3 虫嫌い、串刺の樹、それと終わっていく旅
刺激的なライブを届けてくれた『シニロバ』のメンバーのスタジオ練習をもう少しだけ見学させてもらうことにする。文恵さんは僕に先程聴かせてくれた歌の詞を読ませてくれる。やはり生で聴いたときと文字で眺めているときでは感じるものが全然違う。昨日子さんの歌と『シニロバ』の演奏を思い出しながら僕は読む。
夕ごはんどきになるとスタジオを出て、メンバーはそれぞれの家に帰る。
しかし樫奈さんはこれからひとりで外食をすると言っていたので、無理を言って同行させてもらう。駅構内のとんかつチェーン店に立ち寄る。とんかつ定食を待つ間、樫奈さんからバンド結成の経緯について聞く。
「わたしがバンドを始めたみたいに、受付の彼は言っていたけれど……本当は文恵ちゃんなのよね」
「そうなんですか?」
「そう。ロックバンドをやりたいって言いだしたのは文恵ちゃん。歌詞がたくさん書けたから、色んな人に聴いてもらいたいって。そのためには音楽が必要なんだって言ったの。それで作曲の練習もしたけれど、歌に自信がないし、ボーカロイドとかもよくわからないから、バンドを組みたいんだって、なんだかえらい真剣な顔で頼んできたのよ」
外の世界に発信しないと気が済まない――それほどの思いを込めた詞。
「そこから、わたしが町内会とかで元気なおばあちゃんを探して。雪ちゃんは昔バンドを組んでてギターが上手いって有名だったからすぐに捕まったんだけど、肝心のボーカルはすぐには見つからなかった。本当に、昨日子ちゃんが公園で歌っていてくれてよかった。運命ってあるのね」
「運命……ですか」
「運命だよー。だからずっとやっていけているのよ。ボーカルを口説き落とすのには苦労したけれど。度胸がついて虫嫌いも治るわよ、とかも言ったけれど、結局まだ治ってないねえ」
「ああ、そういえば、昨日子さん虫嫌いですよね」僕は天守閣での出会いを思い出しながら言う。「僕の人生経験が少ないんでしょうけれど……長く生きている女の人はみんな、虫なんてスリッパで潰せちゃうんだと思ってました」
「ひゃひゃ。そうだねえ、人並みに生きていれば色んな怖いものも、気持ち悪いものも、虫より有害なものも見るからね。でも苦手な人はずっとずっと苦手だし、昨日子ちゃんみたいに、傷ついた子は無理かもね」
「傷?」
「これ以上はあの子のために、わたしからは言わない」樫奈さんは微笑む。「ただ、あの子が、木倉昨日子として小説を書かなくなったのは……書けなくなったのは、虫のせいなのよ」
そこでとんかつ定食が運ばれてきた。分厚い豚肉を平らげる頃には全く別の話題になっていた。昨日子さんと虫の件についての具体的な話は、言わない、という宣言通り、語られなかった。
僕のぶんまで支払おうとする樫奈さんに頑張って遠慮して、バスストップまで見送る。
別れ際に樫奈さんは言う。
「わたしは元々、ダンサーになりたかったの。リズム感がよかったから。でもなれなかった。けれど、今は若い頃に伸ばしたリズム感を活かしてドラマーをやってる。……不吉なことを言うけど許してね、兄ちゃん。あなたも、もしかしたら今欲しいものは手に入らないかもしれない。でも、それでも経験は宝だから。なんにもならないってことはないから。だから、とりあえず、生きなさい」
「……ありがとうございます」
夜の街を歩く。駅前から離れていっても視界の端にはいつもヘッドライトがある。窓から漏れる灯りもある。
以前詞を書くとき、そんな人工的な光のことを星々に喩えたことがあった。詞のジャンルを考えるとそういう表現が必要だったからだ。
けれど、本当はそんなことは全く思っていなかった。今だって思っていない。きっとずっと思わないに違いない。
だから、きっとこれからの僕は、夜景やネオンの光を星屑に喩えない。必要だったなら、もっと別の光る何かに喩えるだろう。それが感性に従うということかどうかはわからないが、恐らくは、思ってもいないことを語るよりは正義に近いはずだ。
そしてそういう理由の取捨選択は、ロボットにはきっと出来ない。
恋川駅の四番バスストップから出ているのは串刺の森に行くバスだ。串刺の森は自然公園で、軽いアスレチックのような場所もあるので、家族連れなどに需要がある。
