人生旅日記・飛び交うタバコ入れ

大谷羊太郎

飛び交うタバコ入れ ~八十年前に見た芝居の興奮、今も鮮やかに~

  足の向くまま あてどもなしに

  流れ流れて 白髪に変わり

  たどり着いたぜ このシリーズに

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 神社の境内に作られた仮設舞台を、いくつもの電灯の光が明るく照らしています。そこで演じられている時代劇は、今まさにクライマックスにさしかかろうとしていました。


 雑木林を描いた背景の前に立っているのは、旅支度に身を固めたやくざ者の親分。その周りで、同じような服装の子分たちが、片膝を地につけて、じっと親分の顔を見あげている。

 親分は視線を下げ、ゆっくりと子分たちを見回す。そして、しんみりとした口調で、こう告げた。

「これまでおめえたちと、長い年月、苦楽をともにしてきた。おいらの胸は、その思い出がいっぱいだ。こうして別れのときを迎えるとなると、張り裂けるような思いだぜ」

 とたんに子分の中から、悲痛な声があがります。

「親分。それはあっしらも同じこと」

「だがな、おめえたちと声を交わせるのも、今宵限り。これは決ったことだ」

 別な子分が、弱弱しく答える。

「どうかそれだけは、口にしねえでおくんなせえ。情けなくて、息がつまってしまいます」

「そうかい。じゃあ、話を変えようか」

 親分は微笑して一息ついてから、感慨深げにまた口を開いた。

「上州のこの地で一家を張ってから、何年になるだろうか。俺なりに方策をひねり出し、阿漕な真似をしやがる不埒な連中を懲らしめて、堅気の衆からは礼を言われてきた。なのにこうして、お上から追われる身になろうとはな」

 子分の一人が、憤懣をみなぎらせて、すかさず声をあげた。

「今回の一件は悪名高いあいつら一家の、罠にかかったんですぜ。うちの一家を追い立てて、手めえらの縄張りを広げようと、役人たちに賄賂をつかませた」

「その話は愚痴になるから、もう止めておこう。いまさら騒ぎ立てても、どうにもならねえ。実にうまく企みやがった。だからな、ここはひとまず、一家を解散してみんなそれぞれ身を隠し、時節を待とうじゃねえか」

 一家離散の瀬戸際であったが、親分の声は明るかった。

「いいか、この山は、大勢の捕り方に囲まれている。だがおれたちは、抜け道を知っている。目立たないよう、少数に分れて囲みを抜ける。やつらに気付かれないよう、全員、今夜のうちに、この山から抜け出すんだ」

