第六十九話 結局は手の平で





 明らかに空気が変わったと思えた。


 秋満の声色が変化する。先ほどのように真面目ぶったものじゃない。苛立った様子も見られない。

 彼とは真逆の────女のような口調。とても楽しそうに人を見て嘲笑うような趣味の悪いもの。


 それと同時に周りの雰囲気も一変する。


 賑やかなカフェにいたはずが、一斉に誰も動かず喋らなくなったせいで静寂に包まれる。

 ニコニコと笑う秋満が不気味なぐらいだ。俺に対して彼は敵対心を抱いていたはずなのに、こんなにも上機嫌だと逆に不気味で、背筋が凍り付くような嫌な感覚に襲われる。


 もうここまでくれば理解する。自分は何も逃げられていなかったことも。元の世界というのはつまり、ユウヒと対峙していた真っ暗な場所ではない、元の世界────ゲームを作り上げようとしたユウヒのいる世界に戻るということか。



「妖精ユウヒか」


《ご明察です。よくわかりましたね。ちゃんと貴方自身が玩具であると理解しているようでえらいですねぇー! 妖精ちゃんは嬉しいのでいっぱい拍手しちゃいます!!》


「秋満のその姿で手を叩くのはやめてくれるか……」


《おや、変な所を気にしちゃうんですねぇ。まあいいですけどぉ……それで、何か分かっちゃいました?》


「……何がだよ」


《探してくれたんでしょう。冬乃を探してくれるって約束ですよぉ》



 彼の頭をすり抜けるように、妖精ユウヒが秋満の中から飛び出してくる。そうして抜け殻になった秋満は机に突っ伏し気絶したように見えた。


 不気味な光景だった。

 幽霊が肉体から飛び出してくるかのようなもの。気味が悪くて秋満のように自分も気絶したくなってしまう光景。


 しかし秋満は気絶とは異なるということも理解していた。

 彼は元々いなかったのかもしれない。妖精が身体を作り上げ、その中から動かしていたのかもしれないと思えたのだ。

 

 内心冷や汗をかきつつも、それを悟られないように余裕のある笑みを浮かべる。

 ……もう俺の心境なんぞバレてるかもしれないが、それでも虚勢を張らないと無理だと思えた。


 なんせ妖精はある意味俺たちにとって太刀打ちできない敵。

 何かを思い出せと言われて、それで探せと言われても俺には何もない。


 ────本当に?



《ねえ、まだ思い出せないの?》




 真顔になった妖精を見て恐怖で思考が止まる。

 いろいろと玩具にされてきたが、怖い思いをしたわけではない。


 しかしそれでもなお、この恐怖は何なのか。

 潜在意識の中で彼女に敵対してはならないというトラウマが刻まれているのは何故か。

 ────本当に?



「俺は誰だ」



 無意識のうちに口を開き、考えてもいないことを呟いた。

 それにとても満足そうに妖精が笑う。



《貴方は誰だ。それはとーっても面白い質問ですねぇ。貴方は紅葉秋音でもあり神無月鏡夜でもありそれ以外でもあるようなものですし……》


「それは、魂をごちゃ混ぜにしていたからか?」


 

 そんな質問をして────しなければよかったと妖精の顔を見て瞬時に察する。

 妖精は口元を歪ませ笑っていた。嘲笑っていた。


 口の端が異様に広がっており、人間では有り得ないもの。人外のような笑い方に身体が思わず逃げ腰になる。



《ふふっ……あははははははっ!! この私がそれだけで満足するような可愛い妖精ちゃんに見えますかぁ!?》



 そうしてくるりと回った妖精が、机に突っ伏す秋満の後頭部に座り込んだ。



《私は学びました。冬乃の魂が消えてしまったのは惜しいけれど────それは貴方のおかげで何とかなったもの。でもですねぇ、それだけで冬乃を食べて終わらせたら勿体ないって思ったんですよねぇ》


「俺のおかげ……?」


《まだ思い出せないんですかぁ? あの紫色の手鏡……つまり、あの目玉が冬乃の一部ですよぉ。あれこそが冬野白兎の正体。あの目玉こそ冬乃ですよぉ!》


「待て。元々冬野白兎は一人だったということか……? 冬乃は別人……? なら何故……」


《だって、人間の魂って虫みたいに半分に分断してもまーだ自我を保って生きているんですよぉ! 本当におかしいでしょう! 自分の記憶がなくても、冬乃という名前を名乗って生きていた。外の生活をと望んで、妖精ちゃんを倒そうと画策していた! まあそれで半分の魂だけで普通の人間と同じように生きられるわけないのに、私が何もしなくて野垂れ死んでいたみたいですし、馬鹿みたいだと思いません?》



 醜悪な妖精が、たった一人の女の子を嘲笑う。



《もしかしたら神様にもなれたはずの……あんなにも運に愛された存在だったのに、あーあ。本当につまらない存在でしたー!》


「……あの目玉は」


《言ったでしょう。食べられなかった冬乃の魂そのもの。半分しかなかったからこそその場に留まってしまった。まあ死んでもなお私という存在と外にいる誰かしらを接触させないようにいろいろやってくれたみたいですけどね────それを神無月鏡夜は飲み込んだのよ》


「っ────!」



 嘘もなく断言したように見えた。

 冗談だろうと言いたかった。そんなこと信じられないと。


 しかし、この妖精と対峙して何もせず逃げられると思うことはできない。やらかすのは当然だと思えた。

 なんせそうしないと生きていけないと理解できるから。


 でも目玉を食べたということは……。



《不定の狂気にかかった! ……というようなものだったのでしょうねぇ。いやぁ面白かったですよぉ。あの時の皆さんの顔! そしてあの冬乃の魂たる目玉を飲み込んだ鏡夜の顔! うふふ、あはははははは!》


「だから思い出せと言ったのか」


《はい? 何を言ってるんですかー? 妖精ちゃんは探せと言ったのですよぉ。貴方の胃の中に消化された狂気を。貴方の中にある、魂を!》



 小首を曲げた妖精が笑う。

 そうしてまた彼女は言う。



《まあ話は戻りますが、妖精ちゃんは反省しました。ちゃーんとそのまま放置せず食べればよかったと。ただの目玉になってしまったしいつかは食べれるだろうとそのままにしなきゃよかったんですよぉ。でもそれで分かったんです! 魂が半分重なると、とーっても強い魂になるってことが! そのせいで貴方たちには逃げられかけましたが、まあすぐに捕まえましたよねぇ》



 つまり、俺達が生きていた世界では────俺たちはまだ、あの夢の頃のまま。まだ子供だったと?



《そのまま食べちゃっても良かったんですよぉ。でもですねぇ。妖精ちゃんは気づいちゃいました! 半分食べられて混ざっちゃった魂があそこまで強くなるなら、もっともーっとごちゃ混ぜにしたらどうなるのかなーと。私の中で魂をたくさん招いて、何度も何度も何回も! あのゲームを繰り返すたびに魂を混ぜて強くてニューゲームでリセットを繰り返したらどうなるのかと!》



 興奮したかのように声を荒げて説明していく妖精。

 それはまるで、人を題材に実験を繰り返す狂った科学者のようにも見えた。



《まあ魂が混ざれば混ざるほど、記憶が混ざってしまうようですねぇ。そのせいで最終的に紅葉秋音は神無月鏡夜のように接してましたけどぉ》



 つまりは今まで居た世界は本当に全部まやかし。

 妖精が作り上げた、妖精だけの世界。


 俺達はカラフルな粘土細工だったのだ。混ぜて混ぜて、どうなるのかを様子見して、リタイヤした瞬間からまた混ぜて作ってを繰り返す。何処かが壊れてもなお、治して使うのだ。



《契約してくれた彼女に感謝しなきゃですねぇー。こんなにも美味しそうなご馳走が目の前に出来たんですもん!》



 妖精にとって俺たちは玩具であって、俺達の魂を招いたのはきっと────。

 ────違うよ。



《さて、そろそろ覚悟はいいですかぁー? ようやく思い出してくれた極上の餌さん。貴方を食べて私は外へ出ます! ようやく全部始められるんです! きっとこれで、妖精ちゃんは自由になれる!》



 カフェだった景色が真っ暗になる。


 薄暗い中で見えたのは、大きな口だった。

 大きな目玉と、大きな口。そしてあれは────。




《 私 の 本 体 へ よ う こ そ 》




 噛みつかれることなく飲み込まれたように感じた。

 激痛が走る。高笑いする妖精の声が聞こえる。



 何かが溶かされて消えていく。

 本当の意味でゲームオーバーなのだと。

 もうこれが最後だと。死んでしまうのだと思えた。


 自分にとっての現実はなかったのだ。

 何もかも妖精の中で完結していたのだ。妖精にとって都合のいいゲームをやらされていただけだった。


 このまま俺は死ぬのだろう。妖精によって食われ、その魂を糧に自由を得るために。




 そうして……。




 ────思い出して、という小さな声が聞こえた。





「アンタはまだ思い出せないの? 私たちの中に妖精の魂も一部混ざってんのに?」




 何故だろうか。海里夏の声が聞こえてくるのだ。俺の目の前にいるはずがないのに。

 ゆらゆらと暗闇の中何かに流され呑まれていく様子に、落ち着き払った声がいくつも聞こえてくる。




「大丈夫っスよ。今ならまだ間に合うんで」




 星空の声が聞こえる。

 神社で聞いた疲れ切った声でも、殺される直前の情けないものでもない。ただ堂々と大丈夫だと笑っているようなものだった。




「そら、急がないと手遅れになるぞ」




 朝比奈の声が響く。

 その後ろで誰かが怒鳴り散らすような声も聞こえるが、それは彼女の「静かにしていろ」という声により止まった。




 そうして、俺の背を押すように誰かが────。





「大丈夫だよ鏡夜。ほら、俺に任せろ!」




 きっと最初は女性らしい人だったんだろう。俺と混ざっていたせいか、今となっては慣れ親しんだあの紅葉秋音が、男勝りな口調を治さず笑ったように感じた。





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