昼頃に乗ったバスにもちらほらと仲好しな家族の姿が目に入って、僕も地元の自然公園に家族で一緒に行ったことがあるなあ、なんて懐かしんだりした。
そんなゴールデンウィークの四日目、僕は串刺の森で元部長と出会う。
「あ。部長。お久しぶりです」
「もうずっと部長じゃないんだけど、君はずっと部長って呼ぶね。久しぶり、どうしたの」
「部長こそ」
「あはは。ゴールデンウィークなのと、今書いている小説の次の展開が浮かばないから、遊びに来たんだ。独り暮らししてるところと近いのもあってね」
「そうなんですか。僕は、材料探しです」
元部長は僕の言葉を聞いて、少し間を空けてから、ああ、と手を打った。
「前に言っていた、人としての中身という話だよね」
「はい」
そもそもこの人のアドバイスから旅をしようと思い立ったのだ。その旅のなかで巡り会うというのは、なんとなく運命的なものを感じる。
僕と元部長は森を抜けて広い草原に足を踏み入れる。ベンチや長いテーブル、丸太をモチーフにした腰かけがある。昼食を摂っているグループが散見される。楽しそうに追いかけあって笑う子供達とその様を見守る親。鳩までいたりして、なんだか平和の象徴みたいな景色だった。僕達は二人掛けのベンチに並んで座って昼食を始めた。僕はコンビニ弁当だが、元部長は手作りのものだった。
「自炊してるんですね」
「うん? ああ、まあね。これは殆ど冷凍食品に頼っているけど。普段はパスタとか茹でるのが楽しいんだ」
「へえー。素敵ですねえ」
「それより、どう?」元部長は問う。「材料探しは。進展はある?」
「進展は……あります」僕は答える。「少なくとも、どういうものを探せばいいのかはわかってきました」
「お? それはどんなもの?」
「今までの僕の詞には訴えかけたいことや叫び散らしたいこと、つまり、メッセージがなかったんです。だから僕は自分のメッセージを見つけないといけない。メッセージありきの作詞をしないといけないんです」
「へえ。メッセージ。それが中身ということ?」
「そうです。発信しないと気が済まないくらいの感情を、感性に従って綴るんです。感性に合わない言葉は選ばずに。そうして生まれるものが中身のある歌詞だと知りました」
「でも自分の感性に合わない言葉を選ぶことも、作詞を仕事にするなら必要になってくることがあるんじゃないの? 想像だけど」
「それは……そうですけど」
「そういえば、そもそもどうして、中身が欲しいと思ったの? もしもネットで叩かれたからとかなら、それは鵜呑みにしちゃあ駄目な気がする」
「ああ、言ってませんでしたね。一年生の女の子に作詞提供をさせてもらおうとしたら嫌がられたんですよ」
僕は元部長に、最初に灰田さんの歌を聴かせてから、この人に自分の詞を歌ってもらおうと思って持ちかけたら、薄っぺらくて作業的な詞だから嫌だと断られたと説明した。
その子に、夏休み前までにその子の感性に響くような、中身のある詞を書いてこられたら歌ってもらうと約束したことまで。
「うぅん、それだと話が違ってこない?」と元部長は言う。
「違ってきますか?」
「うん。だったら闇雲に経験を積んだところで意味がないんじゃない? 例えば本気でテニスに取り組んで、テニスの楽しさとか本質とかを理解してテニス愛のこもった詞を書いたとしても、その灰田さんがテニスに興味がなかったら感性には響かないんじゃないの? たとえ響いたとしても、灰田さんがテニスを未経験だったら、それは灰田さんが歌うべき詞ではなくなってしまうんじゃない?」
「……たしかに」
「灰田さんの趣味はわかる? 音楽以外で」
「あ、それは打ち解ける段階で訊きました。えーっと、読書をして感想文を書くことと、スポーツの中継やバラエティ番組を観ることと、……あとは、シーグラスを拾うこと、らしいです」
「シーグラス? ……なんだっけ」
「浜辺に落ちているそうです。海の波に角を削られたガラスの欠片で……写真見せてもらったんですけど綺麗でしたよ。宝石みたいで」
「ああ、それならさ」元部長は言った。「灰田さんと一緒に拾いに行ってみたら? 灰田さんの世界観をもっとよく知るきっかけになるかもしれない」
「え、そんなの出来ませんよ。ふたりで海に行くなんて、なんだかデートみたいじゃないですか」
僕が緊張するとかではなくて、唐突に灰田さんにそんな誘いをしたら警戒されるかもしれない。そこまでの距離感ではないのだ。