「あの、親分」

 親分の片腕と言われている男が、強い口調で発言する。

「やつらは、親分をこの山で召し捕ることよりも、捕物騒ぎにかこつけて、親分を殺すのが狙いなんです」

「ああ、わかってる。だから俺は、ここで一家を解散することにした。二人一組なら、追っ手の目をかいくぐれる」

「それにしたって、やつらは大人数でやってきます。もしも発見されりゃ、多勢に無勢。数をたのんで、親分を取り囲み、命を取ろうと一気に襲いかかってきますぜ」

 子分の声には、力が加わった。

「親分は剣の遣い手だ。でも二人きりでは、とても防ぎ切れねえ。俺たちは、いざというときには命を捨てて、親分を守る気でいた」

 別な子分が叫んだ。

「あっしらは、みなそうです。斬り死に覚悟で、この山にこもった。なのに、ここで親分と別れるなんて」

 あっちからもこっちからも「そうだ、そうだ」と声があがる。

「馬鹿野郎」

 親分は、表情を険しくして一喝した。

「なにもかも考え尽して、今宵の解散を決めたんだ。いまさら、四の五の抜かすんじゃねえ」

 そこまで言って、親分は急にやさしい顔になった。

「俺の身を気遣ってくれるおめえたちに、なんと礼を言っていいかわからねえ。だがな、気遣いは無用だぜ」

 自信たっぷりに言うと、親分はにやりと笑いをのぞかせた。

「俺にはな、強い味方がついているんだ」

 子分たちは、不審そうに親分を見つめて、次の言葉を待った。


 しばしあって親分は大きく息を吸い、姿勢を正した。そして、腰に差した脇差しに右手をかけ、すらりと抜くと、目の前でその刃先を空に向けた。

「味方てえのは、この刀だ」

 そう言いながら、親分は首だけをゆっくりと上下させ、刀の刃を端から端まで、何度も眺め回す。

 やがて静かに口を開いた。

「これさえあれば、木っ端役人どもが何人来ようと、これっぽっちも驚かねえ」

 惚れ惚れしたような視線を刀に据えたまま、親分はつぶやくように言った。

「さすがにこれは、世に知られた銘刀だ」

 緊張をはらんだ静寂が、場を包み込む。すべての視線が、その刀に集まる。

「よく切れる、」

 そこまで言うと口を一文字に結び、握った刀を天に向けたまま、ずいと前に突き出す。左足で、とんと一つ大きく地を踏む。胸をぐっとそらせる。

 冴えた拍子木の音が、チョンと入る。太鼓の音が、ドドンと響く。それに合わせて親分は、情感こめた言葉をゆっくりと吐き出す。

「刀だなあ」


 芝居のクライマックスを示す動き、そして効果音。つまりヒーローが、ここで大見得を切ったのです。


 その瞬間、今まで静かだった客席は一変します。一斉に、拍手の渦が起こる。「日本一」などと、あちこちで勢いのいい掛け声が飛び交う。役者の名を呼ぶ者もいる。

 飛び交うのは、声だけではありません。懐紙にくるみ込まれた小銭が、舞台に向けて投げ入れられる。後ろのほうから舞台まで駆け寄ってきて置いてゆく者もいる。

 不思議なものも、舞台に運ばれてきます。タバコ入れです。これは、煙管きせるとタバコの葉を入れるケースで、腰にぶら下げて持ち運ぶものです。

 さらに不思議なものは、着物の帯です。丸めてボールのようにして、投げる人もいる。帯どころか着物までが、やはり丸められて投げられたり、人の手で舞台まで運ばれてきたりします。

 そして、帯や着物が投げられるときには、観客席から「証文だぁ」「証文だぁ」と、大声が響きます。客席は興奮状態。

 その熱気も冷めやらぬなか、拍子木が鳴り、左右から引き幕が寄せられて閉まる。観客たちも一息ついて、飲んだり食べたり、だべったりと、賑やかな雰囲気です。次にまた幕が開けられて、新しい場面が現れるのを待ちます。


 この日、観客席にいた私は、まだ小学校の下級生。今日は村の祭りとあって、母親に連れられてきた私は、観客席で好奇の目を一杯に拡げ、一切を忘れて、劇の世界に没入していました。

 それまで私は、東京目黒区で暮らしていました。活動写真が大好きで、学齢前なのに一人で地元の映画館に通っていました。当時は弁士が大活躍する無声映画でしたが。

 家の事情で、伊豆大島に転居となり、がらりと生活は変わります。こちらには、映画館などありません。東京に残っている父親が、雑誌や本を送ってくれて、物語との接点を作ってくれました。

 今日は演劇が見られるというので、胸躍らせてここにやってきたのです。劇を見るのは、生まれてはじめて。小説とはまるで違う迫力に、完全に圧倒されました。

 本を読みながら、いろんな感情をいだきますが、ほかの読者がどんな感想を持つかまではわからない。ところが演劇では、周りの観客たちが、感情を剥き出しにするのです。

 悲しい場面では、おばさん連中は、目に涙を浮かべる。悪党が良民をいじめる展開になると、悪党に向って罵詈雑言を、遠慮もなく浴びせるおじさんたちもいます。

 今日は秋祭りとあって、村民はみな仕事を休みます。くつろいだ気分で過ごす一日なのです。焼酎を飲んで、かなり酔いの回っている高齢者も少なくない。

 意味不可解な「証文だ」という言葉を叫んで、着物もなにも脱いで裸になった人たちは、この酔いしれた高齢の酒飲みたちのようでした。


 ここまで、祭りを楽しむ村人たちの様子を、思い出すまま書いてみました。ところで一つ、肝心のことをまだお話ししていませんでした。

 舞台の上で大熱演した役者衆、実はこの人たちは、旅回りの役者さんではありません。みな、演劇とは縁もゆかりもない、村の青年たちなのです。

 なぜそれなのに、あれだけの熱演を披露できたのか。実は毎年、秋祭りに備えて、東京から演技指導の先生を招いているのです。

 村に来てもらい、一から教えてもらいます。先生はさらに、舞台用品や衣装まで、上演に必要なものは、ちゃんと揃えてくれて、島に持ち込んでくれます。

 選ばれた青年たちは、全力をあげて、稽古に励みます。少なくとも、小学校下級生の私の目には、円熟した俳優の熱演にしか見えませんでした。

 当時のあの村には、いわゆる娯楽の施設などは、まったくありませんでした。喫茶店も飲み屋もない。いわば村は、働くだけの場所です。

 ほんのときたま、演芸一座が廻ってくることもあり、映画の会が開かれることもありました。会場には網元などの、大きな家の広間や広い庭が使われ、仮設舞台がつくられたりしました。

 いずれにしても、娯楽といった観念は、人々の意識の中には、ほとんどなかったように思います。ただ、このような地域には、無尽の会、というのがあり、月々、仲間うちが集まって、食べたり飲んだり喋ったりと、賑やかで楽しい時を過ごしたようです。

 私の母親も、今夜は無尽に行くと言い残して、夜に出かける日がありました。私はついていったことがないので、その場の様子は知りません。

 この無尽の会は、単に飲み食いするだけが目的ではなく、まとまった金を会員が、順繰りに手にできるシステムになっています。

 当夜、会員が支払う額は、実質の飲食代に、いくらか上乗せしたもの。会員が十人いれば、上乗せ分の十倍の金が、そのまま残ります。

 これを手にした人は、普段は買えないような値の張るものも買えます。欲しいものがなければ、まるまる貯金として残すこともできます。ローンなどという言葉もなかったあの時代、無尽の会は、村人たちの親睦の場であり、かつ経済生活上、とても有効な助けになっていました。

 娯楽的な時間といえば、せいぜいその程度。遊びの観念とはほど遠く、だれもが働くことだけに喜びを求めていたと、私には思われました。


 子どもたちでさえ、そうでした。村は大海に面しています。当然、私たち小学生は、夏休みには海で泳ぎまくります。

 ところが家を出るとき、母親に告げる言葉は、「海で遊んでくるよ」ではないのです。

「しただみを、取ってくるからね」

 と言い残して、海に向うのです。スカリと呼ぶ網の袋を、腰につけて出ます。「しただみ」というのは広辞苑によると、「きさご」のこととあります。「きさご」を引いてみると、「古腹足目の巻貝。殻は小型で多数の放射火炎状の淡褐色の斑があり、厚く固い。殻をおはじきなどの遊戯に使う」と詳しく書いてあって、絵までついています。

(そう、これこれ。私たち子供が海に潜って取ったのは、この貝だった)

 私はうなずきました。ここには、「きさごはじき」という語の説明まで載っていました。それには、きさごの殻をはじきあてて、勝負を争う遊技、とあります。

 確か「しただみ」という語は、万葉集の中にあったような記憶があります。奈良や平安の時代のお姫様たちが、優雅な手つきでもて遊び、勝負に打ち興じる姿を、思い浮かべてみました。ほかにも、伊豆大島で日常使われる言葉の中に、江戸時代の言葉など、いわゆる古語がまじっていたのを、あとになって知りました。


 さて、母親との約束通り、海からの帰りには、腰の袋一杯、しただみを入れて家に持ち帰ります。この貝は、夕食の膳に乗るし、残りは翌朝の味噌汁の具にもなります。

 小学校初年級の私でも、遊びに出るのに、仕事を口実にしていたのです。

 村の小学校を終えた者は、みなすぐ仕事につきました。大人と一緒に、漁業や農業に終日励みます。東京に働きに出る者もいます。

 それを、「奉公に出る」と言います。住み込みで雇われたら、終日、拘束されます。時には、休みの日もあるでしょうが、島の親元に戻れるのは、盆暮れ正月だけです。

 村に残った者の中で、海で泳いで遊ぶ者など、私が島にいた三年の間、ただの一人も見かけませんでした。つまり、小学校を出たら、海で遊ぶ、などという悠長な日は、もう一日もないことになります。


 話を村芝居にもどしましょう。ずぶの素人の彼等が、なぜあれほどまで、迫真の演技を見せてくれたのか。

 私なりの解釈をしてみます。彼等を稽古に駆り立てた原動力は、義務感ではなかったのか。今でも、その考えは変わっていません。

 娯楽と呼べるもののない村の生活で、年に一度、見られる芝居。出演者に選ばれた若者たちは、努力の限りを尽して、少しでも村人たちを楽しませようと、猛訓練を重ねたのでしょう。

 単に、演技が好きというだけでは、素人集団にあれほど迫真の舞台は生み出せないと、私は想像します。

 そして観客たちもまた、青年たちの心意気を酌み取って、芝居の山場となれば、拍手だけでなく、チップの雨を惜しみなく降らせる。

 ところで、「証文だ」というあの言葉は、どういう意味なのでしょうか。幕が閉じたあと、私は周りにいた大人たちに尋ねてみました。

 演技に感心した。さっそくチップを渡したい。しかし、少し多い目に金を包みたいので、時間がかかる。その間に幕が閉まって、舞台が閉ざされてしまう。

 だから、金はあとで、舞台裏に届けることにする。口先だけで言ったのでは、信用されない。だから、先に証拠の品を渡しておくよ。

 つまりこの品は、必ず後で金を渡します、という証拠品なので、いわば借用証のようなもの。だから、「借用の証文だ」という意味で叫び、とりあえず手持ちの品やら、着ている着物やらを、幕の閉まる直前に、舞台まで届けておく。

 幕が閉じたあと、何人もの人が、席を立って楽屋裏に向かいました。ほとんど年配の女性でした。着物やら、帯やらを手にして、すぐにもどってきます。「証文だぁ」と叫んだ男たちの身内の人なのでしょう。

 同じ土地に住んでいる、という一体感が、こうした微笑ましい情景を生み出すのだな。私はそう思いながら、やがてはじまる次の幕開けを待ちました。


 日本全国、祭りというものがあって、地元の人たちは精一杯伝統を守っています。中には、奇祭と呼ばれるような、変わった形のものもあります。現代感覚とはかけ離れているような祭りもある。

 近ごろは若者たちも、故郷を離れてそのまま戻ってこないことも少なくない。しかし、継承者が減り、いろいろと制約も生まれている中でも、地元の人たちはなんとか、伝統の火が消えることのないよう、世代から世代へと、大切に引き継いでいます。

 今日は八十年以上も前の体験を、思い出すまま文章にしてみました。よくまあ、細かく記憶していたものと、われながら感心していますが、幼かった私にとって、それほど印象が強烈だったのですね。(おわり)

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