第四十四話 計画書は順調に




 鏡夜から聞かされた現実世界へ帰れるかもしれないというモノは、とんでもない話だった。

 ――――だからひとまず、それは横に置いておこうと思う。なんせ鏡夜の話通りに進むとすれば……それはとても奇跡が重ならないといけないものだから。



(ああもう本当……なんで私がこんなことを……)



 海里夏だから何でもできると思っていないだろうか。私はただ、鏡夜に思い出してほしかっただけ。手鏡を通してセーブデータを見せてしまえば完璧とはいかなくとも記録されたデータを思い出すことぐらいはできるだろうからと……。



 ……いやでも、ある意味グダグダやっているよりは良いかもしれないのか。

 入学式まで時間はない。早くやらなくては。



 あの過去の何処かの世界軸にいた鏡夜の指示は三つ。

 一つ、鏡夜から手鏡を取り上げておくこと。忘れてもらうこと……は、多分あの手鏡に何か仕込んでいたらしい鏡夜ならやっているだろう。

 二つ、紅葉秋音に出会って彼女に合わせ鏡をして向こう側へ先に行ってもらうこと。

 三つ、冬野白兎に出会うこと。


 冬野白兎がいるかどうかは分からない。

 三つ目ができないならば……こちらとしても、考えは残っている。


(とりあえず、この最後のチャンスを逃してはいけないよね……)



 考えを決めた刹那――――聞こえてきたのは、鏡夜のうめき声だった。



「っ……くっ……頭が痛い……」


「一時的にだけど手鏡から記憶を見せられたんだ。いわば一時的なダウンロードと言ったところかな」



 めまいがすると言って、鏡夜は手のひらから手鏡を落とした。

 地面へぶつかった手鏡を拾うがそれは割れた形跡はなく、汚れた様子もない。


 手鏡をポケットにしまい込みながらも、鏡夜を見た。

 彼は目をぱちぱちと瞬いて首を横に傾けたのだ。



「海里……?」


「ああ、もう覚えてないんだね……いや、何でもないよ。ほら神無月鏡夜。アンタはちょっと気分が悪くなってここらで歩いていたところを私が介抱したんだ。体調が酷いようなら保健室にでも行った方が良い」


「……いや、大丈夫。そろそろ入学式が始まる」


「そう。悪いけどちょっと用事があるから先に行ってて。もしも酷くなるようなら誰かに――――」


「大丈夫だよ海里さん」



 ああ、そうか。

 リセットした時の記憶さえ忘れているのか。


 なら仕方がない。

 こういう猫かぶりをした鏡夜ならいつも見慣れているし、警戒しているならさっさと離れればいい。こちらとしても好都合。



「じゃあ……スピーチ頑張ってね」


「ああ」



 まあスピーチなんて、聞く暇もないだろうけれど。





・・・




《――――》



(耳に聞こえてくるこの音は、なんだろうか……)



 長い夢を見ていたような気がする。

 でもそれはきっと、ただの気のせいなんだろう。


 何かの笑い声を聞いた。

 誰かの悲鳴と、泣いている声がした。


 それらの音が不協和音となって耳の奥底に刻まれる。

 まるでメキメキと枯れかけた木が折れていくような気味の悪いものだった。



《――――》



 ずっと頭に響く声も、急に思い出した前世の記憶のせいなはず。

 だってまだ俺は……紅葉秋音はまだ入学式にも出ていない新入生。あの鬼畜な妖精に興味を持たれていないし、先程鏡夜に説明をしてなるべくフラグを立てておこうと必死なのだから。


 頭が痛いのだって、思い出したせいだろう。

 まだまだ死亡フラグは立っていないけれど、このまま放置していたら面倒なことになるのは確か。


 俺は死にたくない。死ぬつもりはない。

 俺の力は何もないから鏡夜に考えてもらう。それだけだ。



《――――て》



 突然、頭に直接釘を打たれたかのような急な痛みに襲われて、思わず額に手を当てて目を閉じた。



(……いやいやまさか。だって俺は運良く始まる前に思い出したわけだし? そんな急に妖精がちょっかいかけてくるわけねーだろ!?)



