第七十四話 滅びゆく世界
そこは、真っ暗闇の世界だった。
全身をかみ砕かれ、もみくちゃにされそうな気味の悪い世界ではない。
妖精の内部であるのは確実だけれど、それでも何かが違うような気がした。
何も音がしない。痛みも何もない世界。
その中で俺は流れに身を任せ暗闇を歩く。
真っ暗で何も見えない世界。
下手をすれば横から何かが飛び出してきて俺を殺しにかかるかもしれない。そんな恐怖もあった。
でもそんな脅威は全く起きないというように、優しそうな音が流れる。何かの記憶が見えてくる。
「────こうして、魂たちは妖精の内部に囚われ、彼女が消化するまで弄ばれる玩具となるのでした」
そう呟いたのは、聞き覚えのある声だった。
悲しそうな顔をした少女が、俺の前に立つ。
和服を着た少女。
まだ神無月鏡夜として────紅葉秋音が前世の記憶を持っていてこの世界はゲーム世界であってなどといろいろ騒いでいた頃。序盤に出会った冬野白兎の姿でそこにいたのだ。
白髪に赤目。
しかしその瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。泣いているせいか頬は真っ赤。赤色の瞳すら零れ落ちてしまいそうなほど、ゆらゆらと涙で揺れている。
「あの子は私の力を勘違いしているわ。私は神によって祝福された力を使える。確かにゲーム世界の冬野白兎のように異常な幸運を持っているけれど……それだけじゃない。並行世界も見れるけれど、その人間の過去も未来も見ることができる。だから分かったの。あの子がとっても寂しい日々を送っていたことも」
秋音たちが手助けしてくれたのだろう。
映画のように流れていった妖精が人であった頃からの人生が流れ、そうして理解する。
この世界────疑似的に作り上げたホラーゲームへ転生させたのは妖精であり。その妖精は夕陽という名前の並行世界の自分自身を連れてきていたことも。
「あの子はね、大きな勘違いをしていたの」
涙を零しながらも、少女は話す。
「あの子は神様に嫌われていると思っていた。でもそうじゃないのよ。あの子はただ私と同じように神様に好かれていた。祝福という名の不死能力を手に入れていた。……ただ、神に近くなるってことはあの世へ近づく行為でもあったから……あの子のご両親はそれを防ぐためにわざとあの子を傷つけたの。あの子が両親である自分たちを許さなくてもいつか幸せになれるようにって、神に近づかせないようにした」
────それが、間違いだった。
少女は呟いた。
両親が神の手から我が子を救うためにと必死に考えて。
人とは全く違う祝福を頂いてしまったせいで、化け物のような扱いになってしまう。そうして我が子が化け物となることを恐れて。
祭壇へ監禁でもなんでもしたけれど意味がなかった。あの子は人間へ戻らなかった。
そうして長い年月が経ち、誰もが少女の事を忘れていった。
両親は何もできずに死んでしまった。
あの子は何も理解できずに、誰も愛されていないと思い込んで怪物へ成り果てた。
悲しいすれ違いだったのだと……。
「自分が並行世界のホラーゲームの妖精にそっくりだからって理由で、妖精ユウヒに成りきろうとしていた」
数多の並行世界にいた夕陽たちのように誰かに愛されて人間として育ったわけじゃない。
誰かに覚えてくれるような、ホラーゲームでも何でもいい名前を手に入れるためにと。
「私はあの子に、アキネという名前を付けたはずだった。紅葉の葉のような、秋を思わせる綺麗な髪色をしていたから……でもあの子は全部忘れちゃったから……」
だからこれは偶然じゃなかった。
名前は縁を作り上げる。
かつて紅葉の葉のような髪色をしているからと、アキネという名前を与えたから────紅葉秋音として転生したのが、縁を辿ってきてしまった並行世界の夕陽だったと、そう話す。
「赤色の怪物なんて存在しないよ。あれこそが神様だ。自分の魂を本当の意味で傷つけてしまったから神様が怒って祝福を呪いへ変えてしまっただけ。不死じゃなくなったから、地縛霊のようになった。死んだとされる地下の祭壇に囚われてしまっただけ。あの子は勘違いしてるの……私を半殺しにして、町の人たちを殺してしまった時点で、神様に嫌われてしまったのに……」
だからと、少女はまた言葉を紡ぐ。
涙はもう溢れていなかった。
彼女は悲しんでいたけれど、決意もしていたのだろう。
このままだと本当の意味で手遅れになってしまうからと。
「あの子が自由になる前に、妖精ユウヒとなったあの子を────この作り上げた世界を撃ち落とさなきゃいけない。だから君に手伝ってもらうよ。無意識だとしても……私が誘導し、冬野白兎の力を手に入れた君になら────紅葉秋音の魂と混ざり合い、破魔の矢が打てるであろう君になら出来るはずだから」
お願いしたいんだと、彼女は言う。
これが出来なかったら、私達は食べられてしまうだけ。ゲームオーバーだよと。
「私の魂を矢にして彼女を射貫いて」
言い放った瞬間、彼女の身体が光で溢れる。
キラキラとした何かの結晶。クリスタルのようなもの。それらの光の結晶が舞い上がり、何かを形作る。
彼女の身体が崩壊し、一つの弓矢が出来た。
それが俺の手の中へふわりと揺れて収まる。
────でも俺は、それを構えることが出来なかった。
「……俺は」
少女はもう、何も言わない身体となった。
身体は弓となり、矢となった。それらを使って射貫けというが、俺にそんな重大な責任を任せてもいいのか。
きっと覚悟が出来ていないせいだろう。
急にすべてが始まった。
何故こうなったのか。
俺は紅葉秋音ではない。
夕陽でもない。冬野白兎でもない。ただの子供だっただけの、ちっぽけな男。
ただ混ざり合っただけの魂に何ができるというのか。
────そう思っていた時だった。
「おい鏡夜ぁ。お前なんか変なこと考えてるだろ!」
「っ────あ、ああ……紅葉、お前か」
「そうだよ。俺だよ……全く。こういう時は何も考えずに構えればいいんだよ。……まあ俺も、最後の記憶だと弓矢とか使えない状態だったけどさ」
「いや待て。お前何故ここに居るんだ」
「見えてないかもだけどな。妖精に食われた人の魂は全員いるよ。……まあ俺はほら、破魔の矢が使えるって言う設定? ゲームとしての力が不運にも妖精によって与えられちまったから、まあ身についてるとかなんとかで鏡夜を元気づけるためにここにきたというか」
「でもお前使えないんじゃなかったか」
「そうだよ使えねえ無能だったよ最近まではな! 今は過去の記憶も持ってるから使えるぜ!」
自嘲したように笑った秋音が、俺の背中を叩く。
そうして元気づけるように空を示した。
「主人公とかそういうの関係ない。お前だって言ってただろ。この世界はゲームじゃない、現実だってさ」
「ハッ……いつの頃の話をしてるんだ。結局は妖精が作り上げたゲームそのものだったじゃないか」
「だから違うだろ! 俺もお前もちゃんと生きてるし……ああいや、死んでるようなものだけどまあまだ生きてるような死んでるような? とりあえずギリギリな状態なんだよ。それでもまだ俺達はちゃんと現実に生まれたし、ゲームのデータとして生まれたわけじゃないだろ」
秋音はそう言って、俺を見上げた。
恐怖で青ざめた時の顔ではない。ただ透き通ったような瞳で俺を射貫く。
真っ直ぐこちらを見て、勝気に笑いかけた。
「お前ならこんな時どうする?」
「俺は……おれなら……」
「ゲームとかそういうまどろっこしい事考えてねえでさ……ほら、もうちょっと簡単に物事を考えてみようぜ!」
そう言って、もう一度空高くを指さした。
「構え方は分かるな?」
「っ────!」
ああ、ムカつくなと思った。
こいつは確かに俺と混ざったことがある。俺の中にはちゃんと、紅葉秋音として生きた記憶もあるのだから。
それでもこいつは言い放つのだ。
俺が不安に思うことなど何もないと。ただ簡単に空を────世界を射貫けと命令する。
「ああああああ腹が立つ!! お前も、冬野白兎も────この世界を作り上げたユウヒも!!」
「それで?」
「妖精を殺すのは俺の役目だと? そんなもの猪にでも食らわせてやれ! 俺は普通に生きていたはずだろう! ただの子供だったはずだろう! 先ほどもあの女が言ったように思うがつまり彼女が誘導して俺に力を与えたというのか!? 目玉を食らわせたのだと!? ならあの女自身がどうにかしてこの世界を消してしまえばいいだろうが!!」
「まあ、言いたいことは分かる。俺としても並行世界の自分がやらかしたから転生させられたとか意味わかんねえし」
「ああそうだとも! 結局はどちらも被害者だ! 誰もかれもが────分かるな。俺はこのまま自分一人で背負うつもりはないぞ! お前がここに居るというのならお前もやれ!」
「はい?」
「最初に言ったのはお前だ。紅葉秋音! ────俺の道具になってやるとな!」
「いやそれつまり責任を一人で負いたくないということじゃ……」
「来い」
「アッハイ」
しどろもどろになりつつも、秋音が俺の傍にやってくる。
そうして俺と同じように手を添えて構えた。
空を穿つ矢を。世界を殺すための弓と共に。
隣にいた少女はちょっとだけ不満そうな顔をしていたけれど、すぐに覚悟を決めたように笑った。
「秋音」
「ふぇ?」
「俺は本当に腹が立っているんだ。全部終わったらとりあえず一発殴りに行くぞ」
「誰を!?」
「もちろん赤色の怪物。あの女が言った神様とやらに決まっているだろう!」
最後は格好良くとはいかず、少しだけ無様な会話をしつつも────。
世界に光が溢れた。
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