることはない。それを今の彼女が知る術は――存在しなかった。
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