 いやあり得ない。この知識が確かなら大丈夫。

 それに妖精は現実をねじ曲げる程度の力があるのは……過去の事件や事故を消した事実で断定は出来るけれど、それは過去に妖精と接触して起きた事件なのだから。

 俺のようにまだまだ始まったばかりの生徒にちょっかいをかけてくるぐらい……



「紅葉秋音」


「っ!?」



 急に聞こえてきた声に驚き、肩をびくりと震わせる。

 そこにいたのは同じく新入生の海里夏。


 ……なんで海里夏が俺に向かって話しかけてくるんだ?

 こんなの夕青のストーリーにあったか?




「紅葉秋音。アンタちょっとこっち来て」


「はい?」



 手を引っ張ってつれてこられた場所は女子トイレ。

 廊下の外……というか、体育館ではもう入学式が始まっているのだろう。異様なほど周囲は静寂に包まれていた。



《――――して》



 ズキズキと痛む頭を手で押さえつつ、夏を見た。



「あ、あのぉ……海里……さん?」


「チッ」


「ひぇ……」



 なんでこの人こんなに不機嫌なの!?


 ってか俺、この人に何かしたっけ!!?



「ど、どうしたの? そろそろ入学式が始まるし……あ、あの……ほら、早くいかないと」


「もう面倒だし時間もない。だから単刀直入に言う」


「え?」


「アンタに記憶があることを私は知ってる。夕青ってゲームの知識についても知ってる」


「……えっ?」



 知ってる……ってことは、同じく転生した人?

 でもなんで急に俺を見て分かったんだ?


 それに、何で時間がないって……。



「無限ループって知ってる?」


「アッハイ」



 おおっとぉ?

 ホラー特有の嫌な単語が聞こえてきたぞ?


 まさかとは思うけど、でも嘘をついているようには見えない。ちゃんとゲームの略語も知っていた。それにこの海里夏は得たいの知れない呪われた子供……。


 えっ、呪いってそういう意味で言われてんの?

 ――――マジで繰り返してんの?



「無限ループって……あの、本当に? それにそれが本当だとしたら……もしかして妖精は……」


「まあ無限ループっていっても似たようなもんだよ。本質は別物」


「そ、そっか……」


「それに……妖精は知ってる。だからアンタも狙われる。それを阻止するために今から動くの」


「え、どうやって?」



 どこから持ってきたのか分からないが、顔が見えるぐらいの少し大きめの鏡を手に持ち、俺を間に挟んで鏡合わせをしてくる。



「アンタには先に……妖精が手を出す前にあっちに行ってもらう」


「い、やいやいやそんな簡単に境界線に行けるわけないだろ!?」


「アンタなら行ける。ほら、手を伸ばして。私の言葉を信じなよ」



 海里がトイレの鏡に向かって指差してくる。


 その鏡は普通だ。

 ……鏡合わせをしているのに、何もないように見えるぐらい、異様だった。ああそうだ。もうオカルト的な何かが始まって、身体が恐怖で震えている。


 鏡の世界は、俺たちを写していない女子トイレの景色が広がっていた。



「……あの、一人で行かなきゃ駄目なのか?」


「すぐに追い付くから。アンタは着いたら隠れて待ってて」



 分かってる。これは俺を落ち着かせるための慰めの言葉だ。

 でも……いや、この夏は夕青を知っていた。それを俺に教えてくれた。

 つまり頼もしい味方ができたと思おう。


 鏡夜の知恵だけではなく、彼女のことも信じよう。


 決意を決めた俺は鏡を見た。

 そうして、恐る恐る手を伸ばして鏡に触れると、水が波紋を広げるかのような光景を見せてきた。

 そうしてそのまま腕が中へ飲み込まれ、俺を引きずり込もうとしてくる。



《――――ろして》




 ん……待てよ。繰り返しているとすればこの不協和音のような音は?

 聞こえてくる声は、なんなんだ?



「ち、ちょっといいかな海里さん!? 聞きたいことがあるんだけど――――」


「入学式は始まってる! 妖精が行動を開始するまで数分もないんだ! 話はあとでするから、早く行きな!!」



 いやいやいや!!?

 ちょっと押さないでくれないかな海里夏さん!!?


 やばい呑み込まれて――――。





《約束は守って。冬野白兎を殺して》




 聞こえてきた声は、そこで途切れた。



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