61・ただ一つ強者の為に(雪雨side)

 雪桜花のある夜の日。月が綺麗な夜の出雲大将軍が別荘として使っている屋敷の一角にて一心不乱に太刀のように長く、大きな刀身を持つ大刀を振り回していた。


 汗に塗れながら、決して両手の大刀を手放さず、振り続ける少年――雪雨ゆきさめは次に始まる決闘に心躍らせていた。


(もうすぐ始まる。俺の渇きを満たしてくれそうな強敵と戦う事が。父上には感謝しないとな)


 雪雨は、ジュールの反応を見た瞬間に自らの父――出雲が何をしようとしているか理解した。


(わざわざ俺の為にあんな女を用意してくれるとは……今から疼いて仕方ねぇ。素振りでもしないと、血の疼きが抑えられねぇ!)


 雪雨は他の誰とも違う。正真正銘の太古に生きた『鬼』そのものだった。喧嘩に祭りに酒が好きで、誰よりも負けず嫌い。何度殴られ倒れても、ギラついた目で起き上がって殴り飛ばしてきた。


 倒れても倒れても、最後には立ち上がり勝利をもぎ取る。不屈の精神を宿した彼にはいつからか敵と呼べる者はいなくなっていた。


(情けねぇ鬼共じゃ、俺の渇きは癒せない。弱い奴じゃ……俺の飢えは満たせない。もっと……もっと強い奴を! 心から向き合えるつわものを!)


 雪雨が出雲の策に乗ったのは、ただひたすら強敵と戦いたかったからだ。他には何も必要ない。あの場でジュールを挑発し、傍若無人に振る舞えば、それが叶う。それを悟ったからこその行動だった。


 それだけ雪雨は強敵を求めていた。ただ戦う為だったら雪桜花を収める覇王・桜鬼と戦えばそれで良い。この国の王は力の象徴。政治は他の誰かが――それこそ、覇王が信頼出来る者が行えば良い。現覇王である桜鬼のようにある程度知識と教養も備わっていれば尚良いのだが、雪桜花の王に最も必要なのは力。そして人々を魅せる程の才能。後は他国と関わる時に必要な教養があればいいが……それは後から叩き込まれるのだから実質その二つさえあれば良い。


 中には邪悪な思想や欲望を剥き出しにした者が王になり得る程の強さを持っていたりもするが、鬼人族の血筋はそれを拒むかのように戦いに飢えてもなお理性を保てる者を数多く輩出し、欲望に堕ちた者達を駆逐してきた。

 ある種の求道者のような者が戦いに喧嘩に友と酒を酌み交わし、嘘を嫌う性質を育ててきたとも言えるだろう。


 ――閑話休題。


 雪雨の求めていた強敵とは、自らが切磋琢磨する事でより高みに昇れる同じ年代の子供だったのだ。

 現王と戦い、もし勝つか、覇王自身に認められでもすれば……次期覇王としての教育が始まってしまう。そうなればただでさえ貴族という堅苦しい世界に身を置く彼の自由は、ほぼ完全に無くなってしまうと言っても良かった。


 未だ満たされぬ飢えと渇きを抱えたまま、覇王への道筋を歩む事など、雪雨に出来るはずもなかった。


 気を鎮める為に何度も振り続けた大刀を宙で止めて、にやりと獰猛な笑みを浮かべる。


「未だ知らぬ強敵と戦い、満たされない心を満遍なく埋める日。その日を……お前も楽しみだろ? 『金剛覇刀』よ」


 その問いは誰にも届かない。雪雨は月明かりで鈍く光った大刀が確かに答えてくれた気がした。それは覇王である桜鬼より賜った逸品。黒く艶やかに光る刀身に、豪奢ではないが、かといって質素でもない。決して自己主張しない薄い線で大刀を彩る、気品溢れる黄金の装飾が施されていた。


 ――『金剛覇刀』。それは太古に天下無双と謳われる程の力をもった男。鬼人族が【覚醒】により、より強大な鬼神族へと進化した歴代最強の覇王・セツキ。彼が老い衰え、自らの死期を悟り、壮絶な最期を遂げる時まで相棒として側に居続けた最高の名刀。長い歴史を経て、かつての覇王と同じ『せつ』の名をもつ自分の手に渡る……それは雪雨が運命という物を感じるには十分だった。


「お前の本来の主人が生きていた時代ってのは、どれだけ強い奴がひしめいていたんだろうな。なぁ……」


 長年の歴史を経た武器には魂が宿っている、と雪雨は信じていた。


 しばらくの間、雪雨は『金剛覇刀』の方に視線を向けていた雪雨は、ゆっくりと地面に突き刺し、事前に用意していたの布で汗を拭い、体の火照りを静かに鎮める。ある程度そうした雪雨は、『金剛覇刀』のを鞘に納めた。多少抑えることの出来た血の疼きに満足げに頷いた雪雨が見上げた。


「あと数日。それでようやく……俺の待ち焦がれた戦いが出来る。直後とはいえ、【覚醒】した銀狐族の男を倒した女と戦える……。くっ、くくくっ、ああ、楽しみだなぁ……」


 エールティアが【覚醒】したハクロを打ち破った事は、この雪桜花にも広がっていた。だからこそ、雪雨はエールティアとの戦いを誰よりも望んでいた。


 同じように【覚醒】した男を倒した聖黒族の女。雪雨が彼女に興味を抱くには十分な理由だった。

 抑えたはずの鬼人――鬼神族としての血の疼きを感じ、雪雨は獰猛な笑みを浮かべた。


(焦る必要はない。舞台は既に整っているんだからな。後は待つだけ。そう、待っていれば……極上の戦いが俺を待っている)


 その時の雪雨の頭の中には、既にジュールの存在などかけらも残っていなかった。

 ただ、己が認めた好敵手になりうる存在との決闘の日を夢に見ながら、雪雨は館の中へと戻っていった。

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