「そう? まあだからって部員みんなで行くのも理由が難しいからね。じゃあひとりで行こう。とにかく灰田さんと同じことをして、それを理解することで『灰田さんの心に響く、中身のある詞』が書けるようになるかもしれない」
「……そうですね。試してみます」
昼食を終えて、僕達は草原から森に入る。夏場だったら蚊や蝉が鬱陶しかっただろうな、と思いながら木々を観察する。狭い道から少し開けた場所に出る。一本の太く高い針葉樹があって、その周辺――恐らく半径二メートルほど――には植物が何も生えていない。雑草のひとつもない。枝も落ちていなければ蟻も這っていない。
「串刺の樹だ」と元部長は言った。
「昔、もうずっと昔に、この樹は呪いに使われたんだってさ。動物の死骸を枝に刺した、いや生きたまま刺した、刺したのは動物じゃなくて人間の赤ちゃんだった、いやいやそれを模した綿人形だった、なんて諸説あるけれど、その呪いはとにかく何かをこの樹の枝で貫くものだった。犠牲を伴うものだった。その呪いは色んな人によってなんべんも行われた。諸説あるのは人によって何を刺したのか違うからなのかもしれないね。それによってこの樹にも呪いの念が滲み込んだ。だからその樹を抱えたこの森は、串刺の森って呼ばれているんだってさ」
「……それ、本当の話ですか?」
「そういう伝説があるという話。恋川県に伝わる逸話。この樹は大切にされているけれど、それはこの樹に神様がいるからじゃない。この樹を切り倒したら、なかに籠っていた呪いが溢れ出て災いが起こるから」
「……そんな恐ろしい話があるんですね。でも、ずっと串刺の森という名前のままにしていたらネガティヴな印象が拭えないじゃないですか。どうしてそのままなんでしょうね」
「名前を変えて、なかったことにするっていうのも、ひとつの破壊……とされている」
「へえ。それにしても詳しいですね、部長。大学で研究しているんですか」
「いいや?」元部長は首を横に振った。「そういうのがあるらしいと知ったら、深く調べない訳にはいかないでしょ。小説のいいネタになるかもしれない」
「……なるほど」
串刺の樹を通りすぎてそのままだらだらと歩く。これまでの恋川観光の収穫を訊かれたので、僕は中身を偽る若い女性の話と、中身の詰まったシニアガールズ・ロック・バンドの話をした。前半の話も元部長は興味深げに聞いてくれた、後半で木倉昨日子の名前が出たとたんに声を荒らげた。
「木倉先生! あの『さるぐつわ』や『くちびるから青色が漏れる』、『クランクアップ・クランジィアンセム』の木倉昨日子先生と会って話して歌声を聴いただって!」
「はい」挙げられた作品は全て初耳だけれど。「部長、ファンだったんですね」
「木倉先生は女性作家で一番尊敬しているよ。羨ましいなあ、あの人と交流のある作家が、エッセイで歌唱力を褒めていたから、いつか聴きたいと思っていたんだよ。動画とか撮った?」
「ごめんなさい、そんな余裕はなかったです……」
「そっかあ。でも、そっか、今は恋川でバンド活動をされているんだね。『Cynical Rolling Bar』か。たぶん木倉先生が名前を付けたんだろうなあ」
それからは元部長の木倉昨日子という小説家についての講釈を聞きながら歩く。話が終わる頃には森を抜けて住宅街に出ている。
「石見くん、今日これからどうするの?」
「……どうしましょうか?」
今日の予定はない。そして次にやるべきことは決まっている。シーグラス拾い。恋川にも郊外のほうに海があるけれど、それを言ったら地元にもある。
それに灰田さんもわざわざ恋川まで拾いには行かないはずだ。通うならばきっと、僕が知っている地元の海だろう。
じゃあこれからどうしようか?
とりあえず両親には七日間の(友達との)旅行だと言ってあるので、途中で帰るというのも不自然だ。だから、次の日も恋川で遊ぶことにする。遊園地やおひとり様用の焼肉屋さんなどに行く。カラオケでのオールも体験する。とくに語るべき出会いはないけれど、とても楽しい。単独も集団も楽しめる人間でよかったと僕は思う。いつか一緒に旅ができるくらいの友達がほしいとも思う。そうして五日目が終わる。六日目も終わる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます