第四十五話 殺し殺され呪い返し
鏡に吸い込まれた先は、先ほどとは変わらない女子トイレの中だった。
俺以外に誰もいない。一緒に居たはずの夏さえいない。
「……境界線の世界って、鏡の世界だったのか?」
そういう話は聞いたことはない……もしかして覚えていないだけか……?
夏が俺と同じ可能性もあるし、あいつから話を聞けばいいのかな。
ああでも、鏡の世界って普通はいろいろと正反対になってるんじゃないだろうか。でも周囲を見てもトイレの位置や文字などは別に反対になってはいない。
恐る恐る扉を開けて廊下へ顔をだし、外を覗いてみるが何もいるわけじゃない。……恐ろしいほど静寂過ぎるのが嫌な感じだが。
……もしもこのまま誰も来なかったらどうする?
鏡に呑み込まれたのは本当だから、それが幽霊などの仕業だったら?
いやでもまだプロローグも終わってないのに幽霊に遭遇するっていうのも……。
(でも、あの時聞こえてきた声は本物だった)
いつの間にか頭痛は治っている。
あれほどまで響いていた耳鳴りのような幻聴でさえ何もない。――――でも、気のせいだというにはあまりにも実感があり過ぎた。
「……海里夏を信じると決めたのは俺だ。あいつが俺を殺すなら……もっとやり方があったはず」
こんな遠回しに殺して何になる?
いや、ゲーム世界での俺は悪女のキャラクターみたいなもんだったし、もしかして誤解して始末しなきゃってなったか!?
いやでもそれだったら「無限ループって知ってる?」とかそういう話はしないだろう。だから俺を始末するなら何か理由があるはずだった。
「……誰も来ないな」
廊下から見えた教室。一年の……黄組かな?
その程度の距離ならちょっとだけ離れてもいいだろうと思い、扉から出て教室へ近づいていく。
教室の中は青組と変わらず荷物などが机に置いてあるだけ。扉の出入り口に貼り付けてある名前と席順から、夕黄の主要人物の席がどこなのかは分かった。
しかし本当に誰もいない。何かの足音も、誰かの気配も。物が動く音さえ聞こえない。どっきりかと言われた方がマシなぐらいだ。
窓の外を見て、人の気配がなさすぎることに恐怖を感じつつも何かないか探す。
「……信じてはいるけれど何もしないよりはマシ……だよな?」
俺が出来ることは少ない。
この知恵も――――夏が言っていた「妖精が知っている」という言葉がやけに胸に引っかかっている。もしも俺が行ったすべてが妖精によって使えなかった場合はどうする?
妖精が完全な敵かどうかは……分からないけれど。なんせ夕青は完全クリアしたわけじゃないしなぁ……。ラスボスは冬野白兎。裏ボスが妖精ってだけ。
でも人を躊躇なく玩具にしたり殺したりする残酷な精神を持っているのは知っている。だから完全な敵と言うよりは――――警戒して当然のモノと考えた方が良いだろう。
無限ループの中で以前の俺が鏡夜に前世の記憶を話していたとしたら、それを阻止する可能性がある。
その考えであれば、海里夏が味方だからこうして妖精の動きを封じる意味で出てきたのも分かる。
……だとしたら、以前の俺はどうなったんだ?
「いやいや、止めよう。俺がどうなったとか考えるのも怖い……」
とにかく何か武器があればいいかな。
弓矢はここにはないだろうし、そもそも使えるわけないと思うけれど……。
ええと、黄組の主人公の席でも見てみるか?
「夕黄だったらお札とか何かないかな……そう言うのあったらもしかしたら……」
まあお札を裂けた空間に放り投げて死亡フラグを立てるとかそういう馬鹿な真似はする気はないけれど……。
泥棒みたいなことしたくはないが、これも死にたくないため。海里夏がやってくるまでの時間つぶしの意味も込めている。
机の中は新入生へ送られた書類とかそういうモノばかり。
うーん。さすがに鞄の中まで見ない方がいいよな? いやでも今はそういう状況じゃないし……。
「……ん?」
――――不意に、コツコツと音が聞こえてきた。
足音だ。それも少しだけは早足のもの。
人の足音なのは間違いない。何かぶつぶつ呟いているのも聞こえている。
海里夏じゃないのは確かだけれど。
見つからないように……でも慎重に扉の外からその足音の正体を探った。
「あれ?」
あれって、白兎じゃ―――――。
《――――ああ、見つけまシた》
「ッ―――――!?」
不意に頭の中で響いた気持ち悪い声。吐くかと思えるほどの激しい頭痛に襲われてしゃがみ込もうとして……。
でも実際にしゃがむことはできなかった。
急に視界がぼやける。
目を動かしたいのに動かせない。
手を動かして頭を押さえたいのに、動かない。
(な、なに……!?)
無限ループって知ってる?
そう言っていた海里夏の言葉が蘇る。
待て。待ってくれ!
以前の俺は何をやらかしたんだ!?
(か、体が言うことを聞かない……!?)
何かに引っ張られているような感覚。
まるで紐で引っ張られた人形のように、けれど実際には繋がれてはいないし目や声さえ自由にできず。
急に一歩、足が動く。
あの早足で何かを探して青組の教室を覗き込んでいる冬野白兎の後姿へ近づく。
(やばい。やばいやばいやばいやばい!!!)
駄目だ。俺の身体自由に動けよ!?
なんで急に……何をやってるんだよ!?
骨が軋み、肉が悲鳴を上げる。
意思とは真逆に身体が動く。
いやだ。なんかすごく嫌な予感がするんだ。
このままじゃ取り返しのつかないことになる。いや、絶対になる!
あの時聞こえてきた声は本当の事だったら?
冬野白兎を殺してと言っていたあの言葉が現実のものになるのだとしたら?
(夏はまだか!?)
頼むから気づけ冬野白兎!
俺はお前を殺したくないのに!!!
やがて俺に気づいたのか、振り返った冬野白兎の目がこちらを見た。
しかし抵抗するよりも早く――――俺の両手が彼女の首元へ掴みかかる。
「あぐっ……!」
白兎から苦しそうな声が聞こえる。抵抗もできていない。
そうだろう。だって彼女は闇堕ちするまではそこまで強いわけじゃない。
ゲームキャラクターの紅葉秋音の手によって殺されたことだってあるんだ。人の手でも簡単に殺せるほど、彼女は弱いんだ……!!
このままじゃだめだ。このままじゃ!!!
《そうだ。殺セ》
ああ嫌だ!
うるさいうるさい!
なんでこんな急に……あああああクッソ誰か俺を殴って止めてくれよ!!!
誰か分からないけれど、俺の身体で好き勝手するんじゃねえよ馬鹿!!!
「……そのままじっとしていなさい」
不意に聞こえてきたのは、冬野白兎の声じゃなかった。
俺の背後。耳元から囁くようなもの。
《ッ――――!!!!》
頭の中で酷い悲鳴が広がった。
それが外でも聞こえてきたような―――――。
「…………えっ?」
疑問に満ちたもの。
先ほどまで自由に出せていなかったはずの、俺の声だった。
両手から力が抜ける。しゃがみ込んだ冬野白兎が「ゲホゲホっ」と咳き込む音が聞こえる。
それに反応する暇なんてなかった。
俺の背中へ何かが貫き、そのまま腹から誰かの手が突き出している。
ボタボタと赤い血が滴り落ちる。その量は多く、死んでしまうかと思えるほどのもの。
痛みはなかった。
寒気も何もなかった。
「……えっ?」
腹から突き出した手には何かが掴まれていた。
気味の悪い蝙蝠に似た……何かの生き物がじたばたと動いている姿だった。
「眠りなさい。わたくしがその間に処理してみせますわ」
もう片方の掌が俺の目を塞いできた――――。
・・・
「……はっくしゅ!」
なんだか寒気がする。嫌な感じだ。風邪でもひいたのだろうか。
……いやきっと気のせいだ。
明日は祝日。ちゃんとした休みであり眠気も全然ない。
――――いつものように、機材の電源を入れた。
「さて今日は夕青の検証をもう一度やりたいと思う!」
『待ってましたー!』
『ようゴリラ―! またドラミングするためにバナナ買うのやめたってマ?』
『もうその声聞くだけで草』
『とりあえず悲鳴待機してやるよ!』
「いつもの事ながらお前ら酷えな! まあいいや。とにかく今日の検証はバグ起こすことだ!」
『ああ、バグちゃんの実況見たのか』
『夕青白はまだプレイしない感じ? もう発売したんだけれど』
『そういえばあの夕青白の発売以降バグプレイヤーの実況無くなったな。というか音沙汰が無くなったというか……』
『あれ全部釣りだったらしいぜ? 最近どっかのスレで暴露したらしく炎上騒ぎになってた』
『バグがバグじゃなかった……だと!?』
「なっ、バグはバグじゃなかったのか!? い、いやそれでも俺はやり通すぞ!」
『おうゴリラ、今日はどのくらいソフト買ったのか言ってごらん?(慈愛の目)』
『そろそろお前は投げ銭でも何でも利用した方が良いと思うぞ』
『ゴリラは脳筋だから実況できるだけでもありがたいと思おうぜ?』
『あああああ遅れたー! もうやってたのか生放送!』
『ゴリラがまたバイトしたのに金欠になった件について(草)』
『みつけた』
『まだゲーム始まってないから案外遅れてはいないぞ?』
「ハイハイ! やるぞ! 今日はバグ検証のためにソフトを三本購入した!!」
『三本……だと!?』
『ぶっちゃけ三本でも多すぎなのにゴリラに鍛えられすぎてる俺らで草』
『え、少なすぎじゃね!?』
『ゴリラもしかして金欠極まり過ぎてそれだけしか買えなかったのか? 俺のソフトあげようか?』
「金欠……なのは否定しないけど、買えないほどじゃねえよ!! 今日はそこまで長く生放送やるつもりはないから短めにって意味だ! その代わりこの三本でお前らが何をやってほしいのかコメント出してくれ。それをやろうと思う」
『またあの明るさ最大にして事故でもやってみるか?』
『夕青2じゃないのが残念。もう一度あの空間の中に突入してバグらせてほしかった……』
『夕青白は買わねえの?』
「夕青白は今特訓中でストーリーの大体の流れを見てから検証へ入る。だからまだやらない」
『残念。魔王的な朝比奈にやられて悲鳴と言う名のドラミングを上げるゴリラが見たかったなー!!!』
『とりあえず企画提案! 鏡夜で人を叩けるか検証と五時間ぐらい散歩してみようぜ!』
『どうせなら現実の時間帯での夕方までやらせたらいいんじゃね? ってことで丸一日耐久はどうだ!!』
『草』
『長時間やらねえって言ったのに逆にやらせる鬼畜がいて草』
『今の時間って深夜なんですが?? 夕日はもう沈んでますが???』
「お前らこういう時だけ鬼畜案件出すんじゃねーよ!!! 普通に生放送止めるぞゴラァ!!」
『ゴリラがドラミングってるぞ。誰か謝罪しろ』
『草』
『悪かったよゴリラ―。バナナあげるから許して☆』
『見るからに反省してないwwwww』
『ネットに繋げてください』
「ようやくまともなのが来たか……」
ネットにつなげられるのかというコメントを見て、とりあえずやってみようかと動く。
ゲーム自体はネットに繋がっている。そこからソフトを入れて……まあ、ネットにつながる神れってことだから……ある意味没企画だが……。
「ゲーム自体をネットに繋げても、ソフトそのものが対応してねえからなー……」
『やっぱり耐久散歩しかねえな!!』
『よしゴリラ、夕青の鏡夜がドラミングできるかどうかいろいろボタン試してみようぜ!!』
「ああハイハイ。お前らの鬼畜加減は分かったから……っと?」
――――不意に、ピコンという音が聞こえてきた。
ゲームそのものはタイトル画面を映している。それ以外は変わった様子はない。
「何か音聞こえたか?」
『いいや。もしかしておならした?』
『ゲームを初めてください』
『やだゴリラ臭い』
『音聞こえるとか怖いこと言うなよ!』
『まさかの現実での心霊体験?』
『ゲームを始めてください』
『なんか連投してるやついねーか?』
『ゲームをはじめてください』
『まあまあ、ゴリラがドラミングしたらそうなるの無理はない』
『ゴリラ―! ドラミングしてくれ―!!』
『げーむはじめろ』
『夕青初心者です。あの、私よく分からないので……普通に攻略法が知りたくて……ゴリラさんゲームしてもらってもいいですか?』
『初々しいじゃん。可愛い』
『オラゴリラ、普通に始めろよ』
『オラゴリラがオスゴリラに見えたwwww』
「お、おう?」
なんか嫌なコメントが混じってるな。
ちょっとコメント非表示にしておくか……。
――――よし、これで大丈夫だろう。
「じゃあ夕青のゲーム。始めるぞー!」
その声が響くとコメントが『待ってましたー!』という歓喜へと変わる。
そのコメント欄の中に何故か『おいおいマジかよ』というものや『駄目だやめろ』というのが最初の方だけ見えたが、すぐにかき消える。だからきっと荒らし目的でコメントを書いた連中だろうと思っていた。
こういう実況を始めた時はいつもあるから、今回もそれだと思っていた。
そうして俺は――――。
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